[08] 初デートはお隣さんと
『では、四時に駅前待ち合わせでお願いしますね?』
と昼に言われてから、僕はずっと、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。
午後の授業は右から左、英語の授業も、数学の授業も、ノートには一文字も記入されることはなかった。
当然だけど、僕はデートなんてしたことない。
未経験なので、デートでどこに行けばいいかなんて、もちろん知っているはずもなかった。
けど、今からデートコースを調べる時間もなければ、家に帰って着替える暇もない。
やがて放課後のチャイムが鳴ると同時に、僕は期待と不安を胸にしながら、鞄を引っ掴んで学校を出ようとした。
「あ、先輩。お帰りですか?」
「ああ、うん。まあ……」
ぱったりと、校門のところで自転車を押したサクラと出会う。
サクラは河を一つ挟んだ先から、自転車通学をしていた。
その通学路の先に僕の住むマンションがあるので、一緒になると、並んで帰ることもある。
「じゃ、途中まで一緒に帰りましょうよ」
「あー、ええと」
思わず言葉に詰まってしまった僕は、何故だか咄嗟に言い訳を口にしてしまった。
「ごめん、今日はちょっと、駅まで行く用事がひゃって」
「ひゃって?」
「……あって、さ」
慌てて言い直すも、僕の微妙な変化にサクラは気づいたようで、
「なんか怪しい……先輩、なにか隠してないですよね?」
「し、してないって」
ぶんぶんと首を振る僕に、サクラは怪訝な視線を向けてくる。
しかし、それ以上、突っ込んでくることはなく、サクラは愛車に颯爽と跨った。
「ふーん? ま、じゃあ、しょうがないですね」
くるくるとペダルを逆回転させてから、サクラはふと思い出したように警告してきた。
「あ、帰ったら、例のお隣さんにガツンと言ってやるんですよ? デート商法なんて、今時引っかかる方がどうかしてるんですから」
「そ、そうだね……」
これからその相手とデートする、なんて言ったら、サクラは全力で止めてくるだろう。
カモがネギ背負ってやって来るようなものだ。
僕が逆の立場だったら、間違いなく止めるように説得する。
「あ、そうだ先輩」
ふと思い出したように、サクラはそっと顔を寄せてくると、なにやら悪い顔でこんなことを言ってくる。
「後で、感想を聞かせてくださいね?」
「感想……?」
「はい」
にしし、と笑ったサクラは、
「じゃ、また明日です!」
そう告げて、力強くペダルをこぎ始めた。
あっという間に見えなくなっていくのを、首を傾げて見送っていたのだが、僕はすぐに時間が差し迫っていたことを思い出した。
「あ、ヤバ、行かなきゃ!」
そのまま、いつもと反対側の駅へと続く道へ歩き始める。
駅へと続く道を小走りに歩きながら、僕は一つの決意を胸に刻んでいた。
「……瑠衣さん、なにを勘違いしているのかわからないけど、今度こそちゃんと言わなきゃ」
どうも、瑠衣さんはなにか、思い違いをしているらしい。
告白がどうのとか、付き合うことになったとか、僕には全く身に覚えがない。
サクラの言う通り、詐欺だとかデート商法だとか言われた方がしっくりくるほどだ。いや、実際、そうなのかもしれないのだけど。
「でも、そんな悪い人には見えないんだよね……」
いつも笑顔で話しかけてくれる、笑顔の素敵なお隣さん。
最初の出会いは、半年前。
僕が住んでいた部屋の隣に、瑠衣さんが引っ越してきた時だ。
引っ越しの挨拶で、少し緊張した様子の瑠衣さんが、お蕎麦を持って来てくれた時。
その時の衝撃は、今でもよく覚えている。
こんな綺麗で可愛い人が、この世にいるのかと驚かされた。
そして、それからずっと、密かに憧れていた。
アルバイトへ行く時は、瑠衣さんが帰ってくる時間に合わせてみたり。
学校へ行く時も、瑠衣さんが出るちょっと早い時間に調節してみたり。
家に帰って来た時も、もしかしたら会えるんじゃないかと、ゆっくりマンションの廊下を歩いてみたり。
……そう思うと、なんだかストーカーみたいなことをしている気もするが、もちろん、出会ってもちょっと立ち話をするだけだ。
それ以上を望んだりしないし、そうなれると思ったことすらない。
それが、一体、どういうことだろうか。
「あ……雪斗さんっ!」
待ち合わせの駅前で、ぱっと、花咲くような笑顔が、僕に向けられた。
それだけで、十二分に自覚してしまう。
――間違いなく、出会った時からずっと、僕はこの人に恋をしているんだって。