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[28] その後2

 大学の授業を終えたわたしは、苦悩と荷物を抱えたまま、家へと戻ってきた。


 瑠衣に頼まれてエッチなゲームを渡してしまったが、本当にあれでよかったのだろうか?


 樫のことだから、迂闊なことにはならないだろう。けど、樫だって男の子だ。若いリビドーに任せて、おかしなことにならないとも限らない。


 そんな懊悩を抱えたまま帰宅したわたしは、嘆息しながら玄関のドアを開けた。


「ただいまー」

「あ、お姉ちゃん、お帰り」


 靴を脱いでいるところに、二階から降りてきたサクラがひょっこりと顔を見せる。


 わたしは靴を脱いで揃えてから、持っていたビニール袋を無造作にサクラへと突き出した。


「サクラー、あんたにお届け物よ」


 反射的に受け取ったサクラは、目をぱちくりさせて、その中身を確認する。


 中に入っていたのは、真っ赤に熟れた、真紅の果実だった。


「リンゴ? どうしたの、こんなに?」

「どうしてもこうしたも、樫からよ」


 正確には、大学で瑠衣から渡されたのだ。


 あれから、樫と瑠衣の交際は、順調に続いているらしい。


 幸せそうなのは大変結構なのだが、瑠衣と大学で会うたびに、おのろけ話を聞かされるので、独り身としては辛いところもある。


 そんな瑠衣から、妹のサクラに渡して欲しいと頼まれたのだ。


「サクラがこのリンゴ、好きだって言ってたって」

「あー、これがあの」


 ほうほう、とか言いながら、サクラが興味深そうにリンゴを覗き込んでいる。


 借りたゲームのお礼らしい。樫が言っていたらしいのだが、珍しい品種のリンゴらしく、そのリンゴにサクラが興味を示していたそうなのだ。


 しかし、その話を聞いた時、わたしの中には一つの疑問が持ち上がっていた。


「あんた、そんなにリンゴ好きだったっけ?」

「ううん、別に?」


 あっさりと否定したサクラは、その言葉を証明するように、大して興味なさそうにリンゴをキッチンに置いてしまった。


「リンゴジャムとかジュースは好きだけど。生のはそれほどじゃないかなー」

「なら、なんで樫にリンゴの品種の話なんてしたのよ?」


 好きならともかく、そうじゃない人にとって、リンゴの種類など大して興味ないものだろう。


 そう思ってした質問なのだが、サクラから返ってきたのは、妙な答えだった。


「リンゴじゃなくても、別によかったんだけど。発音が一番近いのが、たまたまリンゴにあったから」

「発音……? なんの話?」

「雪斗先輩の幸せについての話」


 冷蔵庫からアイスを取りながら、サクラは続けてくる。


「千雪、っていうリンゴがあるのを知ったのは、たまたま。なければ、別の似たような名前のものを用意する予定だったんだ」

「どういうこと……? 名前……?」

「うん」


 いまいち要領を得ないサクラの話に、わたしは眉を顰める。


 サクラは棒アイスを一口齧ってから、とある種明かしを始めてきた。


「雪斗先輩って、滑舌悪いじゃない?」

「まあ、そうね。緊張すると時に」

「そうそう」


 それはよく知っている。


 当人も気にしているようだし、今回のバタバタもそれが原因だったのだが、それが一体なんなのだろうか?


 そう思っていたわたしに、サクラは悟ったような笑みを向けてくる。


「で、これまでの話から、雪斗先輩がお隣さんにご執心なのはわかってたわけ」

「そうだったの?」

「うん。だって、雪斗先輩わかりやすいし」


 それは理解できる。


 小難しいことを器用にこなすタイプじゃないし、いい意味で育ちがいいからか、嘘を簡単につけるようなヤツじゃない。


 けど、それとサクラの言っていることが、全然結びついてこない。


「そこからして、もしいっぱいのリンゴが雪斗先輩の家に届いたら、食べきれないし、お隣さんにお裾分けする可能性が高いと踏んだわけさ」

「まあ、それはそうかもしれないけど」


 一人暮らしで大量の生モノが送られてきたら、困るだろう。


 樫は食べ物を無駄にするようなヤツじゃない。頑張って一人で食べるか、もしくは、食べられない分は他の人にあげようとする可能性が高い。


「で、そのリンゴを持っていく時、珍しい品種のリンゴだって話になるでしょ? でも先輩は滑舌が悪いから、ちょっと発音を間違えちゃうかもしれない」

「……ちょっと待って、まさか……」

「うん」


 頷くサクラを見て、わたしは、自分の背筋がぞくりと冷たくなるのを感じた。


 棒アイスをぺろぺろしながら、サクラはその事実をさらりと告げてくる。


「滑舌が悪いから、『千雪』と『好き』を言い間違える可能性があると思ったのさ」

「だから、珍しい品種のリンゴの話を樫にしたの……?」

「そうだよー」


 悪びれた様子もなく、サクラがあっけらかんと言ってくる。


 その時点になって、わたしは、別のイベントについて思い出していた。


「もしかして、あんなゲームを樫の鞄に入れたのも――」

「お、鋭いねー」


 にんまりと笑みを浮かべながら、サクラは頷いてくる。


「あの日たまたま入れたんじゃないよ? あたしはずっと、タイミングを窺ってたのさ」


 アイスの棒を指揮棒のように振りながら、サクラは微笑む。


 その裏に潜んでいた策略に、わたしはただ、息を呑んだ。


「……樫がリンゴの話をするタイミングか、それをお隣に持ってって、なにか起こったタイミングを見計らって、ゲームを鞄に入れた――ってこと?」

「いえす、ざっつらいと」


 よくできました、とでも言いたそうに、サクラは食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に投げた。


 それが綺麗にゴミ箱へと吸い込まれるのを横目に、サクラは告げてくる。


「そうすれば、イベントが起こるわけでしょ? どうせ奥手な雪斗先輩じゃ、関係性を進展させるなんて簡単にはできないだろうから、ちょっと背中を押してあげないと」


 確かに、あの樫が、女生徒の交際関係を上手く進展させられるとは思えない。


 そこまで見越して、この子はあのゲームを仕込んだのだろうか?


 そう考えると、むしろ恐ろしく思えてしまう。


「ま、さすがにここまで上手くいくとは思ってなかったけどさ。どう? 二人とも、いい感じにしてるの?」

「…………」


 にこにこしているサクラが、いつも知っている妹と違って見えてくる。


 けれど、そこに悪意がないことだけはわかった。この子は悪ノリすることはあっても、進んで誰かを傷つけたりはしない。


 しかし、となれば、なおのことわからない。


「あんた、どうしてこんなこと……?」

「そりゃもちろん、雪斗先輩に幸せになってもらうためだよー」


 当然とばかりに言って、サクラは自嘲気味に微笑む。


「あたしはさ、ほら、こんなだから、わりと学校でもボッチなわけ」


 自分を指し示すように両手を広げながら、サクラは小さく肩をすくめてみせた。


「まあ、それは今更だから、諦めてたんだけどさ。でも、あたしは高校に入って、初めて居場所っていうのができたんだ」

「……地層研究部……」

「そうそう」


 あの部活は、居場所のない子のために、存続させた部活だ。


 わたしが部長だった時は、何人かの生徒が在籍し、少しだけだが、その子たちの居場所として活用されていた。


 わたしが卒業した後は、樫に部を託したが、存続させるかどうかは好きにしていいとも話をしていた。


 しかし、その部活は、わたしが思っていた以上に意味のある場所だったようで。


「お姉ちゃんが作って、雪斗先輩が引き継いだ、あの部活だよー」


 サクラにとって、その場所は、わたしが想像する以上に大切なものだったようだった。


「あそこのおかげで、あたしはすっごく救われたんだ。だから、お姉ちゃんと、雪斗先輩には、本当に本当に、感謝してるんだよ?」

「サクラ……」


 サクラが学校で浮いているのは知っていた。


 特にイジメられているわけではなさそうだったが、サクラから友達の話なんて聞いたことはなかったし、当人もそれについて問題視もしていなさそうだった。


 けれど、それでも、やはり人には居場所というものが必要なのだろう。


「本当はね、雪斗先輩とお姉ちゃんがくっついてくれれば、って思ってたんだけど」

「わ、わたし?」

「そうだよー」


 あっけらかんと言いながら、サクラはその策略を暴露してくる。


「でも、お姉ちゃんが卒業しちゃってから、接点がなくてねー。雪斗先輩と一緒に帰るように見せかけてお姉ちゃんと遭遇させたり、お家に上げてお風呂上がりのお姉ちゃんと遭遇させたり」

「……あったわね、そういえばそんなこと……っ」


 今思い出しても、顔が真っ赤になってしまう。


 今の今まで、不幸な偶然だと思っていたのだが――


「あれ、わざとだったの!?」

「うん」


 悪びれもなく、そんなことを言って、サクラは笑う。


「でも、雪斗先輩の方にその気がなさそうだったからねー。お姉ちゃんはまんざらでもなさそうだったけど」

「な、なに言ってるのよ!?」

「だから、作戦を変えたのさ」


 ソファーに腰を下ろしたサクラは、悠然と脚を組んで、悪だくみでもするような笑みを浮かべてみせた。


「雪斗先輩には、まだまだ幸せになってもらわないといけないからね。ふふー、次はどんなイベント起こそうかなー?」


 実に楽しそうな笑みを浮かべて、サクラがぶつぶつと作戦を練り始める。


 それを横目で眺めつつ、わたしはただ一つ、ぽつりと感想をこぼした。


「……あの子たち、可哀想……」


 今頃、デートでもしているであろう二人を想像し、わたしは小さく溜息をつくしかなかった。


最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

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