[06] デートのお誘い
電話番号の先頭は、080――個人の携帯番号からだ。
知り合いならばSNSなどの無料通話をかけてくるだろうし、実家からなら名前が表示されるはずだ。
思い当たる人物がおらず、スマホと睨めっこしていた僕を見て、サクラが不思議そうに首を傾げた。
「電話、出ないんですか、先輩?」
「いや……ちょっと出てくる……」
言って、僕は地学準備室を出る。
着信を無視してもよかったのだが、僕の第六感が、それを拒絶してきた。
――なんとなく、この電話は出ないといけない気がする。
そんな直観に従い、僕は恐る恐る、通話をオンにした。
「もしもし……?」
『もしもし、雪斗さんですか?』
届けられたのは、涼やかな女性の声で――
今朝方まで一緒にいた、お隣さんのものだった。
『突然ごめんなさい。瑠衣です』
「る、瑠衣さん?」
想像もしていなかった人物からの電話に、思わず声が裏返る。
「ど、どうして、僕の番号知ってりゅの!?」
また噛んだ――いや、今はそれはいい。
僕の電話番号なんて、瑠衣さんは知らないはずだ。
そもそも、僕と瑠衣さんは、お隣さん同士という以外の繋がりは一切ない。
僕らの住むマンションは、必ず表札を掲げなければいけないルールなので、互いの苗字は知っているが、逆に言えば、知っていることなんてそれくらいのものなのだ。
『すみません。今朝、お部屋に上がらせていただいた時、リンゴのダンボールの送り状に電話番号が書いてあったもので……』
「ああ……確かに……」
そこまで答えてから、ふと、一つ漠然と抱いていた疑問の答えに思い至った。
「あ、もしかして、僕の下の名前を知ってたのって」
『はい。それも送り状を拝見して知りました』
今朝、起こしにきた時、瑠衣さんは最初から僕の下の名前を呼んでいた。
あの時はテンパっていたので気づかなかったが、僕の苗字以外の情報を、瑠衣さんが知っているはずがないのだ。
確かに、リンゴのダンボールは玄関に置いたままだったので、その伝票を見れば、名前も電話番号も、すぐにわかっただろう。
今朝の鍵の件と言い、意外と行動派なようだ。
『……怒って、ます?』
「う、ううん、別にそれはいいんだけど……」
都会は個人情報の保護にやたらとうるさい社会だが、僕のいた田舎社会では、そんなものあってないようなものだった。
玄関の鍵をかける人もいないし、住んでいる人の名前なんて全員知っていて当たり前。
電話番号だって町内会の名簿に全部載っているし、必要があれば町内放送で呼び出すことだってできる。
僕は本当に全く気にしていないのだが、瑠衣さんは萎縮した様子で謝ってきた。
『ごめんなさい、雪斗さん。私、誰かとお付き合いとかするの初めてで……どうしたらいいのか、よくわからなくて……』
「いや、まあ、僕も、そういうのしたことないから、わからないのは一緒だけど……」
『そうなのです?』
意外そうな声で告げてきた瑠衣さんは、どこか嬉しそうに声を弾ませた。
『ふふっ、嬉しいです。雪斗さんと初めてが一緒で』
――か、可愛い。
そんなこと言われたら、本当に勘違いしてしまいそうになる。
けど、僕と瑠衣さんは、ただのお隣さん。
本来なら、ただ挨拶を交わすだけの間柄なのだ。なんでこうなっているのかよくわからないけど、妙な勘違いはしちゃダメだ。
「そ、それで、なにか御用でしゅか?」
『あ、はい』
瑠衣さんはこほん、と電話越しに仕切り直すと、おずおずとした様子でこう切り出してきた。
『今日、放課後、お時間ありますか?』
「放課後? あ、うん、今日はバイトもないから……」
バイトのシフトは、週五日。今日はオフの日だ。
バイトのない日はいつも、そのまま家に帰って、予習復習、溜まった洗濯物をやっつけて、適当に食事して、テレビ見て寝るだけだ。
ちなみに、地層研究部の活動なんて、一度もしたことはない。
それを聞いた瑠衣さんは、安堵した様子で息をつくと、
『よかった。あの、もしよければ、今日、デートしませんか?』
「え……?」
ピタリと、思考がフリーズする。
聞き慣れない単語が脳内でぐるぐると駆け回り、思わず甲高い声を出してしまう。
「で、ででででで、デート!?」
『はい。デートですっ』
弾んだ声が、電波の向こう側から返される。
デート――
それは、少なからず相手を意識した者同士や、恋人同士など既に相手のことが好きな者同士がする、お出かけのこと。
もちろん、僕は人生でデートなんてしたことはないし、これから先、きっとすることもないと思っていた。
『お付き合いをさせていただくことをお友達に相談してみたら、まずはデートするべきだって言われちゃいまして』
「で、デート……」
『もちろん、私も、その、雪斗さんとデートしてみたくて……』
破壊力抜群なことを言って、瑠衣さんは止めの一撃を放ってきた。
『ダメ、でしょうか……?』
「う……」
この時点で、僕は、自分の敗北を察した。
――だって、そんなことを言われて、断れる男子高校生がいるだろうか?