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時間の概念

作者: 穴田丘呼

そもそも時間というものは存在しない。それは生体で有ることの宿命において存在しているように見える。宇宙の誕生からその終焉までと我々生命はリンクしている。それらは時の流れとして表現されるが、実際には時間をはかるすべを我々は持っていない。


グリニッジ天文台を東経では0度と決めた。天文台があるイギリスでは、0度に決められた真上に太陽が来た時に正午となる。日本でいえば東経135度の地点が、やはり太陽が真上に来ると正午となる。これらの基準なしで我々は日常生活を送ることができない。


こうした決まりごとは、科学的な長い歴史上の物の見方にっよって決められた。別に東経0度の地点が僕の家の真上であってもかまわないのだ。でも歴史的経緯は僕の家を東経0度とはしなかった。だがどちらであっても問題はないことでもある。


アルバートアインシュタインは時間は伸縮すると言っている。僕の見解からいうと時間は概念であり存在しない。物理量としてとらえることは不可能だ。彼の時空の歪みは僕の意見では重力と関係があるように思える。重力が与えた効果が、すべてのものに質量を与えたのだ。そこには未曽有のエネルギーが潜んでいるかもしれない。ただそれを現代に多く使われている電気エネルギーに変換できるかはわからない。


地球の自転公転が暦を作り時間を作った。だがそれらは概念に過ぎなくて、現在にあるような形で成熟したのは歴史上における人間存在の営為であったことごとに還元できるだろう。


僕の見解からいうと時間は存在しない。我々が作った物差しに過ぎない。それは便利であるが、単なる決まり事でもあるのだ。もし仮に人間たちが違う物差しを使用していましたなら、暦や時間というものが現在とは全く違うあり方を示していたことだろう。


僕は時間が存在しないと言っているが、誕生と終焉という代えがたい宿命は、時間があるように思える。何かをこうしたという決まり事と生命の在り方の歴史が我々をここまで運んできたのだ。


なぜ生命は永遠ではないのか? それは宇宙誕生ゆえの宿命である。宇宙はやがて崩壊する。つまりこのことが人間、生命というものの宇宙と共にあることを示している。宇宙は生命そのものなのだ。その重力は質量を作り、その質量はエネルギーに還元される。比例しているのだ。


こういったことは一般的ではない。ある種の見方が与えた結果だ。それを科学的とも言えるが、人間の所業はおろかでもあり賢くもある。僕たちがいま目にしている世界は別に正しいから有るわけでも、正しくないけどあるというわけでもない。選択してきたいろんな系の選ばれた結果なのだ。


時間が刻まれた時計は生きているのに必要であるから選ばれたのであり、時間というものがあるからできたのではない。


これら命題は引き続き誰かが拡張してくれるだろうか。そんなこと僕は知らない。


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