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とある喫茶店の個室。
ユージは「ここなら誰にも聞かれないだろう」と言って座った。
ミリーティエはユージの向かい側に座る。そして黒髪のウィッグを外し、自慢の銀髪を晒す。
「おお……」
「どうでしょう? 綺麗だと思いませんか?」
ユージは顔を赤くして、俯きながらコクリと頷く。
ニーナとルカから好意を向けられても無視してしまうくらい、彼は初心だった。
ユージは「ふー」と呼吸を整えてから、
「君は日本人なのか?」
ユージは確信を持った口調で尋ねた。
異世界転移の際、自分の外見に変化はなかった。そのため自分の姿を憶えている人がいても不思議ではない。
ミリーの銀髪を見て、彼女は異世界転生なのではないか? と思ったので自分からは彼女が誰なのか分からないのでないか、と思った。
しかし、ミリーティエの口から出た言葉は意外なものだった。
「いいえ、違いますわ」
「え?」
「私はニホンジンではありません。チキュウという場所出身というわけでもありません。ですが……ユージがニホンという場所出身で、半年ほど前にこの世界に転移してきたのは知っています」
ユージは全く分からなかった。
反射的になんで? と聞き返そうと思ったが、それはあまりに自分が馬鹿にみえるのでは? と思ってためらった。
しかし、少しの間ミリーの言っていることを考えてみたものの、つまりどういうことなのかよく分からない。
「……つまり、あなたは?」
結局、少し問いかけ方が的を射たものになっただけだった。
「ミリーと呼んでください」
「えっと、ミリーは何者なんだ?」
「そうですね……なんと答えましょうか……」
この先の未来で愛し合う関係だ。
そして私は逆行してきたその相手だ。
それが正しい返答であるものの、それはあまりよろしくないとミリーティエは思った。
そう言えば、優しいユージは私と表面上は恋人らしく振舞ってくれるかもしれない。
でもそれじゃ……身もふたもないとないというか、なんというか。ただ漠然とミリーティエの中に、言ってはダメだという直感があった。
「私のことは好きですか?」
ミリーティエはユージの手を取り、尋ねる。
「えっと……嫌いではないけど……」
「ふふっ、ユージらしい答えですね……私のことが大好きになったら、答えてあげます」
そう言って、ミリーティエは身を乗り出し、ユージの頬にキスをした。
女性に対する耐性がないユージは、グアーとこみ上げる感情に振り回されそうになるが、なんとか耐え、
「じゃ、じゃあ、もし、今……俺がミリーのこと大好きだって言ったら?」
平静を装う。
「言いません。ユージは嘘を付くような人ではありませんから」
我が物顔でそういうミリーティエに、じゃあ大好きっていってやろうかと思うユージ。
「俺は……ミリーのことが……」
「はい」
真っ直ぐにこちらを見るミリーの瞳に、出かかった言葉は引っ込む。
「……」
「私のことがなんなんですか? ユージ」
「い、いや、何でもない!」
これじゃあまるで好きな女の子に告白できない小学生だな……と内心、自分のことをあざ笑う。
ただ体の中にある感情という名のエネルギーは衰えることなく、心臓をバクバクと脈打たせ続けている。
「ユージ、何で私がユージのことを知っているのか、気になるでしょう?」
「あ、ああ」
「私のことを大好きになれば、答えます。だからユージが私のことを大好きになれるように、できる限り手伝います」
再びミリーティエはユージの手を取る。
「な、なあ。なんでそれなんだ?」
「それ、とは何でしょうか?」
「だから……大好きにならないと答えないっていう」
「それは当然、私がユージに私のこと、大好きになって欲しいからです」
「じゃ、じゃあ……」
これを聞くのはためらわれたが、ミリーがこれだけ言うのだし……と聞くことにした。
「ミリーは俺のことどう思ってるんだ?」
真っ直ぐミリーを見て、尋ねる。
ミリーは頬を少し赤らめる。
その姿に、ぐわっとユージは感情の大波に襲われる。
ミリーは頬を赤らめたまま、上目遣いでユージを見て、
「女の子に告白を催促するんですか?」
と言った。
至上、最もな指摘に、ユージには返す言葉もない。
「いや、ごめん」
「いえいえ、いいんですよ。私が、ユージが私を大好きになれるように手伝いを申し込んだのが先ですし……でも、私の手伝いは受け入れてくれるということで、いいんでしょうか?」
「あ、ああ」
ユージは同意した。同意してしまった。
ミリーの言うことが突拍子もなさ過ぎて、ユージは冷静さを欠いてしまってした。
だが仕方のないことだろう。『お手伝いします』と聞かれれば、とりあえず場つなぎ的に『あ、ああ』と軽く言ってしまうのは。
ミリーは満面の笑みで、
「じゃあ、今日からお手伝いしますね!」
と幸せそうに笑った。
*
二人は席を立つ。
個室から出る際、ミリーティエは黒髪のウィッグを付け直し、
「こうしてみるとお揃いの黒髪ですね」
と微笑む。
ユージは喫茶店の会計を済ませながら、結局、ミリーが何者なのか、全然分からなかったな……と内心、苦笑した。
ただミリーが日本を知っているのは確かだろう。日本と言う言葉を先に出したのは自分だったが、地球という言葉はミリーが出したものだから。
一方、ミリーティエはとても満足していた。本来、ユージと出会うのはこれから一年近く後のはずだが、その頃は結構女性への耐性はあった。しかし今日のユージの可愛い反応に、ミリーティエはそれは嬉しかったし、いつも余裕のあるユージの、あまり見たことのない姿が印象に残る。
「ユージ!」
ミリーティエは手を差し出す。
「手を握りましょう」
そう言うと、ユージは頬を赤らめる……が、何もしない。
「握ってください。ユージが私のこと、大好きになれるように……手伝います」
「あ、ああ」
ユージは手を取ってくれた。
手もつなぎ慣れていないんですか……とミリーティエはこの時期のユージに驚く。ユージは大人でもっと余裕があるイメージでしたが……新鮮でちょっと面白いですね。
むにゅっ!
「うおっ!」
ミリーティエは調子に乗って、ユージの腕に身を預ける。その豊満な胸がユージの腕に押される。
二人が喫茶店からでると、4人の男女がいた。
ユージの冒険者パーティメンバーである、ニーナ、ルカ、アレク。
そして、ミリーティエの従者、オルグ。
この中でアレク以外の3人は、その様子を見て不機嫌ゲージがぐぐぐっと一気に膨れ上がった。
それも当然、意中の異性が、別の奴といちゃいちゃいちゃいちゃしながら出てきたのだから。
むにゅっ! むにゅっ! むにゅっ!
(くっ! 胸が小さい私への当てつけかっ! 機動力はこっちが上なのにっ!)
(ご主人様! 胸がお好きなら、その女じゃなくても、ルカでもいいじゃないですか!)
(そこの地味男! お嬢から離れろ! そして俺と代われ!)
3人の男女の内心は穏やかじゃない。
一方、女遊びをよくする男アレクは、
(ユージ……つれない奴だと思っていたが、裏でこんな美人と付き合っていたのか、それなら理解もできるな)
とひとり納得していた。
「ユージ! そんな奴から離れて! そいつはこのオルグって男と付き合っているんだから!」
ニーナは嘘を叫ぶ。
そんなこと言われれば、通常のオルグなら即座に『違う。俺はただ、お嬢に付き従う者だ』と答えただろう。しかし今のオルグはいつもとは違った。ユージを睨んで黙る。
「えーと、ミリーはオルグの彼女なの?」
無言で睨まれて居心地の悪いユージは、なるべく冷静に、なるべく慎重に、と自分に言い聞かせながら、ミリーに聞く。
ニーナとルカは多分、怒ってる。このオルグって男も怒ってる気がする。下手なことを言えば、すぐにそこに噛みつかれてしまうだろう……
しかしミリーティエは神経を逆なでするような、諭すような声色で言う。
「違います」
そして――
むにゅにゅっ!
ミリーティエはさらに胸をユージに押し付ける。
一方、ユージはもう何も考えられないほどに、理性がヤバかった。
「ユージ! なんで離れないの! 私よりそんな女のことを信じるの!?」
「そうですよ、ご主人様! 早く離れてください!」
わめく二人に、ミリーティエは「はぁ……」とため息をついて、ユージの腕を離した。
「二人の要望通り、離れました。これでいいでしょうか」
「ダメよ! ユージのそんなすぐそばに立って! もっと離れなさい! よく恋人の前でそんなに堂々としていられるわね!」
無茶苦茶なニーナにミリーティエは再度「はぁ……」とため息をつき、
「何か勘違いをされているようですが、オルグは私の兄です。そうでしょう、オルグ? オルグからも言ってください」
「お嬢の言う通りだ……」
オルグはそこまで催促されて、やっと同意した。ただしユージを睨みながら。
ちなみに現在二人は兄妹という設定で落ち着いている。しかし呼び方が全く変わっていない。兄のことを“オルグ”と呼び、妹のことを“お嬢”と呼ぶ兄妹なのであった。
「えー! さっきは兄だなんて何も言わなかったじゃん! サイテー、私が嘘を付いたみたいじゃん!」
ニーナは叫ぶ。
確かにその通りで、オルグの態度をそう誤解するのも無理のない話だった。オルグは自分のことについてほとんど何も喋らず、自分の名を名乗ったくらいであるが、彼氏? と聞かれてもだんまりを決め込んでいたのだ。
ユージの腕を離し、傍らに立つミリーティエは、ニーナとルカの姿を見てずっと気になっていた疑問を口にする。
「あら? エルフと猫獣人はいないのですか?」
「エルフ? 猫獣人? 何の話をしてるのよ!」
「ニーナさん、多分、あの女の頭がおかしくなったんです!」
ミリーティエがユージに出会ったときは、ニーナとルカ以外にも、エルフと猫獣人がいた。どちらも美少女で、4人で自分に噛みついてきてとても面倒だった。結局はユージが全員を振って、私にプロポーズしてくれたんだけどね。
今はたった2人しかいないし、前に比べたら大分楽だろうと内心、ミリーティエは思っているのだった。
「ユージ! そもそもその女はなんなの! どんな関係なのよ!」
「う~ん、同郷の人――」
――だと思うけど、と心の中で、ユージは続けた。
「同郷の人!? ユージの故郷ってすんごい遠くなんじゃないの!?」
「そうだよ。まさか、会えるなんて思ってもなかった」
ニーナの中でミリーティエはうざいストーカー女と確定した。
だってユージの後を追ってここまで来るんでしょ? ヤバい奴じゃん。受付嬢から聞いた話によると、この女、将来のユージの妻だって言ったらしいし。将来の妻は私なのに!
「私がユージを守るんだから!」
「ルカもご主人様をお守りします!」
「ルカちゃん! 一時休戦よ!」
「ええ、ニーナさん、私もそのつもりです」
ストーカー女からユージを守るために一致団結し、二人は手を握った。
「そうです! ユージはどこに住んでいるのですか?」
ミリーティエが会った時は、ユージは新築のなかなか大きな家に住んでいたが、今はまだその家はないようだ。今日のオルグとの街の散策の際にあったはずの家がないことに気付いていた。
「……じ、実は、ニーナの家の居候なんだ」
「やっぱりそうですか……」
「やっぱり?」
ミリーティエはユージがこっちの世界に転移してから少しの間、ニーナの家に厄介になっていたのを知っていた。だからユージが今ニーナの家の居候なのは予想がついていた。
「そうなのよ! 私とユージはひとつ屋根の下で暮らす関係なんだから!」
ニーナは胸を張る。
「ルカもユージとひとつ屋根の下です! 同棲です!」
ルカも胸を張る。
「ユージは2人と付き合っているわけではありませんのに、同じ屋根の下だなんて……下品ですわ」
「なっ!? なんで私とユージが付き合っていないってわかるのよ!」
「ルカは人生をご主人様に捧げています! もう付き合ってる以上の関係だと言っても過言じゃないです!」
「あ! そんなこと言ったら私だって! 親公認であとはユージだけなんだから!」
わめくニーナとルカ。
「やっぱり居候になるのは、周りに誤解される可能性があるし、この機会に宿屋でも取ることにするよ」
とユージ。
実は最近2人からのスキンシップが増えてきて、耐えられなくなりそうだという理由もあった。
「別に! 何も誤解なんて起きないから! むしろ誤解されまくって欲しいみたいな……」
「そうです! ニーナさんの言う通りです! ご主人様が気にするようなことじゃないです!」
「そ、そうか……?」
ユージはあまり納得していない。
「ユージ、2人はあまり貞操観念が分かっていないようです。若い女の子が、ユージみたいな若い男と同じ家に住んでるなんて、絶対に悪いううわさが広がります」
「やっぱり、そうだよな……」
決心がついたユージは開口“ごめん”から始めそうになったが、“ごめん”より“ありがとう”だという言葉を思い出す。
「ニーナ、ありがとう。今まで家に泊めてくれて。この恩は一生忘れない。でもずっと甘えているわけにもいかないし、こうして大分安定もしてきた……心寂しいけど、なんとか一人で生きてみるよ。このままずるずるといっても良くないと思うし」
「えー! そんなことないよ! ユージなら一生居てくれていいよ!」
「俺のことを思ってそんな大げさなことを言ってくれるのか……でも、なおさらちゃんとしないとな。迷惑はかけられない」
「いや、冗談じゃなくて……本当に迷惑なんて何もないよ! ずっと住んでいればいいよ!」
「うん、ありがとう。ニーナへの恩はいつか必ず返すよ」
「うぅ……ルカぁ、この朴念仁ユージになんか言ってやってよぉ」
「仕方ないですね。ユージ、でも私は一生ついていきますから!」
「いや、やっぱり一緒だとルカにも悪い噂が立つかもしれない。ニーナが良ければ、ルカはそのままニーナの家に住まわせてもらえないか? 女の子の一人暮らしは危険だと思うし」
ユージの決心は鈍らない。
ミリーティエはニーナとルカに近づいて、小声で言う。
「お二人さん、恋愛は押しより引きですよ?」
その言葉に、ニーナとルカは何も言えずに押し黙った。
一方、ミリーティエ自身も一度引くことにした。
「ではしばしの別れです、またね、ユージ」
可愛らしく手を振って、オルグを連れてミリーティエはユージたちと別れたのだった。