[20] 先輩と後輩
一人暮らしの土曜日は、意外に忙しい。
溜まっていた洗濯物を片付け、ざっと部屋の中に掃除機をかけつつ、部屋の中の換気をする。
冷蔵庫の中身や洗剤のストックを確認してから、近くのスーパーやドラッグストアを梯子して買い出しするのが日課だ。
スーパーが少し遠いので、自転車で回る頃には、大体いつもお昼になっている。
僕は自転車の籠に冷凍食品と言う名の食材を積み、自宅へと戻っていた。
その途中で、見覚えのある背中を視界の端に捉える。
「あれ? レン先輩?」
僕に名前を呼ばれた女性――レン先輩は、こちらを振り向くと、驚いた様子で目を見開いていた。
「あら、樫じゃない。久しぶりね」
「はい。お久しぶりです」
僕は自転車を降りて、レン先輩の前に立つ。
「高校卒業して以来だから、半年ぶりくらいかしら? 元気だった?」
「はい。レン先輩も元気そうで」
おかげさまで、と笑うレン先輩は、元々、僕の通う高校の先輩だった。
生徒会長をしていたくらい優秀な人で、面倒見もよく、多くの学生たちに慕われていた。
「どう、地層研究部は? サクラの話じゃ、まだ存続してるみたいだけど?」
「はい。レン先輩がいなくなった後は、僕が部長になっちゃいましたけど、まだなんとか続いています」
僕が入部した時は、レン先輩が部長だった。
と言っても、他に部員がいるわけでもなく、ただ名義だけ部に置いていただけだった。
なんでも、部員が誰もいなくなってしまった時、先生に頼まれて名義だけ貸すことにしたらしい。
「わたしの代で終わりだと思ってたけど、案外しぶとく存続してるみたいね」
「はい。でも、活動なんてなにもしてませんけど」
本来、部活動として学校に認定されるには、五人以上の部員と顧問の先生が必要だ。
しかし、それでも存続していたことには、ちょっとした事情がある。
「あなたも知ってるだろうけど、あの部活は元々、学校になかなか馴染めなかった人たちのために用意した、一時的な避難所だったからね」
どうやら、そうらしい。
学内でなんとなく孤立してしまった生徒。
クラスの輪に溶け込むタイミングを逸してしまった生徒。
トラブルがあって、元のグループからはみ出てしまった生徒。
そんな生徒たちを守るための場として、レン先輩はあの地層研究部を存続させていたのだ。
「でも、無理に残す必要なんてないわよ? 今はSNSで繋がりなんていくらでも作っちゃえる時代なんだしね。実際、あの部活もほとんど活用できなかったし」
レン先輩はそう言って肩をすくめる。
実際、僕が入学した時、部員はレン先輩以外、誰もいなかった。
それでも、僕自身が、田舎から出てきたばかりの時、あの部活に助けられたのは確かだ。
「僕がいる間は、なんとか残してもらえるように頑張りたいと思ってます。その後のことは、わかりませんけど」
「そう? あなたがそう言うなら、任せるわ」
言いながらも、レン先輩は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
そのまま、僕たちはなんとなく並んで歩き始める。
「大学の勉強は忙しいですか?」
「そうね。よくも悪くも、放置されるから、きちんと自分で勉強しないと、あっという間に置いていかれちゃうわね」
レン先輩は高校の時から成績がよく、進学先も有名な女子大に進んだと聞いたことがある。
どこの大学だったかは忘れてしまったが、周りが凄い凄いと騒いでいたことだけはよく覚えていた。
「そういえば、ウチのサクラが迷惑かけてない? あの子、暴走するとおかしなことでも平気でやっちゃうから」
「…………いえ、大丈夫でしゅよ」
噛む。
昨日かけられたばかりだ、とはとても言えず、僕は適当に言葉を濁す。
しかし、それなりに付き合いの長いレン先輩はお見通しだったようで、くすりと笑みをこぼした。
「ふふっ。焦ると噛み噛みになる癖、治ってないのね」
「う……」
「大丈夫よ。想定の範囲内だから」
人差し指を立て、くるくる回しながら、レン先輩はそう言ってくる。
「あんな子だから、地層研究部を勧めておいたんだけど、迷惑にならない範囲で面倒見てあげて」
「はい、わかってます」
小さく頷いた僕に、レン先輩はこんなことを尋ねてきた。
「あ、そうだ。ちょうどよかったから、ちょっと樫の意見を聞きたいんだけどさ」
「僕の、ですか? 構いませんけど……」
改まって、レン先輩が問いかけてくる。一体、なんだろうか?
「正確には、一般的な男子高校生の意見が聞きたいの。もし、もしもよ? もしも、一人暮らしの女の子の隣に、妙な男が住んでいて、そいつが言葉巧みに女の子をその気にさせたとして、なにが目的だと思う?」
「目的……と言われましても」
話が漠然とし過ぎていて、いまいちイメージが掴めない。
「単に、その人が好きだったとか」
「ストーカーってことかしら?」
「その可能性もないわけじゃないでしょうけど、純粋に好きだった、ってこともあると思いますよ?」
「まあ、そうかもしれないけど……」
なにやら納得しない様子で、レン先輩は口元に手を当てる。
「ほら、お金目当てとか、そういうのも事件としてはありそうじゃない?」
「まあ、そうですね」
世の中、物騒な事件は多い。
そういうことも起こり得る、という前提で行動するのだって、大切なことだろう。
「やっぱり……わたしがきっちり、見定めてやらなくっちゃ」
レン先輩は一人、気合を入れていた。
マンションの近くまで来たところで、レン先輩は立ち止まると、
「あ、わたし、こっちに用があるから」
「はい。それじゃ」
「ええ。またね」
小さく手を振って、レン先輩は近所にあるドーナツ屋へと入っていった。
「そういえば、レン先輩、こっちになんの用だったんだろう?」
駅とは反対方向なので、あまり用もなさそうなのだが。
僕は自転車置き場に駐輪し、買い物の戦利品を手に部屋の前まで戻ってきたところで、
「――あ、雪斗さんっ」
嬉しそうに弾んだ声が、僕の背中を叩いてきた。




