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[02] 告白はリンゴと共に

 それは、なんてことのない平日の夕方の出来事だった。


「樫さーん、樫雪斗さーん、お届け物でーす!」


 という、宅配便のお兄さんの声と共に届けられたのは、大きなダンボール箱だった。


 台車に乗せられたそれは、人が隠れられそうなほどの大きさで、見るからに重量感が凄まじい。


「ここ、置いていいっすか?」

「あ、はい……お願い、します」


 滑舌の悪さを自覚している僕は、いつもなるべく、早口にならないよう、気をつけるようにしていた。

 慣れた相手であれば、落ち着いてそれができる。


 宅配便のお兄さんはいつも同じ人だから大丈夫だが、慣れるまで一年以上かかった。


「毎度どうもー!」


 爽やかな笑顔と、捺印された伝票と共に、宅配便のお兄さんは颯爽と去っていった。


 それを横目に、僕は玄関でダンボールに視線を落とす。


「ええと……ああ、やっぱり、母さんからか」


 送り主は、実家の母。


 高校入学と共に一人暮らしをしている僕のことを、何かと心配して、いろいろなものを送ってくれる。


「有り難いんだけど……いつも量が多いんだよね……」


 お米、野菜、レトルト食品、そして、果物――


 生活に必要なものを送ってくれるのは、本当に有り難いことだけれども、田舎の人ということもあってか、加減を知らない。


 何度言っても直らないので、もう諦めているが、上手く消費していかないといけないだろう。


 最近、皺の増えてきた母の笑顔を思い起こし、感謝の気持ちを抱きつつ、僕は巨大なダンボールを開けてみた。


「リンゴだ。しかも、こんなにいっぱい」


 そこに入っていたのは、大量のリンゴだった。


 緩衝材の上に整然と並べられたリンゴたちは、つやつやと輝かしい光沢を放っている。


 同梱されていた付箋には、元気でやっているのか、とか、健康には気をつけろ、とか、いつものことが書かれていた。


 そして、近くの農家さんで採れたものを送ります、と添えられている。


「嬉しいけど、果物ってダメになりやすいんだよね……」


 前に、桃が送られてきた時も、大変だった。


 ダメにしないよう、毎日五個も桃を食べ続けていた。桃は嫌いじゃなかったが、あれだけ短期間に大量摂取すると、人間の嗜好は変わってしまうらしい。


 正直、当分、桃は見たくもなかった。


「あの時の失敗はしたくない……ようは、一人で全部食べようとするからいけないんだよね」


 言って、リンゴを一つ、拾い上げる。


 ずっしりと重いリンゴは、僕の故郷の名産でもあった。


 前に、後輩の子が、とある珍しい品種のリンゴに興味を示している話を母親にしたせいだろうか。品種まで、それと同じだった。

 あの時、送ってこないように念を押しておくべきだったな……。


「さて、どうしようか?」


 リンゴのぎっしり詰まった箱を前に、僕は腕組みをして、思案する。


 ちょっと珍しい品種だが、等級も高いものだ。つまり、人様に差し上げても、問題のある品じゃない。


 けれど、問題は別のところにあって。


「でも、あげるような友達、いないんだよね……」


 いきなり学校にリンゴを持っていって、配っている自分を想像してみる。


 ――ダメだ。悲しい未来しか浮かんでこない。


「タピオカとかだったら、まだよかったのかな……?」


 そういう問題でもない気がするけれど、少なくとも、リンゴを教室で配る高校生がその後どうなるか、説明するまでもないだろう。


 きっと、影でリンゴくんとか呼ばれるようになって、アイフォンを使っているだけでくすくす笑われるようになる未来が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


「となると、学校以外の人……」


 想像してみるが、その方が難しい。


 高校進学の際、田舎から上京してきた僕には、近くに親戚もいなければ、幼いころからの友人知人もいない。


「バイト先もあげるような人いないし……となると……」


 ふと、一人の顔が思い浮かぶ。


 仲がいいわけでもない。

 それどころか、立ち話をちょっとする程度の関係だ。


 けれど、その笑顔は向日葵のように美しく、零れる言葉は宝石よりも透き通っている。


 僕はその人と会うために、毎日、特定の時間にバイトへ向かうことにしていた。

 そう、それは、ちょうど今くらいの時間。


 僕はリンゴをいくつか拾い上げると、玄関のドアを開け放った。


「――あ、こんにちは」


 僕の部屋の前をちょうど通りかかったのは、一人の女性だった。


 長くしなやかな髪に、くりりとした美しい瞳。

 フレアのスカートから伸びる両脚は白磁のように透き通っていて、向けられる笑顔は、後ろから光を当ててそのまま額に入れてしまいたいくらい、眩しいものだった。


 今まさに想像していた人物が唐突に現れたせいで、僕の心拍数は急上昇してしまう。


「こ、ここここんにちはっ!」

「今日も、これからアルバイトですか? お仕事、頑張ってくださいね」


 にっこりと、華やかな笑みを向けてくれる。


 この人の名前は、神楽さん。下の名前は知らない。


 というのも、名前を知ったのが表札だったからだ。

 マンションの隣の部屋に住んでいて、毎日、このくらいの時間に帰ってくる。


 年齢は僕より少しだけ上だろうと予測しているのは、制服姿を見たことがないからだ。


 会うのは部屋の前でだけだったが、いつもこうして、笑顔で話しかけてくれる。


 ――この人だったら、リンゴを貰ってくれるだろうか。


 いつも、その笑顔で優しい気持ちにしてくれるお礼だ。

 これを機にお近づきに、なんて、微塵も思っていない。

 そもそも、これだけ綺麗な人だ。きっと、イケメンでスーパーマンみたいな彼氏がいることだろう。


「あ、あの!」


 それじゃ、と部屋の鍵を取り出した神楽さんを、僕は慌てて呼び止めた。


 きょとんとした表情で振り返った神楽さんに、情けないくらいテンパりながら、僕は届いたばかりのリンゴを一つ掴むと、


「こ、ここここ、これっ!」


 そのまま、神楽さんの前に突き出した。


 いきなりリンゴを差し出され、神楽さんは不思議そうに小首を傾げると、


「リンゴ、ですか? これ、どうされたんです?」

「じ、じじ、実は、その、じ、実家から、送りゃれてきて!」


 ――噛んだ。


 自分で、自分の顔が一気に顔が赤くなるのがわかる。

 この滑舌の悪さは、昔から、僕のコンプレックスだった。


 緊張したり、慌てたりすると、つい噛んでしまう。


 これでからかわれたり、笑われたりしたことも、一度や二度ではなかった。


 しかし、神楽さんは気にした様子もなく、


「そうなんですね。え、では、もしかして私に……?」

「そ、そうでしゅ!」


 また噛んだ。


 さらに顔を赤くした僕は、なんとか噛んだことを誤魔化したくて、さらに、無用な言葉を重ねてしまった。


「じ、実家の名産で! 等級もいいヤツなんで、お、美味しいと思いますっ!」

「わ、ありがとうございます。とってもつやつやしてますね」


 素直に受け取ってくれた神楽さんは、小さく首を傾げて尋ねてくる。


「これ、ちょっと小さめですけど、なんていう種類なんです?」

「ちゅきです……!」

「……え?」


 神楽さんが、驚いたように目を見開く。


 このリンゴは、『千雪』という種類のリンゴで、あまり市場には流通していない、地元で消費されてしまう林檎だ。


 もしかして、『千雪』のこと、神楽さんも知っていたのだろうか?


 確かに、スーパーにも売っていない、希少性の高いリンゴなので、驚くのも無理はないだろう。


「信じられないかもしれないですけど、本当に、ちゅきなんです……!」

「い、いえ、その、信じられないなんてことは、全然、ないんですけど……っ」


 何故だか、神楽さんはリンゴのように顔を赤くして、ぶんぶん首を振ってくる。


 きっと、このリンゴの珍しさを、知っているのだろう。

 無理もない。僕だって、地元以外で『千雪』なんて種類のリンゴは見たことがなかった。


 それにしても、ここまで驚くものだろうか?


 そんな疑問が浮かんできたところで、神楽さんは、潤んだ瞳で上目遣いを寄越してくると、こんなことを聞いてきた。


「ど、どうして、その、私なんですか……?」

「もちろん、神楽さんに、食べてもらいたいからですっ!」


 よし、今度は噛まずに言えた。


 くだらないことで内心喜んでいた僕をよそに、神楽さんは、さらに顔を真っ赤にして、目を見開いてきた。


「た、食べて……!? ほ、本気なのです……?」

「はい、もちろんです!」


 全力で頷く僕の前で、神楽さんは瞬間湯沸かし器のように、頬を深紅に染め上げていた。


 ――後から考えると、僕はこの時点で、おかしいと思うべきだったのかもしれない。


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