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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第八十七話

 ――よう、ナオル!


 「……あれ? 姉、さん?」


 気付いたら、目の前にナミ姉さんの顔があった。いつもと変わらない、悪戯っぽい笑みを浮かべて僕を見ている。


 「此処は何処?」


 と僕は尋ねる。


 ――さあ? 何処だと思う?


 と、姉さんははぐらかす。

 僕は辺りを見渡してみた。遥か彼方まで広がる澄み渡った青空と、ふわふわとした巨大な綿みたいな白い地面。試しに一歩踏み出してみると、柔らかい弾力がして僕の足がのめり込む。


 「歩きにくいな」


 と僕。


 ――どう? 雲の上の世界に来た気分は?


 と姉さん。


 「雲の上? 雲ってただの巨大な水たまりじゃなかったっけ? こんな綿みたいにふわふわする?」


 そもそも、上に乗っかれもしないだろう。筋○雲とかなら話は別だが。


 ――しないよ、本当はね。だってこれは、あんたの夢だもの。


 「夢……? なんだ、夢か。そりゃそうだよね、大体姉さんはもう…………」


 もう、僕の前から居なくなっちゃったから。そう続けたかったのに、何故かそこで言葉に詰まった。あれ? どうしてだろう?

 考えてもイマイチ理由が分からない。それどころか、頭がボーッとしているように感じる。明晰夢でありながら、意識が夢現になってしまっているのだろうか。


 ――ナオル、気を付けなよ。


 居る筈の無い、幻の姉さんが真面目な顔をして僕を見つめる。目に真剣さを湛え、緊張に引き結ぶ唇。滅多にしない表情だ。最後にあの顔を見たのは、兄さんに自分の気持ちを告白すると僕に決意を告げに来た時だった。彼女と兄さんが揃って消えてしまったのは、その翌日だ。


 ――あの獣は、まだあんたを諦めていない。


 幻が、まるで本物のように僕を心配する言葉を放つ。


 ――あいつも竜の一種。ナオルを見つけた以上は、生命が尽きるまで追ってくる。アレはもう、そこまで狂ってしまっているから。


 意味が分からない。それなのに、幻の姉さんの言葉は、まるで砂に染み込む水のように僕の中に浸透してくる。


 ――あいつを楽にしてやんな、あんたの魔法で。印契じゃまだ威力が足りないだろうから、コイツでな。


 そう言って、幻の姉さんは指で虚空に何かを描き出す。曇ったガラスをなぞった時のように、彼女の指が中空に赤い軌跡を残しながら進んでいく。同じ仕草を最近何処かで見たような気がするけど、思い出せない。

 程なく完成したそれは、ファンタジーで良く見るような魔法陣の形を成していた。円の中に描かれている意匠、これは…………竜巻か何かだろうか?


 ――火魔法のひとつ、その名も『渦炎かえん』。対象を中心に炎の渦を巻き起こし、跡形も無く燃やし尽くす。これならあいつもイチコロさ。魔法陣を描いて、相手を目視して“当たれ”と念じるだけで良い。な? 簡単だろ?


 ウィンクをしながらニヤリと笑う姉さん。いつもながらの、不敵な笑みだ。


 ――頑張れよ、ナオル。絶対に死ぬな。


 そう言うと、俄に姉さんの身体が白い光を放つ。それはどんどん大きくなり、あっという間に目の前を覆ってしまう。

 別れの時だ、と直感で理解した。同時に、ぼんやりしていた意識が一気に覚醒し、感情が膨れ上がる。


 「待って! 姉さん!!」


 僕は叫びながら必死に手を伸ばした。姉さんの姿は白光に包まれ既に見えない。それでも、一縷の望みを掛けて一心不乱に光の中を手探りで探す。


 「行かないで!!!」


 血を吐くように懇願した刹那、僕の腕はとうとう彼女の腕を掴まえ――――








 「きゃっ!!?」


 そして、一気に夢から現実へと還る。

 白い光も、姉さんもそこには居なかった。代わりに居たのは…………


 「い、いきなり驚かせないでよ、もう!!」


 「メ、メルエットさん……!?」


 顔を真赤にして僕を睨みつける、メルエットさんだった。僕はすぐには事態を把握できず、呆然として瞬きを繰り返す。


 「おいテメェ! 何お嬢様に触ってんだ! その手を離せ!!」


 頭上からローリスさんの怒声が降ってくる。それでようやくメルエットさんの腕を掴んでいる事に気付いた僕は、慌てて手を離して彼女を解放した。


 「わっ!? ごご、ごめんっ!!」


 「ごめんで済むか! この野郎!!」


 「いえ、良いのですローリス殿! どうかお構いなく!」


 拳骨を振り上げるローリスさんを、メルエットさんが慌てて制した。


 「ですがお嬢様……!」


 「その、驚きはしましたけど、もう大丈夫です。ナオル殿が思ったよりも元気でむしろ安心しました」


 「あの、ところで此処は? 僕達、あれからどうなって…………?」


 ローリスさんが昂ぶる怒りを何とか鎮めてくれたのを見ながら、僕はおずおずと尋ねた。


 「まだネルニアーク山の中だ。坂は終わったみたいだけどな」


 マルヴァスさんの声が背後からしたのでそちらを振り返った。大破した荷車が、彼の後ろの方で虚しく放置されている。その向こうでは、茂みに張り付いたコバが背中越しに振り返って僕の様子を窺っていた。どうやら夜目が利くから見張りを任されていたらしい。僕が起きたのに気付いて心配そうに見つめているので、軽く笑い返して安心させる。コバは僅かに嘆息して顔を正面に戻し、見張りを続ける。


 「……僕達、助かったんですね」


 大木に激突する直前の光景を思い出し、僕は身震いしながら言った。


 「マルヴァス殿に感謝しなさい。投げ出されたあなたが地面に落ちる前に、彼が受け止めてくれたのよ」


 「そうだったんですね……。すみませんマルヴァスさん、ありがとうございます」


 「気にするな。それよりも、立てるか? そろそろ移動しようと思うんだが」


 「僕、どれだけ気を失っていたんですか?」


 マルヴァスさんの手を借りながら、僕は何とか立ち上がった。身体の節々が痛むが、歩けない程じゃない。


 「然程経ってない、ほんの寸刻さ。だが如何せん、此処はまだカリガ領だからな。このままではあのオーク共や、他のモントリオーネの手勢に嗅ぎつけられるのも時間の問題だ」


 「これからどうします?」


 「当初の予定通り、間道を行こう。元の道には戻れなくても、北に進んでいけばいずれぶつかるだろう。幸いにもこの森は思っていた程深くないし、今夜は晴れて星もよく見えるから方角は分かる」


 「おい、勝手に話を進めるんじゃねェ! 決めるのはお嬢様だ!」


 「いえ、マルヴァス殿の言う通りにしましょう」


 ローリスさんが不満を露わにするが、メルエットさんは一考もせずにマルヴァスさんの言葉に賛意を示した。


 「先程の様子からして、オーク達もすぐには追撃の態勢に移れないでしょうが、土地勘が備わっていない我々も有利とは言えないのです。進める間に、出来る限り先を急がなくては」


 「ですがお嬢様、夜中の強行軍になりやすぜ! お身体は大丈夫なんで!?」


 「お気遣いなく。オークの根城で十分休息を取りましたから」


 メルエットさんは皮肉を利かせ、不敵に笑ってみせる。あの逆境で精神を鍛えられたのか、僅かなりともしたたかさを身に着けたらしい。ローリスさんもそんな彼女を見て何か感ずるところがあったのか、それ以上言い募るのをやめた。


 「コバ! どうだ? 異常はあるか!?」


 「……いえ、特に動くものはございませんです! 近くにはオークどころか、獣一匹居ないようでございますです」


 報告しながらコバが戻ってくる。


 「よし、んじゃ行くか。ナオル、歩くのが辛かったらコバやメリーの手を借りな」


 「お任せ下さい! ナオル様はこのコバめがお助け致しますです!」


 「おいマルヴァス! しれっとお嬢様を混ぜるんじゃねェ! ……ガキ、テメェも男なら自力で歩けや!」


 「ローリス殿、ナオル殿も仲間です。しかも彼は怪我を負っています。余り厳しく当たらないであげて下さい」


 「う……! お、お嬢様がそう仰るなら、俺もなるだけ努力しやす……」


 「はは……。ありがとう、メルエットさん。それからコバも。でも、僕は平気だから。その代わり、本当に辛くなったら頼らせてもらうね」


 皆のありがたい気遣いに胸が暖かくなる。この五人でなら、どんな困難でも乗り越えられる。そう思った。

 そうして、夜も更けた山中の森を、僕達五人は獣道を縫うように悪戦苦闘しながら進んでいくのだった。

 

 「(そういえば…………)」


 と、僕はふと先程の夢を思い出す。夢というのは目が醒めた瞬間から記憶が薄れていくものだが、何故かあの夢は鮮明に僕の脳裏に焼き付いていた。

 ナミ姉さんのあの言葉。そして彼女が描いて僕に示した魔法陣。夢の中では意味が分からなかったけど、今思うとあれは…………。


 「(……いや、考えすぎだし出来すぎだ。深い意味なんて無い。それよりも、目の前の現実に集中しなくては)」


 僕は頭を振って、余計な想像を追い出したのだった。

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