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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第九十一話

 まるで大地ごと喰らわんとするかのように、怒れるワームが地を這いながら僕達に向けて猛進してくる。月光を浴びて艷やかに光る鱗、それらを激しく波打たせて蛇行する様は、まさに蛇竜の名に相応しい威容を誇っていた。

 あの薄暗い坑道で襲われた時の比じゃない。僕達は、まさに蛇に睨まれた蛙の如くその威圧感に呑まれ、足の甲に杭を打ち込まれたかのようにその場で動けなくなってしまった。


 「ナ、ナオル……!」


 僕の腹に回されたメルエットさんの腕が震え、抱きしめる力が強まる。その強さで、呆けかけていた正気を取り戻す。


 「くそっ……! もう一度……!」


 再び手を前に掲げ、印契を結ぶ。だが、間に合わない――!

 ワームの牙が、目の前で大写しになる。その刹那、


 「ざけんなァァァァ!!!!」


 視界の端から、ローリスさんがワームに飛び掛かった。自分を無視して通り過ぎようとする蛇竜の胴に、《トレング》の重厚な一撃が叩き込まれる。

 ワームは突進を止め、怯んだかのように顎を引く。大口を閉じる動作で生じた風が僕達の頬を掠めた。

 ワームが苛立たしげにローリスさんの方を振り向く。それからいきり立って、下から突き上げるように彼目掛けて頭突きを放った。


 「うおっ!?」


 ローリスさんはカウンターで《トレング》を頭頂に叩き込もうと身構えるも、ワームの動きは疾く迎撃態勢を整えるのが間に合わなかった。辛うじて身を捩って躱したが、バランスを崩して膝を付いてしまう。そんな彼を更に追い詰めるように、背後から尾が迫って囲い込もうとする。あっという間に逃げ道が塞がれ、ローリスさんは窮地に陥った。


 「ローリス殿! くっ……! ナオル、早く……!」


 「分かってる!!」

 

 メルエットさんに急かさせるが、僕の心にも焦りが生まれ、上手く印契に魔力が送れない。火の念を浮かべようとしても、先程受けた威圧感の余韻とローリスさんの窮地に心を乱されてしまい上手く行かないのだ。

 このままでは……! 僕の脳裏に最悪の予想がよぎる。

 だが、ワームの尾がローリスさんを巻き上げようとしたタイミングを衝いて、あの人が仕掛けた。


 「はああああッッ!!」


 喉から裂帛の気合を発し、マルヴァスさんがワームの胴に飛び乗る。そして、《ウィリィロン》を鱗に差し込むと、魚を捌くようにワームの皮膚を縦に斬り裂いた。




 ――ガァァッ!!




 ワームが苦痛に呻き、ぱっくりと割れた胴から血が吹き出す。マルヴァスさんは《ウィリィロン》を引き抜くと、そのままワームの胴の上を駆け、頭部に迫らんとする。

 しかしながら、ワームもただやられっぱなしでは無い。とぐろを巻くように身体を激しく捻り、マルヴァスさんを振り落とす。空中で猫のように身体を反転させながら、マルヴァスさんは地面に着地した。

 彼の目が一瞬こちらを向く。


 『今の内だ!!』


 そんな彼の心の声が聴こえたような気がした。


 「よ、良しッ!」


 僕は意を決し、再び印契に魔力を込める作業に没頭しようとした。


 「ナオル様! コバめのすぐ後ろに泉が迫っておりますです! 先程のをもう一発放たれますと、我々は泉に落ちてしまうかと!!」


 「だったら何よ! 嫌なら離れなさい!!」


 「い、いいえ! ただ事実を申し述べたまでです! コバめは最後までお従い致しますです!!」


 メルエットさんとコバの応酬を片耳で聴きながら、僕は必死に火の念を送り続ける。

 

 「(……だけど、この一発で仕留め切れるとは思えない。僕が泉に落ちたら、すぐには次の火球を放てない。僕達が這い上がるまでに、マルヴァスさん達がやられてしまったら……? いや、時間が無い! 考えるな、ただこの一発に賭けろ! 大ダメージを与えて、ワームの動きを鈍らせれば御の字だ!)」


 集中力を高めようとする傍ら、心の片隅で起こる懸念を必死に打ち消そうとする。目の前の現実は相当差し迫っているんだ。迷いや逡巡が最大の敵だ! 余計な事は考えず、さっさと火の印契を……!


 「(……ッ!?)」


 不意に、世界がセピア色に染まった。全ての音が止み、荒れ狂うワームも、マルヴァスさん達も、背中のメルエットさん達までも動きを止める。

 この空間そのものが切り取られ、世界から取り残され停滞してしまったかのような感覚。そんな静止した時間の中で、ただひとり、僕の息遣いだけが響く。


 「なん、だ……!?」


 余りに突発的な事態に、僕は混乱する。

 その時、僕の耳元で懐かしい声がした。




 ――ナオル、あいつを楽にしてやれ。お前の魔法で。




 「(……!? 姉さん……!?)」


 ずっと会いたいと切望していた人。隣家の幼馴染。比良坂那美ひらさかなみ

 ある日突然、兄と共に霞のように姿を消してしまった彼女の声が、今、僕の耳に……!

 僕は、夢の続きを見ているのか……?




 ――さあ、ナオル。描くんだ、『渦炎かえん』の魔法陣を……。




 鼓膜を撫でる声に導かれるように、僕は組んでいた手を解き、右腕をゆっくりと目の前にかざす。

 そして、脳裏に浮かぶ図式を形にしようと、人差し指で虚空に描き滑らせる。透明なキャンバスがそこにあるかの如く、指を動かした後に赤く光る筋が軌跡を残した。


 「(なんだ……? 一体僕は、何をやっている……?)」


 思考の片隅で、冷静な自分がその有様を見て戸惑っている。しかし、指は止まらない。姉さんの声に促されるまま、“こうしなくちゃならない”という思いに駆られるまま、流れるように作業を続ける。

 振り向きたい、と思った。しかし、右腕以外はまるでその場に固定されてしまったかのように動かない。その右腕にしても、果たして自分の意思で動かしているのかどうか。

 そうこうしている内に、魔法陣はどんどん描き上がってくる。細かい文字のようなものまで、夢の中で見たものと全く一緒だった。こんな複雑な術式を、一度見ただけの自分が正確になぞっているというのが信じ難い。そんな超人的な記憶力なんて、僕は持ち合わせていない筈だった。

 

 「ナオル、それは……!?」


 すぐ後ろで、メルエットさんの声が上がる。いつの間にか、セピア色の風景は元通りになっていた。目の前では未だマルヴァスさん達とワームの激闘が続いている。

 そして、その修羅場を他所に、とうとう僕は姉さんの魔法陣を完成させた。




 ――よくやった、ナオル。




 姉さんが僕を褒めてくれる。こんな時だと言うのに、彼女の嬉しそうな声を聴いて僕の頬が緩む。姉さんが喜んでくれた。その事実に、ほんの一瞬全てを忘れて満足感に浸った。

 僕の描いた赤い魔法陣が、自己の纏う光を益々強めていく。魔力が激しく増幅されていくのが見ていて分かる程だ。魔法陣の周囲が陽炎のように揺らめき、風景の輪郭が歪む。

 

 「……ッ!?」


 マルヴァスさんが、そしてワームが、異変に気付いてこちらを振り向く。ぼやけた風景の向こうで、その動作がやけに緩慢に見えた。

 直後、ワームの真下に僕の描いた魔法陣と同一の、しかしその巨体全部を囲い込む程に大きさを増した“それ”が姿を現した。


 「やばいッ!! 離れろ、ローリス!!」


 マルヴァスさんが叫び、二人が下の魔法陣の範囲から飛び退って逃れる。

 その刹那――――










 魔法陣から、巨大な火柱が吹き上がった。









 瞬間的に、辺りが昼間のように明るくなる。火山の噴火にも似たその火柱は、良く見ると竜巻のように全身が回転しており、激しく立ち上る本流を装飾するかのように紐状になった火線が何本も巻き付いている。漫画で見る高威力のレーザーとか、まさにあんな形をしていた。

 そしてその炎の竜巻の中で、藻掻き苦しむワームの姿が、焼き付いた影のように黒くなって踊っている。突然自分を呑み込み、一切の苛責無く燃やし尽くさんとする炎を呪うかのように、ワームは天に向かって断末魔の咆哮を放った。


 「う、ぐッッッ!!?」


 僕の右腕に激しい痛みが走る。手の甲に、手首に、肘に、二の腕に、赤い亀裂が何条も走り、そこから血が吹き出す。


 「ナオルッ!!?」


 「ナオル様!!?」


 メルエットさんとコバが、驚いた声を上げる。「大丈夫」と返事をしようとした矢先、目の前に影が落ちる。


 「――ッ!?」


 顔を跳ね上げると同時に、巨大な炎の柱が目に飛び込んでくる。今まさに、ワームがこちらに向かって倒れようとしているのだと瞬時に悟った。


 「危ない!!!」


 メルエットさんが、僕を抱き竦めたまま横に向かって飛んだ。そのままもつれ合って地面に倒れた僕達の足先を、炎の熱が炙った。

 巨大な物体が水面を打つ衝撃と、激しく上がる水しぶきと、大火が水によって消火される轟音。ワームは本能的に助かろうとしたのか、その上半身を泉に突っ込む形で倒れ込み、そして…………息絶えた。


 「……………………」


 しばらく、誰も声を発する事が出来なかった。鎮火されていない下半身の炎が、ワームの亡骸を炙る音だけが、いつまでも続いていた。


 「…………!?」


 戦いの終息を悟ったのか、程なく何処かからスファンキル達が姿を現して泉に戻ってくる。ひとつ、ふたつ、と見る間にその数は増えていき、黒焦げと化して水面に浮かび上がったワームの頭に集い始める。物言わぬむくろの上で、彼らは穏やかに舞い、周囲に綺麗な光の粉を散らしていた。


 「スファンキルは、死者の霊を慰める精霊……」


 ぽつりと、メルエットさんが呟く。以前にも聴いた言葉だった。もしかするとあのスファンキル達は、隠れながらも最後まで僕達の戦いを見届け、そして死んでしまったあのワームを憐れみ悼んでいるのかも知れない。

 朦朧とする意識の中で、ぼんやりとそんな事を思った。右腕のあちこちからは、血が止まらず流れ出している。




 ――よくやった。お疲れ、ナオル。……それから、ゴメンな。




 頭の中で、甘い郷愁を誘う声を聴いたのを最後に、僕の意識は闇へと落ちた――――。

次回で第二章は終わりです。

思ったよりもかなり長くなってしまいました……。

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