第九十三話
お久しぶりです。第三章を開始します。
ナオルくん達の冒険を、これからも見守って頂けたら幸いです。
「おい皆、街道を見つけたぞ。オークの姿も見えない。今なら彼処を進めそうだ」
偵察から戻ってきたマルヴァスさんが明るい口調で告げた。
それを聴いて、うつむき加減でぐったりしていた僕とメルエットさんが弾かれたように顔を上げる。ちらりと横目で見たメルエットさんの表情が俄に晴れ渡ったように見えたのは、目の錯覚では無いだろう。
「やった……! やっとまともな道に出られるのね!?」
きらきらと瞳を輝かせて喜びの声を発した後、すぐに我に返ったのかメルエットさんはコホン! と咳払いをひとつして調子を改めた。
「では急ぎましょう。一日も早くランガル領に入らねばなりません」
「心配するなメリー、カリガ領はもう抜けてる。あの街道を辿れば今日中には何処かの村のひとつでも見つかるだろう」
「後はオークが現れない事を祈るのみ、ですね」
浮かれかけた気分を引き締めるように僕は言った。
ネルニアーク山のワームとの激闘を制した後、僕達一行は勝利の余韻に浸る間も無くひたすら北へ急いだ。カリガ領主のモントリオーネ卿と組んだオーク達が、このまますんなり僕達を逃してくれるとは思えない。是が非でも僕達の口を封じようと執拗に追ってくるだろう。何せこちらの手中には、モントリオーネ卿とオークの大将レブの間で交わされた密約の証拠が握られているのだ。
焦燥感に背中を押されるような逃避行。常に背後から追ってくる気配に神経を尖らせ、僅かな休息を挟む他は昼夜兼行でおよそ人の通る場所とは思えない獣道をひた走る日々。もう何日経過したかも覚えていない。
これまでに二度、馬に跨ったオークの追手部隊を目にした。幸いな事にどちらもやり過ごせたが、彼らが視界から消えた後もしばらくは警戒して、そろそろと地面を舐めるようにおっかなびっくり移動する羽目になった。悪路における中腰での長時間運動はこの若さでも腰にくるのだと思い知った。
いい加減心身共に疲弊の極地に差し掛かったあたりで、ようやく聴けた朗報。僕やメルエットさんだけでなく、コバやローリスさんも表情に生気を蘇らせた。
僕達は、それまでの疲れも忘れて競い合うように街道へと転がりでた。草一本生えてない平らに伸びる地面を目にした時、僕は思わず涙ぐみそうになりかけた程だ。きちんと舗装された道路を歩ける有り難みを、今程痛感した事はあるまい。
それまでと同様、マルヴァスさんを先頭に、ローリスさんを殿に置いた編成で僕達はその街道を更に北へと進んだ。
オークを警戒しながら歩を進めていると、ややあって三叉路に差し掛かかった。年季の入った木製の標識が道辻に立てられている。
「モルン……村……。こっちの道を進めば着くようだな」
ボロボロに擦り切れた標識の文字を、目を細めながらマルヴァスさんが読み上げる。
「良かった……! あの間道、なんだかんだ言ってちゃんと繋がっていたのね!」
メルエットさんが、緊張の糸が切れたみたいに万感の籠もった安堵のため息を吐く。僕も張り詰めていた気持ちがホッと緩むのを感じた。
「人里があって助かった……」
「ああ、モルン村なら地図で見た覚えがある。ランガル領の南端に位置する小さな村だ。どうやら完全にカリガ領は脱したようだな」
と、こちらに向いている『カリガ』の標札を拳で軽く叩きつつ、マルヴァスさんがニヤリと笑う。
「んならもうオーク共を拝む事はねェな。奴らだってまさかランガルにまで踏み込んでは来ねェだろ?」
そう言って、ローリスさんが《トレング》を肩に担ぎ直す。彼の顔にもゆとりが戻ってきていた。
「そう願いたいものだが、此処はまだ境界線に近い。とっとと先に進んだ方が良さそうだ」
「賛成ですね。いい加減、旅のホコリを落としたいですし」
「同感よ、ナオル殿。とにかく今は、何を差し置いても湯浴みがしたい気分だわ」
メルエットさんが眉を寄せて自分の身体を見回す。ここ数日における逃避行の所為で、彼女の肌やら髪やら服やらも汚れが目立つようになっていた。かくいう僕も、そしてコバやマルヴァスさん達も似たようなものだ。むさい野郎共ならまだしも、女性の、それも伯爵令嬢として育ったメルエットさんにこの状態はキツいだろう。それでも彼女は、今日この時まで一言もそれを気にするような事は言わなかったのだ。状況が状況だったとは言え、よく辛抱してくれたものだと思う。
マルヴァスさんもメルエットさんの心情を汲んでか、彼女を振り向いて微笑んだ。
「だな。一先ず村に行けば宿のひとつも在るだろう。最悪それらしい施設が無くても、村人と交渉して食料やら寝床やらを得られないか打診してみよう。それに、あわよくば足の確保も出来るかも知れないしな」
「そうですね。しかしマルヴァス殿、私達の素性は……」
「明かさない、でいこうメリー。話が拗れる上に村人達を危険に晒しかねない」
「……ごもっともです。我々はただの旅行者。此処ではそういう事にしておきましょう」
メルエットさんは神妙に頷き、残った僕達を見渡した。勿論僕達にも異論のあろう筈が無い。メルエットさんの目を見ながらしっかりと頷き返した。
村での振る舞い方を打ち合わせた僕らは、そのままモルン村への道を進んだ。ようやく一息つけるという安心感の所為か、誰の足取りも軽い。
実際にその村が見えるまで、然程の時間は掛からなかった。
「ナオル様! 御覧ください、彼処に柵門がございますです!」
コバのはしゃいだ声を聴くまでもなく、僕も気付いていた。
前方に、太い丸太で組まれた柵が横一面に広がっている。丁度僕達から見て正面に門があり、傍には櫓も設えられている。
「中々しっかりした村のようだな。もっとも、今は見張りが居ないようだが」
手を目の前にかざしながら、マルヴァスさんが観察する。確かに櫓の上に人影は無く、門もしっかりと閉じられていた。
「柵はかなりの高さがあるようですね。此処からでは向こう側の様子が分かりません」
無駄と思いつつも、僕はつま先立ちになり首を伸ばしてなんとか柵の内側を覗こうとする。
「阿呆、そんなんで見えるかよ」
ローリスさんが呆れた声を出した。
「とにかく門の前まで行ってみましょう。大声で呼びかければ、誰かに気付いてもらえるかも知れません」
メルエットさんに促され、僕達は更に歩を進めた。近づくにつれ、柵の重圧感が増してくる。マグ・トレドの街壁には及ばないが、此処の柵もかなりの威容を誇っていた。
「……む、おい待て、あれを見てみろ」
不意にマルヴァスさんが足を止め、柵を指差す。僕は怪訝に思って彼に訊いた。
「どうしたんですか?」
「柵が所々傷付いている。しかも真新しい。どうやら最近、この村で戦闘があったようだな」
「えっ!?」
言われて、慌てて目を凝らして柵を見直す。確かに彼の言う通り、あちこちに何かで斬りつけられたような跡があったり、突き立ったままの矢が残っていたり、一部が軽く割れたりしていた。
「……盗賊の類にでも襲われたか? 確かランガルの辺りはソラスから流れてきた賊徒がウジャウジャいやがるって話だったが」
「かも知れんなローリス。何せモントリオーネの手引きがあったとは言え、カリガにまで入り込んできていたんだ。この村が戦火に巻き込まれていてもおかしくない」
「そんな……! だったら村人は……!?」
メルエットさんが青ざめる。言い終わると同時に彼女はマルヴァスさんの返事も待たず、門前へと駆け出そうとした。
「動くな!!!」
凛とした声が僕達を真っ直ぐに射抜く。衝撃に打たれたかのようにメルエットさんが足を止めた。
僕はハッ!となって櫓を見上げる。先程まで無人だったその場所に、誰かが弓を構えて立っていた。
スラリと伸びた長身。風にたなびく金色の髪。そこから覗く、尖った長い耳。
「エルフ……!?」
絵に描いたようなエルフが、端正な顔を敵意で歪めて僕達に狙いを定めていた。




