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「お嬢、昨日は同じベッドで寝たのか?」
同じ部屋で寝たことは、オルグは分かっていた。
一晩中、一睡もせずに外から見守っていたからだ。つまり現在、オルグはユージ同様に寝不足の真っただ中でもある。
「はい、そうです。あの二人は信じませんでしたが、さっきも申し上げたんですけどね……それより、隈がありますね。ユージも目に隈ができてましたが、オルグにもあります。どうしたんですか?」
「いや、別に……何も」
まさかお嬢に一晩中ずっと見守っていたなんて知られるわけにはいかない。ダサいし。
例えばお嬢がユージとかいう奴に愛想をつかして、部屋から出た場合。
俺の宿に来るにも、一度夜道を通らねばならない。当然お嬢みたいな超絶美少女に群がるハエはいるだろうし、お嬢がそいつらの対応に困るかもしれない。そんなときに颯爽と現れてお嬢を助ければ、『やっぱり頼れるのはオルグだけですっ!!』となって、キスをしてくれるかもしれない。
またはお嬢がユージとかいう奴に襲われて悲鳴を上げるかもしれない。
そんなときに俺が部屋に突入しユージをぶん殴る。殺すぐらいの気持ちを持ってぶん殴る。私怨を込めてぶん殴る。そしてお嬢が俺に惚れ直し、キスを……
そんな妄想をしつつ徹夜をしたオルグであった。
「慣れない場所だと寝るのに苦労する人っていうことでしょうか? オルグもユージも」
ミリーティエは見当違いのことを言う。
オルグが寝れなかったのも、ユージが寝れなかったのも、元凶は自分自身だということにまるで気付いていない。
「それで……手は出されていないんだよな?」
オルグは聞く。
さきほどユージは手を出していないと言っていたが、やはりミリーティエ自身の口から聞きたかった。
「ええ、同じ別途で寝たというのに全く何もしないなんて……まあユージらしいといえばそうですが……」
「そうか……」
「私とユージは赤い糸で結ばれていますから、ユージが私のことを大好きになる日は遠くないですよ」
ミリーティエは自信満々だ。
「さて、ユージが寝ている間は暇ですね……どうしましょうか、冒険者登録でもしておきますか」
冒険者登録をした後は、簡単な薬草採集の依頼を受け、早々と昼過ぎに帰ってきたミリーティエとオルグ。
ミリーティエはこれから約一年後の未来、ユージと出会い、恋に落ち、結婚し、そして冒険者となる。
だから実は冒険者としての経験は結構あるし、この世界でも冒険者になっておいて損はないはずだ。それに前と同じように体が動くかという検証も兼ねていた。
「ん~、やっぱり体が思ったほど動きませんね」
今の自分は大して何も鍛えていない自分だ。
日常的に冒険者稼業をする未来の頃と比べると、明らかに動きが悪かった。
「だけどちゃんと技術は覚えています」
山の中での歩き方や、薬草の見分け方、魔物の習性などなど。冒険者になってから学んだことは多い。それらがちゃんと身についているのを確認できたのは、純粋に嬉しいことだ。
そうミリーティエは思った。
冒険者ギルドで換金し、どこかで昼食を食べようと道を歩くミリーとオルグ。
「そろそろユージが起きてくれているといいのですが……」
何気ないミリーティエの発言に、オルグは一気に不機嫌になる。
二人で楽しく冒険者のお仕事をしたというのに、“ユージ”という言葉が聞こえたからだ。
「……お嬢、飯を食うぞ。大量にだ」
「え、ええ。もう昼を過ぎてますしね、お腹減りましたよね」
「ああ、そうだな」
「……なんか不機嫌ですね、今日のオルグは。先ほどまでは大分期限が回復していたようですが……やはり体調が悪いのでは?」
「いい、大丈夫だ」
「そうですか。私にできることがあったら、言ってくださいね?」
ぐらり。
オルグは倒れそうになり、道路に膝をつく。
「ちょっと! やっぱり体調がよろしくないのでは?」
ミリーティエはそんな様子のオルグに寄り添う。
「いや、大丈夫だ」
そう言ってオルグはゆらりと立ち上がる。
そして右手でおでこ抑えながら、ふらふらと歩く。
「全然大丈夫そうには見えないですよ! 宿屋にって休みましょう。ね?」
ぐらり、と再びオルグは倒れそうになる。
「大丈夫だ」
なんとかバランスを取り、近づこうとするミリーティエを手で静止しようとして――
むにり。
手がミリーティエの胸に当たってしまう。
「キャッ!」
「わ、わりぃ、お嬢」
「うぅ……」
ミリーティエは顔を赤くして、オルグから少し距離を取る。
それからは無言のまま、オルグの宿に着く。
ちなみにこの街には二つの宿があり、ユージとオルグの泊まる宿は別の場所だった。
「じゃ、じゃあ、オルグ、ゆっくり休んでね……」
「そ、そういえば、お嬢はこれからどうするんだ?」
「ユージに会おうかと思っているけど」
「お嬢一人なんて、ダメだ! 悪い男に襲われるかもしれない!」
「そう? 今の私を見て襲う人がいると思う?」
ミリーティエは自慢の銀髪が隠れているため、襲う人はいないと考えている。
それに今は昼だ。こんな明るい時間帯に襲う奴はいないだろう。
「ダメだ! お嬢はもっと自分の容姿に自信を持った方が良い!」
「そう? 別に自分に自信がないわけじゃないけど」
「お嬢の美しさは、もう異次元の美しさだ!」
「ふふっ、異次元の美しさって褒めてるの?」
「ああ、もちろん!」
「オルグ、ありがとね。じゃあユージに会うまでの間、護衛してもらおうかしら」
オルグは誇張して言ったつもりはないが、ミリーティエにはそう伝わった。
ミリーティエは内心、そんなに私が一人だと不安? と思いつつも、なぜかオルグに元気が戻っているようで、ちょっと安心した。
「む、行きますよ?」
ミリーティエは先ほどから空いていた距離感を埋めるように近づき、オルグの手を取る。
そしてオルグの手を引く。
「あ、ああ」
これはまるで恋人のようだとオルグは思いながら、お嬢の背中を追って歩く。
「お嬢、なんでユージなんだ? てかユージって誰だ?」
一度ははぐらかされた質問を再び問う。
「ユージは私の将来の夫です。ユージと私は赤い糸で結ばれていますから」
「赤い糸? そんなものあるのか? あったとしても、どうやってそれを知ったんだ?」
「そうですね、天啓でしょうか」
天啓。
ミリーティエは内心、この言葉を選んだことに自画自賛していた。
未来から過去に戻るということは、超常的な現象であり、神のいたずらに他ならない。
だとすれば、未来での経験とはすなわち、天啓だと言ってもいいだろう。
「天啓って……ずるい」
「ずるい?」
「そんなことで……そんなことでっ!」
「オルグ、どうしました? 大丈夫ですか?」
ミリーティエは立ち止まり、振り返る。
「なんで……王子はどうするんだ?」
「王子はそうですね。私よりふさわしい相手がいると思いますから……」
ミリーティエの脳裏に思い浮かぶのは、忌々しい平民の女。
王子と彼女は高校で出会い、そして親睦を深めていくという未来になっている。
そこで邪魔になった私は、婚約破棄を言い渡され国外追放となるわけだ。そして出会うのが私の最愛の人、ユージである。
今はまだ高校が始まったばかりのはずだけど、もう未来の通りにするなんて馬鹿らしいし、ユージと一緒に過ごせればそれでいい。
「じゃあ、本気でユージとかいう平民と結婚するつもりなのか?」
「はい。失望しましたか?」
「……ああ」
ミリーティエはオルグの様子がいつもと大分違うことに気付く。
それに『ああ』って……オルグが私に失望したってこと?
オルグはいつだって私の味方だった。婚約破棄され国外追放になった時も、最後まで抵抗して、そのせいで牢屋に入れられたけど、それでも最後に会ったとき『お嬢、これはお嬢のせいじゃないから。俺の意志だ』と、そう言ってくれたんだから。
初めて見るオルグの雰囲気に、一歩後ずさるミリーティエ。
初めて今自分がいる場所を心細く感じる。
細い道で、人の影は見えない。真昼間とはいえ、この空間には自分とオルグしかいない。
なぜか怖くなって繋いでいた手も離そうとしたが、オルグが離してくれない。
「お嬢」
ミリーティエはオルグに手を引かれ、オルグに抱き着くような形になってしまう。
そして肩を掴まれ、オルグの目と目が合う。
「んっ!」
キスをされた。
軽いキスをされた。
ミリーティエは一瞬、頭が真っ白になったがすぐに復活する。
「ちょっと!! やめてください!!」
「……やめない」
そしてオルグに抱きしめられる。
強く強く抱き締められる。
「ぐ……本当にやめてください」
両腕に力を込めて、オルグから必死に離れようとするが、全然無理だ。
強く抱き着かれているせいで、大声もだせない。
細い路地で誰も助けに来るはずのない場所。
「ほ、本当にやめて!」
「お嬢……お嬢……」
誰か助けて……
怖い。
オルグの豹変が怖い。
オルグは絶対私の味方だと思っていた……
そうじゃないの?
どんなときも私のことを第一に考えてくれていた。今回、帝国に来た時だってオルグならすぐ付いてきてくれると思ったからこそ、連絡しなかったし……
「オルグ、なんで?」
「お嬢……俺は……」
オルグは再びミリーティエの肩を掴み、二人は見つめる。
「や、やめて!」
「いきなりお嬢がユージとかいうどこの馬の骨ともわからん奴を好きになるなんてありえない! 天啓? どうせ呪いだ!」
「そんなことありません! 私は正常です! 私は本当に……」
「それに天啓だとしても、お嬢の気持ちをないがしろにするなんて許せない! 俺が目を覚まさせてやる!」
「私はユージのことが大好きですから! 目を覚ますのはオルグのほうです! 離してください!」
「無理だ、ここで離したら、お嬢がどこかに行ってしまう気がする……」
そして人気のない路地で、再びオルグの顔が近づく。
キスだ!
キスが来る!
気づいたミリーは顔を横に背け、腕で顔を守る。
「本当にやめてください!」
「お嬢……本当に俺は、お嬢のためを思って!」
そしてオルグはミリーティエの両腕を掴む。
「嫌! 嫌です!」
強引にキスを迫るオルグ。
ミリーティエの目にはじわりと涙が浮かぶが、ぐっとこらえ、オルグを睨む。
しかし効果はないようだ。
オルグの顔が迫る。
二度目のキスも回避不可能かと思われたそのとき……
「明らかに嫌がってるよね?」
現れたのは、黒髪黒目の異世界人、ユージであった。
「ユージッ! 助けてっ!」
ミリーティエは、最愛の人ユージの声を聞いて、反射的にそう叫んでいた。
「嫌がっている女の子に無理やりなんて――たとえどういう状況であっても許されないな」
「ふざけんな、格好付けてんじゃねぇぞ。それに、二人の子から言い寄られるようだな? その上、お嬢にも手を出そうとするなんて最低のドクズだ!」
「な!? そんなつもりは……」
「じゃあ、いいよな? お前には関係ないだろ?」
オルグはそう言って、見せつけるようにミリーティエを抱き寄せる。
「うっ……やめてって言ってますよね? ユージ、助けてくださいっ!」
「おい、ミリーが嫌がってるだろ。離れろ」
ユージは無自覚にも、怒っていた。
「ひゅー、怖い怖い……お嬢、お嬢の抱いている呪いをぶち壊してやるよ。俺がこいつをぶっ倒してやる」
オルグは腕をまくり、こぶしを鳴らす。
「お嬢、見ててください。俺が助けてやるから」
臨戦態勢に入るオルグに対して、ユージは困惑だ。
「え、え、え……落ち着いて! 暴力じゃ何も解決しないから!」
「じゃあ黙って殴られろ!」
そして、オルグはこぶしを振り抜いた。
しかしそれは宙を切る。
すんでのところでユージは後ろに飛び、距離を取った。
「へぇ、やる気か」
「戦うしかないのか……」
今まで魔物としか戦ったことのないユージにとって、人と戦うことにかなりの抵抗があった。
「ユージ! 気にせず倒しちゃっていいからね!」
ミリーティエはユージの性格をよく知っているので、躊躇しているのが分かった。
鼓舞するミリーティエに、ユージは半身の構えを取る。
ユージは本当は剣士なのだが、今は持ってないため拳で戦うしかなかった。
一方のオルグはこぶし一つがいつものスタイルだ。
当然、
「ぐおっ」
ユージは蹴りを貰い、地面に手を付いた。
「おいおい、どうしたんだ? その程度か?」
そこにははっきりとした実力差があった。
オルグには余裕が感じられる。
「そんな……なるほど、そういうことですか……」
一方、ミリーティエは予想外の展開に、やっと理解が追いついたところだった。
ミリーティエの知るユージはこれから一年後のユージだ。
その頃のユージは収納袋を持っていて、剣がないなんて状況にはならないはずだ。それに、その頃のユージは本当に強く、こぶしでもオルグに負けるようなことはないはずだ。
オルグも強い。オルグも相当に強い方ではあるが、ミリーティエの知るユージは、本当に規格外と言わざるを得ないほどに強かった。
だからミリーティエはユージが現れた時点で、とりあえず助かったと思ってしまっていた。
「ぐ……ミリー、逃げろ……」
「心外だな、俺はお嬢のための行動しかしないというのに」
ユージは立ち上がり、オルグを睨む。
そしてユージはゆっくりとオルグに近づく。
「お? まだやるのか?」
「ミリー、逃げて」
ユージは懇願する。
そしてミリーティエは――
――逃げることなく、オルグとユージの方に歩く。
「なっ!? なんでこっちに!?」
「おい、よそ見してんじゃねぇーぞ!」
一瞬、ミリーティエに視線を動かしたユージに対して、オルグはこぶしを振り上げた。
ユージはなんとか躱すが、次々にオルグの拳が飛んでくる。
「ぐっぐっ」
なんとかしのぎ続けるユージ。
「守ってばっかじゃ、じり貧だぜ?」
「――そんなことないですわ」
オルグの真後ろまで近づいていたミリーティエは突然、回し蹴りを放つ。
「お嬢……」
オルグはその細い足をなんなく掴む。
しかしオルグの心には浅くないダメージが入る。
「俺がお嬢を正気に戻してあげますから……」
悲しそうに呟くオルグに向かって、
「おらああああああ!」
ユージはこぶしを振るう。
そのときちょうど、ミリーティエはバランスを崩して倒れそうになる。
当然のことだった。足を高い位置で取られているのだから……
そしてオルグはミリーティエが倒れないように支えるが……
「ぐっ!」
ユージの拳をわき腹に貰ってしまう。
オルグはその予想以上の威力に顔をしかめる。
「おらおらおらああああああ!!」
このままではミリーがどうなるか、分かったものではない。
ユージは卑怯でも、ミリーを助けるためと吹っ切れ、なんどもオルグにこぶしを振るう。
「ぐぅう……」
オルグは地面に膝をつく。
「ミリー、逃げるぞ」
「はいっ!」
流石にそれ以上追撃するのは気が引けたユージは、ミリーの手を引き、大通りへと逃げて行くのだった。