表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/28

[27] その後1

 いつも、この時間にお隣さんは帰ってくる。


 学校の終わった夕方、僕がアルバイトに出かける時間。

 

 その時間が近づくと、僕はいつも落ち着かない、そわそわした気持ちになる。


 そして、エレベーターが到着する音が聞こえるのに合わせ、僕は部屋のドアを開けた。


「あ」

「あっ」


 目の前にいたのは、僕が待ち望んでいた笑顔。


 引っ越してきてから、何度となく顔を合わせているが、未だにこの笑顔を前にすると、僕は嬉しさを隠し切れなくなってしまう。


「こんにちは、雪斗さん。これからアルバイトですか?」

「うん、そうなんだ」


 嬉しさを隠し切れなくなり、自分でも頬が緩むのを自覚する。


 白いワンピースに身を包んだ神楽さんは、いつ見ても、眩しいくらいに綺麗な存在だった。


「神楽さんは、学校帰り?」

「……むー」


 僕の問いかけに、しかし、神楽さんが不満そうに眉を顰めて、見上げてきた。


「ど、どうしたの?」

「呼び方、元に戻ってしまいました」


 拗ねたようにそんなことを言って、神楽さんが詰め寄ってくる。


 ――あれから、一週間ほどが経った。


 僕は宣言通り、もう一度、神楽さんとの関係をやり直すため、仮初の関係が始まる前に二人の時間を戻そうとした。


 呼び方もその一つだ。僕はあの時、神楽さんの下の名前なんて、知らなかったのだから。


 しかし、神楽さんは不満が残っているようで、


「どうしてなんですか?」

「それは、この間も言ったけど」


 僕は頬を指で掻きながら、改めて、自分の考えを神楽さんに告げた。


「あの時のことに、甘えたくないから。僕はもう一度、自分の意志で、名前で呼べるようになりたいから」


 時間は巻き戻らない。


 でも僕は、あの時の出来事に胡坐をかきたくなかった。


 僕は、僕の意志で、神楽さんとの関係を一つずつ、構築していきたかった。


 だから、もう一度、最初からやり直したい。それが滑稽なことでも、無意味なことでも、僕には必要なことだと思うから。


「だから、もうちょっとだけ、待っててください」

「……うー、そう言われてしまうと、なにも言えなくなっちゃいます」


 困ったように眉を八の字にして、神楽さんは唇を尖らせる。


「でも、あんまり待たせないでくださいね? 私、待ち切れなくなっちゃいますから」

「……善処します」


 今の僕には、そう答えるのが精いっぱい。


 けれど、待たせないようにしたいって、僕も思う。関係を前に進めていきたいのは、僕だって同じなのだから。


「あ、雪斗さん。アルバイトの後、お時間ありますか?」

「うん、バイトの後なら、大丈夫だけど」


 首を傾げた僕に、神楽さんは嬉しそうな顔をして、鞄からとあるものを持ち出した。


「実は、レンちゃんにお願いして、これを貸してもらったんです」


 それは、いつぞやの、僕の鞄から発見された、可愛い女の子たちがパッケージされているもので――


 サクラの持っていた、いわゆるエロゲだった。


「…………。どうしてエロゲを?」

「この間、インストールに失敗したので、ドライブを買ったんです。それで、改めてインストールしてみようかと」


 真顔でそんなことを言ってくる。


 いや、僕が聞きたいのはそういうことではなく、どうして神楽さんがそれを持っているのか、ということだった。


「……レン先輩が貸してくれたの、それ?」

「はい。正確には、レンちゃんの妹さんから、です。窓口のレンちゃんを説得するのに、一週間かかりました」


 それはそうだろう。


 あの真面目人間のレン先輩が、友人にエロゲをすすんで貸与するとは思えない。


「レンちゃんは、最後まで反対していたんですけれど、自分で買うと言ったら、渋々貸してくれることになりまして」


 最後の砦は、そうやって陥落させられたらしい。


 仲間が増えて、喜んでいるサクラの姿が目に浮かんだ。


 そんなことも露知らず、といった様子で、神楽さんは純粋に楽しそうな笑顔を向けてくる。


「これを雪斗さんと一緒にやってみたいんです」

「……いや、ちょっと待って」


 僕はその前に横たわる、一つの勘違いを正すことにした。


「前も言ったけど、それ、別に僕の趣味っていうわけじゃ……」

「そうなのですか? 雪斗さんは、こういうの、お嫌いですか?」


 そう言われると、正直なところ、言葉に窮してしまうのも事実だった。


「……興味が、なくはないけど」

「はい。私もちょっと、どんなものなのか、ちょっぴり興味があります」


 パッケージで口元を隠しながら、神楽さんがそんなことを言ってくる。


「なので、一緒にいかがですか?」


 映画でも一緒にどう? 的なノリでそんなことを言われる。


 付き合ってすぐに、部屋で一緒にエロゲをするカップルって、どうなのだろうか。


 なにかいろいろと致命的な失敗をしそうで、尻込みしてしまう。それに、一緒にやった、なんて言ったら、レン先輩になにを言われるかわかったものじゃない。


「……そのことは、また後で相談しよう。これから、バイトなので」

「あ、そうでしたね。お引き留めしてすみません」


 僕の逃げの言い訳を素直に受け取った神楽さんは、小さく手を振りながら、微笑んでくれた。


「いってらっしゃい、雪斗さん」

「いってきます、神楽さん」


 こうして――


 僕たちの関係は、ほんの少しだけ、そして、ちょっぴり斜めな方向に、進み始めたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ