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2-1 守る背負う庇う支える。嗚呼まったく俺らしくもない

挿絵(By みてみん)

 シフたちがエジプトのアレクサンドリアに帰ってきて5日が過ぎた。

 ルシールはまだ眠り続けている。


 シフは父親の再婚を機に、数年前から一人暮らしを始めた。その住居は、噂好きのおばさん連中が異様に多い下町の片隅の、古い石造白壁2階建である。2階を住居に、1階をキャラバンの事務所として使っている。

 彼は事務所のソファとテーブルを退けて寝台を二つ置いた。ルシールと自分の分だ。2階の自室は乱雑過ぎるからというのは建前で、若い女を個室で看病するのが憚られたから、というのが本音だ。

 ルシールの外傷は治ったが、まだ目を覚まさず頻繁にうなされる。日に数回、短時間だが目を開けるので、時を逃さず重湯(※1)を飲ませるも表情が無い。うなされている時の方がまだ感情がある。

 本当に、何があったというのだろうか。

 知り合いの町医者に診せたがはっきりしない。シフは魔力欠乏症ではないかと思う。少し目覚めの周期が短くなってきたか。

 シフは仕事の報酬(けっこう大金)が入ったことだし、しばらく休むことにしてルシールの看病にあたっている。平行して事務所の片付けを進める。半ば物置と化していたから丁度良い。

 キャラバンの正社員であるスィラージもやって来るが、その妹アイシャが頻繁に手伝いに来てくれる。着替、排泄など男では難しいものがあるから本当に助かる。兄弟の多い家の方でも家事が山積みだろうに本当によくできた娘だ。スィラージと血がつながっているとはとても思えない。

 「イズバルドのパン屋開いてると良いんだが」

 今朝もシフがモソモソ身支度をしていると、アイシャがやってきた。お気に入りの猫帽子(※3)を被り、まっすぐな眼差しで窓から覗く。シフと目が合うや鍵を開けろと扉を叩く。せっかちな娘だ。シフは愛用の伊達メガネを装着して迎え入れる。

 「おはよーシフさん」彼女は何か美味しそうな匂いの包みと小瓶を抱えている。

 「ああ、おはよう。今日は特に早いねえ、早すぎるくらいだよ」

 「お姫様の様子はどう?」

 「今日も良く寝てるよ。スィラージは?」

 「当然寝てます」

 「そうか。今日は来る筈だが。また深夜アニメでも見てたのかな」あの男も自分の気持ちに素直になれば良いのに。

 「それはどうでしょう? はいコレ朝ごはん」アイシャが包みを机に下ろす。中身は大きなパンに挟んだハムエッグ。焼きたてのパンの匂いが食欲をそそる。家伝のザーター(※2)がたっぷり振りかけてある。1日分の重湯が入った小瓶も置かれる。

 「おお、こいつはまた超絶美味そうだな。ホントにアイシャはよくできた女だぜ。料理上手で美人で可愛くて。アレクサンドリアで1番と言っても過言ではないな」

 アイシャが苦笑する「さすがに言い過ぎです。それほどでもあるけれど」

 病人がいるのでシフは控えめに称賛を捧げる「アイシャ、ボンバイエ! アイシャ、ボンバイエ!」

 「意味が分からない」アイシャが隅の台所で慣れた手つきでガスコンロ(魔道具)に点火して薬缶を載せる。

 「……俺なりの賛辞なんだが」

 「おだてても何も出ませんよ。それで、今日も事務所の片付けですか」

 「ああ、もう少しかかるかな。スィラージが来たら交代してギルドと親父のところに顔を出す予定だが」

 「そうですか」

 「妹も産まれたし、あちこち忙しいなあ、まったく」

 アイシャが寝台で眠り続けるルシールを眺める。三つ編みにしていた豊かな髪は団子にされている。蒼白だった顔色は随分良くなった。呼吸は静かで乱れ無い。痩せてきたが病気には見えない。無防備な寝顔は、次の瞬間どこかへ消えてしまいそうに儚い。

 アイシャが言った「そろそろ起きてもおかしくないんじゃないですか?」

 シフは優しい顔で見下ろす「さーて、どうだろうなあ」湯が沸くのを待たずパンをハモハモ食べ始める。まだ温かくて美味い。

 「起きたら忍法強引説得の術でうちのメンバーに入れるのは確定なんだが」

 「なんですかそれ」

 シフはテレビ(魔道具)をつけて朝のニュースを流す。湯が沸くまで世間話だ。スィラージの奇行、ギルドの活躍、近所の事件。共通の話題が幾らでもある。

 テレビから帝都ローマの政治ニュースが流れて会話を停める。2代皇帝ティベリウス(BC42~AD37)がまた元老院議員の誰某を更迭したとか、投獄したとかいう内容だ。元老院に愛想を尽かした老皇帝はカプリ島で悠々自適の引きこもりだが、諜報強化と密告奨励で支配権を堅持している。多くの議員へ国家反逆罪を適用し、厳しい刑罰で恐怖をばらまいた。帝都から遥か遠いアレクサンドリアの市井に生きるシフやアイシャにとっては関係薄いが、ニュースはさも重大事件のように騒ぎ立てる。

 新規の公共工事を発注しないとか、剣闘士試合のスポンサーにならないとか、ケチ過ぎると言われている老皇帝だが、打ち出される政策は堅実かつ的確で、交易市場は変わらず景気が良い。結果、アレクサンドリアにおいて老皇帝の支持率は高い。

 エジプトは豊かな土地だ。

 この時代、砂漠は21世紀の現代よりもずっと内陸にあり沿岸は緑が濃い。かつてのエジプト王国は今やローマ帝国の皇帝直属領である。肥沃な穀倉地帯を抱え、地中海東端、ナイル河、紅海、シルクロードに接して交易の中継点という地の利がある。さらに数十年前ローマ帝国に組み込まれたことで、長年の王政でこびりついた腐敗が一掃された。それは内外の治安の向上、人と物の活発な往来を促し、更なる繁栄をもたらした。

 その都がナイルの河口にも近いアレクサンドリアである。近くのニコポリスにはローマ軍の基地があり、一個軍団が駐屯している。



 湯が沸いた。アイシャが珈琲を淹れてくれる。ミルクを多目に入れ、かつてルシールが淹れてくれたものよりも薄くまろやかで胃に優しい。

 「…………ところで、まだ募集してるんですか?」彼女が話題を変える。声音の硬さに緊張が見てとれる。

 シフは数秒言葉の意味を考える「そうだなー、新人募集しても良いとは思うが」

 「あの、あたしじゃ駄目ですか」

 「アイシャも旅に出たいのか?」

 アイシャが首を振る「ではなくて、キャラバンの事務員ならどうかな、と」

 「事務員か、それは考えてなかったな」組織としてのフィルサークレアキャラバンはまだ小さいが、事務方を置くこと効果は理解できる。アイシャは信用できる人間だ。

 散らかってどうにも統一感の無い事務所が綺麗になり、アイシャが仕事の連絡を取り付けてくれる、珈琲を淹れてくれる、備品を管理してくれる、金庫番をしてくれる。求め過ぎてはいけないが、信用できる人間が一人増えるだけで仕事の効率は間違いなく上昇する。それはとても素晴らしいことに思えた。

 「あまり多くは出せないと思うが」

 アイシャが頷く「普通で良いです」

 「そう言われると安くはできないな。スィラージは知っているのか?」

 「まだです」

 「ま、少し考えさせてくれ」ファンタスティックビーストとか言われる変人だが安請け合いはしない。かと思えばリスキーな行為も平然とする、複雑で一貫性の無い男である。



【※1 重湯】米や麦を10倍以上の水でよく煮た上澄み液。病人向けの流動食。消化に優れ水分と糖分を効率良く吸収できる。体調に応じて塩や野菜の煮汁も加えていく。

【※2 ザーター】エジプトを含む中東地域に伝わる伝統的なミックス・スパイス。ふりかけに似る。基本的材料は、白ゴマ、タイムパウダー、スーマックパウダーの3種。家庭の味としてアレンジ多数。食べ方は、オリーブオイルと混ぜ、パンに付ける。またはピザ生地に乗せて焼く。

【※3 猫帽子】猫をイメージした三角耳付の帽子。ベルドゥラルタ商会にて製造販売。そこそこ人気商品。アイシャ、ギルマス(マリーダ)のお気に入り

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― 新着の感想 ―
[良い点] あらすじを見たりこの話の地の文を見た範囲からでしかわかりませんが、少なくとも描きたい世界観がはっきりしているのが良いと思いました。重湯しかり、ザーダーしかり。前書きのイラストも、めちゃめち…
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