[13] 肩を並べて
こと洋裁に関しては、店長は天才だと僕は思っている。
その知識と技術は服を作るだけではなく、服のクリーニングにも十分に活用されていた。
実際、通常のクリーニング店でクリーニングを断られた客からクリーニングを頼まれることも少なくない。
常時いくつもの薬品を用意しており、染み抜き程度であればお茶の子さいさいだった。
とはいえ、終わる頃にはそれなりの時間になってしまい、夕暮れの中、僕たちは帰路につくことにした。
「お洋服、お借りしてもよろしかったのでしょうか……?」
歩きながら、瑠衣さんは自分の格好を見下ろす。
瑠衣さんが着ているのは、店で試着していたふりふりのついた衣装だった。
着ていたワンピースは、染み抜きで多少濡れているため、紙袋の中に折り畳まれている。
代わりとして、店長はお店の服を着て帰るように言ってくれたのだ。
「売り物のようでしたし、私、買い取らせていただきたいって、お願いしたのですが……」
「店長が大丈夫って言ってたし。それに、代わりとして写真、撮ってたでしょ?」
「あ、はい。何枚か撮っていただきました」
店を出る前、店長は奥にある小さな撮影スペースで、衣装を着た瑠衣さんの写真を撮影していた。
「撮る時も説明があったかと思うけど、あの写真を使って衣装の宣伝とかするんだ。やっぱり、モデルが着てるのとそうじゃないのとじゃ、イメージが全然違ってくるから」
当然、それに応じて売り上げも変わってくる。
だから時々、専用の事務所から撮影用のモデルを派遣してもらっているほどだ。
「そうだったんですね……でも、私なんかに、モデルなんて務まるのでしょうか……?」
「それは大丈夫」
暗くなった帰路を並んで歩きながら、雪斗は自信を持って断言する。
「僕が見た中で、瑠衣さんは一番のモデルさんだったから。むしろ、今までのモデルさんの写真が霞んで見えちゃうかも」
「私が……ですか?」
「うん」
これだけ可愛いのだ。
誰だって当然だと考えるだろうが、どうやら、本人だけは違うようだった。
「なんだか、意外そうだね」
「そう……ですね」
腑に落ちないというか、いまいち実感がなさそうな様子で、瑠衣さんはぽつぽつと語り始めた。
「私、誰かに褒められることって、あまりなかったんです」
どこか遠くを見るように視線を持ち上げ、瑠衣さんは後ろで両手を組んだ。
「父は省庁で働く国家公務員で、とても厳格な人でした。母も同じ場所で働いていた人で、二人ともあまり家にいることが少なくて」
家では、家政婦さんと一緒にいる時間の方が長いくらいだったらしい。
田舎者の僕にとっては、どこか遠くの世界で紡がれた物語のようだった。
しかし、もちろん、そういう人たちは存在するのだろう。
「だからですかね? 私、子供の頃から、父や母と一緒にいる時間が嬉しくて。でもその分、一緒にいる時は、絶対に嫌われないようにしないとって想いが強くて」
「いい子でいた?」
「はい。お人形さんみたいにいい子にしていました」
ぺろり、と、瑠衣さんが舌を出して笑う。
その笑顔からは、どこか寂し気なものを感じ取ってしまうものだった。
「学校も、両親の決めた進学先に行くことしか考えてなくて。そのために一生懸命勉強して、言われた通りの部活に入って。それを不思議に思ったこともなかったんです」
親の言うことは、子供にとって、想像以上に強い影響を持つものだ。
善悪も、良し悪しも、親の価値観が子供に強烈な影響を与える。もちろん、それは良くも悪くも、という枕詞がつく。
「でも、だんだんと、そんな自分がおかしいことに気づいて。悩んでいたのもあって、大学も第一志望に落ちちゃったんですけど、それが両親もショックだったみたいで」
言って、瑠衣さんは軽く肩をすくめてみせる。
瑠衣さんが通っている大学だって、かなりの名門女子大だ。
それでもご両親がショックを受けるとは、よほど期待していたか、厳しい人たちなのだろう。
「そんな両親に頼んで、大学入学を機に、一人暮らしをさせてもらうことにしたんです。私も、お人形さんではなく、一人の人間として生きていかなきゃいけないって」
詳細は語らなかったが、一人暮らしには大反対されたらしい。
ひと悶着どころか、二つも三つもの障壁を乗り越えて、今の瑠衣さんがあるそうだ。
「でも、やっぱり、一人暮らしをしたくらいじゃ、人は変わらないですよね。私、自分がまだまだ子供で、まだまだお人形さんのままなんだなって、思うことがたくさんありますから」
そう言って、瑠衣さんはどこか寂しそうに微笑んだ。
きっと、変わりたくても、なかなか変われない自分に、焦りや失望を覚えているのだろう。
早く大人になりたいのに、大人になれない子供のように。
そんな葛藤と戦っている瑠衣さんに、僕は空を見上げながら口を開いた。
「確かに、人間ってそう簡単に、大きく変われないかもしれないけどさ」
どれだけ急いでも、一日で大人になることはできない。
後ろ向きな性格を変えることは難しいし、うじうじ悩んでしまう自分を変えたくても、変えることができる人はなかなかいない。
けど。それでも。
「変わったことだって、あるでしょ?」
「え……?」
驚いた様子で目を見開いた瑠衣さんに、僕はそっと、本心からの言葉を告げた。
「瑠衣さんが一人暮らしを始めたから、僕は瑠衣さんに会うことができたんだ。少なくとも、僕にとっては、瑠衣さんの決断があったおかげで、素敵なお隣さんができたんだから」
出会っても、会話するのはほんの数秒。
お隣さんといっても、顔と名前しか知らない関係。
それでも、僕にとって、瑠衣さんとの時間は、小さな幸せを感じる時間だった。
この世界で、僕と瑠衣さんが隣同士になった奇跡は、瑠衣さんが一歩を踏み出したからこそ、起こったことなのだ。
そう、だから。
「だから、ありがとう。瑠衣さんの決断に、僕は感謝するよ」
「雪斗さん……」
一度、大きく目を見開いた瑠衣さんは、ふにゃりと頬を緩ませた。
そして、胸元で両手をぎゅっと握り締めたかと思うと、
「やっぱり、私、決めました!」
僕の前にぐるりと回り込んできて、上目遣いを寄越すと、心なしか頬を染めて、こんなことを言ってきた。
「雪斗さん。今夜、空いてますか……?」




