第九十話
「ナオル! 《ウィリィロン》を貸せ!」
「え? マルヴァスさん!?」
マルヴァスさんが、ワームから目を離さずに《ウィリィロン》を構える僕に向けて左手を伸ばした。
「接近戦は俺達でやる! ワームが俺達に気を取られている隙に、どでかい魔法を見舞ってやれ!」
「でも、大丈夫ですか!?」
そう言いながらも、僕は素直に彼の手に《ウィリィロン》を預けた。元々の持ち主の手に戻り、月光を浴びた剣身が心なしか嬉しそうに光る。
「さっきの立ち回りを見ていただろう? 任せておけ! 行くぞローリス!」
「おう!!」
右手に長剣、左手に《ウィリィロン》を持ったマルヴァスさんと、《トレング》を構えたローリスさんが同時に地を蹴って駆け出す。ワームまで後二十歩という辺りまで迫ったところで、二人はまるで示し合わせたかのようにそれぞれ左右に分かれた。僕達の方から見て、マルヴァスさんがワームの左側、ローリスさんが右側だ。両サイドからの同時攻撃でワームを翻弄するつもりなんだろう。
ワームは僅かに首を左右に振って二人を視認したものの、どう対処するか決めあぐねたかのように動きを止めた。
完全に先手を取った形である。しかもマルヴァスさんが回り込んだ側は、ワームにとって死角となっている。これはいけるか……?
と、思った矢先に再びワームが動きを見せた。
大きく首を巡らし、巨大な口腔を開いて自分の周囲に弧を描くように溶解液を吐いた。ワームへ肉薄せんとしていた二人は、已む無く後退せざるを得なくなる。滝のように流れ落ちる溶解液がワームの両側面と前方を薙ぎ払い、溶けた地面からもうもうと煙が立ち上ってベールを形成する。まるでバリアか何かみたいだ。
更にワームは、月を丸呑みにせんとするかのように天に向って開いた口を伸ばす。そこから溶解液が噴水のように発射され、シャワーのように全方位に降り注いだ。攻撃範囲は森の木々にまで及び、溶けた葉や枝等が嫌な煙を吹き出しながら地面へと舞い落ちる。
こうなっては尚更近付く訳にもいかず、マルヴァスさん達は回避に専念してワームの攻撃を凌くしか無い。
「あち! あちち! ちくしょうがっ!!」
汚濁した飛沫を避けながらローリスさんが毒づく。そこへワームの尾が、地面を滑るように迫ってきた。しかし、空からの被弾に気を取られたローリスさんは気付かない。
「ローリスさん、右です右!!!」
僕が叫ぶと、ようやくローリスさんは襲い来る尾に顔を向けた。咄嗟に《トレング》でガードするも、そのまま弾き飛ばされる。
「ぐおっ!!?」
背中から地面に倒れ込むローリスさん。幸いにもそこまで威力のある一撃じゃ無かったらしく、すぐさま上半身を起こして立ち上がる。
「野郎……!!」
憎々しげに歯ぎしりするローリスさんを睥睨するワーム。すると注意が一方に逸れたその隙を衝いて、マルヴァスさんが溶解液の撒かれていない箇所を縫うように疾駆してワームに接近する。気取られる事無く間合いに踏み込んだところで左手の《ウィリィロン》を一閃させ、胴体の皮膚を思い切り斬り付けた。
――グゥウウ!!?
突然身体を襲った痛みに驚いて、ワームが首をすくめる。それから四つになった目を全てマルヴァスさんに向けて、「またお前か!」と言いたげに吠えた。
そしてそのまま、再度の溶解液を吐き掛けた。
マルヴァスさんは飛び退ってそれを躱すと、一目散に背後の森の中へと駆け込む。ワームは尚も追撃を緩めなかった。続けざまに自分を狙ってくる溶解液を、マルヴァスさんは木々を盾にしながら防ぎ、あるいは移動ついでに避け、凌いでゆく。
「……! 今だ!」
僕は急いで印契を組んだ。ワームはマルヴァスさんを溶解液で狙い撃ちしながら、自身は殆ど動かずその場に留まっている。今なら、さっきのように火球を放って命中させられるだろう。
苦い思いを抑え込み、上がる呼吸音と心拍数に耐えながら慎重に照準を合わせていると、不意にお腹に細い腕が回され、背中に柔らかいものが押し当てられた。
「……!?」
驚いて首を回すと、メルエットさんの顔がすぐ後ろにあった。彼女が、いきなり背後から僕に抱きついたのだ。
「メ、メルエットさん!? ここ、こんな時に何を……!?」
彼女の取った予想外の行動に軽く混乱する。しかしメルエットさんは真面目そのものな表情で告げた。
「私が、あなたを支えるわ。反動で倒れたりしないように」
「い、いや! でも……!」
「私は戦いの役には立たないけど、あなたの支えくらいにはなれるわよ!」
「そういう問題じゃ……!」
当たってる、豊かな弾力が二つ、思いっきり背中に押し付けられてる。これまで余り意識していなかったけど、こうしてみるとメルエットさんの胸は結構デカい事が分かる。僕だってこう見えて思春期男子なのだ。戦闘の真っ只中とはいえ、こんな事をされては意識がそっちに流れてしまう!
「コバめもお手伝い致しますです! メルエット様と共に、ナオル様をお支え致しますです!」
僕の戸惑いの意味を知ってか知らずか、コバまでもが進み出る。
「コバ、あなたは私の後ろに付きなさい!」
「了解致しましたです!」
そう言って、コバはメルエットさんの背中にへばり付く。ゴブリンを醜い生き物と毛嫌いしていた筈のメルエットさんが、コバの申し出を受け入れて身体に触れさせるのを許した。実に驚くべき心境の変化で、それは良いことなんだけど……!
「集中しなさい! あなたの魔法が頼りなの! 私やコバに構わず、撃って!!」
「……っ! わ、分かった! やってみる!」
激しい叱咤を浴びて、僕も何とか前方へ意識を戻した。
マルヴァスさん、ローリスさんの頑張りを不意には出来ない。集中しろ……! 背中の感触は気にするな! ワームを討つんだ!
必死に心の中でそう繰り返しながら、印契に魔力を注ぎ込んでいく。
火の情景……。燃え盛る炎……。雑念を消し、ひたすら火のイメージを念じ続ける。
赤く発光する印契。潮が満ちるように、魔法を使う機が巡ってくる。
「……いくよ! メルエットさん、コバ!」
二人が頷いた気配を察して、僕は魔法を発動させた。
印契から、大砲の弾のような火球が飛び出す。同時に逆ベクトルの巨大な圧力が来て、僕達三人の身体を圧迫する。
「うぅ……!」
「きゃっ……!」
「ひっ……!」
僕達は、喉から悲鳴を漏らしつつも両脚で精一杯踏ん張って、靴底で地面を軽く抉りながら後ろへと後退した。メルエットさんとコバの助力を得たお陰でこれまでのように転倒するまでには至らなかったものの、やはり凄まじい反動だった。
そして、一方の放った火球はどうなったかというと……。
ワームは、膨れ上がる異様な気配、というか魔力を察知したのか、火球を撃つ直前でこちらの方に顔を向けた。その時点で、既に結果は見えていたのだろう。何せ同じ攻撃を喰らったのはさっきのさっきだ。僕の魔法を警戒していない筈が無い。
印契から発射された火球は、すんでのところでワームに躱されてしまった。
「しまった、外した……!」
僕の呻きを聴いて、メルエットさんとコバが息を呑む。
――グァァァァ!!!
赤く染まったワームの目が僕をロックオンする。元々の標的にして、更には自分の顔を焼いた相手だ。もうワームの意識は、僕から逸れるまい。
そんな僕の懸念を肯定するかのように、怒れるワームは威嚇するように大口を開け、そのまま僕達目掛けて突進してきた――!