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「ユージ、二人きりになれるところに……昨日の宿に行きたいです」
というミリーティエの要望で、二人は昨日の宿屋の一室にいた。
ベッドに隣同士で腰掛ける二人。
「ユージ、ありがとうございます」
「いや、困っている人がいれば助けるのは当然だ」
「それでも……私はユージが来てくれた時、本当にほっとしました。本当に怖くて怖くて……」
ミリーティエは「でも」と続ける。
「ユージにあげるはずだった初めてが……奪われてしまいました……」
ミリーティエの瞳に涙が溜まる。
ユージはミリーティエの頭を撫でる。
「頭を撫ででくれるなら、直接が良いです。ウィッグを外してください」
ミリーティエは甘えるように言う。
ユージはミリーティエのウィッグを外し、現れた美しい銀髪を優しくなでる。
「ユージ……私はもうダメですか? ファーストキスを奪われてしまった私はもう……これじゃあ、前の世界以下です。せっかく早くユージに会えるというのに、せっかく二周目だというのに……ファーストキスすらユージにあげられないなんて……もう私、自分が自分で嫌になりそうです」
ユージの顔は見られない。
ただ、虚構を見ながら、涙を流す。
「初めてのキスはユージにあげたかったのに……なんで……なんで……なんでこんな風に……今までずっと拍子抜けなほど上手くいっていると思っていたのに……」
「ミリー」
ユージに優しく抱き寄せられる。
そこは温かい。しかしもう、私は自分に自信を失っていた。
涙を流しながら、ユージとはもう、結ばれる未来はないのではないかと頭をよぎる。
「慈悲をください……私は……ユージに嫌われたら、もう何のために今生きているのか分からなくなります」
ユージは私を離す。
「ミリー、こっち見て」
その言葉に、ミリーティエは初めてユージを見る。
ミリーティエは、真っ直ぐ自分を見ているユージに、ユージは初めてがどうこうなんてことで、何か変わるような人じゃないと思い出す。
一方、ユージは、涙があふれるミリーの不安げな眼差しに、心がひどく揺れ動かされる。
再び、ユージはミリーを抱き寄せる。
ミリーティエもユージの背中に手を回し、抱き合う。
二人ベッドの上で優しく抱き合い続ける。
言葉なく、ベッドの上、温かく優しく続く。
二人は抱き合い続け、そしていつの間にかミリーは眠ってしまっていた。
「……かわいすぎるな」
眠るミリーをベッドに寝かせ、ぽつりと呟いたユージ。
そして自分がミリーのことを好きなことを自覚した。
安心しきったミリーの寝顔はいつまででも見ていられそうな気がする。ただ横で見ているだけでいとおしさが溢れ出そうになる。
枕に顔を半分隠し、その長い銀髪は美しくも乱れている。
姫だ。
白雪姫だ。
そう、その姿は毒リンゴを喰らい永遠の眠りについているようにも見える。
鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは?
目の前にいる少女こそが、世界で一番美しいと言われても何も疑問は抱かない。むしろ当然のようにすら思える。
時が止まったように眠る姿に、王子様のキスによって目覚めるシーンを思い出す。
顔が赤くなるのを自覚しながらも、ミリーから目を離せられない。
「ん……」
ミリーティエの時が動き、ユージは我に返る。
(まだ出会って二日目だぞ……ちょろすぎないか、俺)
内心そう思いつつも、結局、眠るミリーの寝顔を愛おしげに横から眺めるのだった。
*
オルグは細い路地に座り込んでいた。
頭からは血が流れ、体はボロボロだった。
「クソッ」
しかし体以上に心はボロボロだ。
ミリーティエから拒絶されるということはオルグにとって、耐えがたいものだった。
だからオルグは自分の心を守るために、ミリーティエの拒絶を曲解し続けた。
ミリーティエが『やめて!』と言う度、
いや、実はお嬢はそんなこと思っていない。心の奥底ではやめて欲しくないって思っているはずだ。
そんな風に曲解し、自己正当化し続けた。
ユージと戦った時も、ミリーがユージに『助けて!』と言う度、オルグの脳はフル回転して自分の心を守る。
だからこそ、オルグは負けた。
はっきり言って戦闘については、ほとんど何も考えていなかった。お嬢が俺よりユージを選ぶなんてありえない! ありえない! ありえない! と心は荒れ狂っていた。
オルグは強い。
それはもう本当に強い。ユージも強く、異世界転移の際にチート能力と言って良い能力をゲットしたが、それはどちらかと言えば成長チートと言うべきものであり、いきなり最強になれるようなものではなかった。けれどそうと言っても半年ほどでユージはかなり強くなった。でもそのユージをもってしても、フェアな条件で戦闘をしたら万が一にもユージは勝てないだろう。それほどオルグは強いのだ。
それなのに負けたのはやはり、オルグの心へのダメージがそれはそれは大きいから。
「もう生きている意味がないな……」
オルグは呟いた。
お嬢にあんなひどいことをしてしまったのだから、生きる意味はなくなった。あの日からこの命はお嬢のためにあるのに……逆にお嬢の嫌がることをするなんてあってはならない。
死刑だ。
死をもって償おう。
生きる意味はなく、死ぬことにしか意味は見いだせないこの命。
「いい死に場所があればそれで……」
死ぬことでお嬢に迷惑をかけるわけにはいかない。
ひっそりと死のう。
誰にも分からないような場所で……
オルグはひとり街を出る。
*
ミリーティエが目を覚ますと、その目の前にユージの顔があった。
突然のことにドキリとするミリーティエ。
ユージはベッドの横の床に体を置いて、上半身をベッドに倒れこませているようだ。そのせいで顔が自分の真横まで来てしまっている。
もしかして私の寝顔を見ながら、寝てしまったの?
前の世界で、ユージがこういう姿勢で寝ていたとき、『どうしてそんな姿勢で寝ていたのですか?』と聞いたら顔を赤らめて『ミリーの寝顔を見てたんだ……』と言ってくれたことがあった。うん、今思い出してもあの表情のユージはぐっと来るものがあります。
同じシチュエーションですし、やっぱり?
そこまで思って、ふと冷静になる。
「いえ、そんなはずありませんか……」
あのシチュエーションでは、助けられた側が助けてくれた人に恋するものだ。
断じて、助けた人が助けられた人に恋するわけではない。
それにあの後、みっともなく泣いてしまいましたし……
はぁ……
と内心、ミリーティエはため息をつく。
初めてのキスはユージに捧げられなかったですし、その点ではこの世界の方が悪化している、とも言えますよね……
「はぁ……」
ため息をつく。
「いけません、ため息は美容によくありません」
ミリーティエはそう言って、無理にほほ笑む。
ベッドから立ち上がり、黒髪のウィッグを付ける。
そして部屋の外に出ようか、と思ったところで、やっぱり、と踵を返す。ベッドの端に腰掛け、部屋の窓から空を見上げる。
「……オルグに会わせる顔がありませんね」
絶対の信頼を置いていたオルグに襲われた。
ミリーティエは未だに、なぜ襲われたのか分からなかった。前の世界含めて、オルグが私の嫌がることをするなんてこと、一度もなかったというのに……冗談でからかわれたりはありましたけど。
ただ、もしオルグに会ったら、どうなるのか分からなくて少し怖い。
あんなことするなんて、オルグは私のこと嫌いになってしまったのでしょうか?
ミリーティエは見当違いのことを思う。
そもそもミリーティエはオルグのことを全然わかっていない。
ミリーティエは、オルグを遊び人で彼女が何人もいても不思議じゃないと本気で思っている。そしてそのせいで泣かせた女の子もたくさんいるだろう。だけどそれでも過去に助けられた恩を忘れず、自分の完璧な従者であり続ける忠実な一面も併せ持つ。そんな風にミリーティエは評価していた。
この評価……実は見当違いも甚だしいものであったりする。
もう全然違う。
だってオルグは女性経験皆無で、ミリーティエに一途なだけなのだから。
チャラく見えるのも、なるべくカッコよく見せようとするオルグの涙ぐましい努力なのだ。
しかしそんなことミリーティエは欠片も想像していない。
それゆえ、ミリーティエの懸念は180度変わってくる。
オルグに嫌われたのかも――と。
第一王子がいるのに、こんなユージラブなところを見せていたわけだし。失望されたのかも……よくよく考えれば失望されるのは当たり前ですか。オルグならどんな私にでも忠誠を誓ってくれると信じていた私が愚かでしたね……
もうオルグは私の従者になってくれないのでしょうか?
ミリーティエは空に浮かぶ雲を見る。
このとき既に、オルグは街にいなかった。