第八十一話
「メリーにナオル、それからコバも。どうやら全員無事みたいだな。何よりだ」
僕達の顔を見渡しながら満足そうに頷くマルヴァスさん。敵地の真っ只中に居るというのに随分と余裕のある風情だった。
「マルヴァスさん! あなたこそ……」
「テメェ! これまで何処に行ってやがった!?」
無事で良かった、と言おうと思ったら、それを掻き消す勢いでローリスさんが食って掛かる。
一方のマルヴァスさんは、いつもどおりの飄々とした態度で彼の怒りを受け流した。
「砦の中が俄に騒がしくなったからな。一部が手薄になったと睨んで、ちと捜し物をしてた」
そのあっけらかんとした返答に、益々ローリスさんが憤慨する。
「お嬢様やこのガキを放っておいて、尚且退路を確保するでも無く、か? 何処までもふざけた野郎だ!」
「むしろ信頼の証だと思ってくれよ。お前達なら必ず合流を果たして逃げられると考えたからこそ、だとな。現にほれ、こうして皆生きてるじゃないか」
「テメェ、ぬけぬけとよくも……!」
「それでマルヴァス殿、一体何を探しておられたのですか?」
今にも殴り掛からんとしていたローリスさんを遮るように、メルエットさんがマルヴァスさんに尋ねた。
「こいつだ」
ニヤリと不敵に笑いながら、マルヴァスさんは手に持った巻物を僕達に示した。一見紙のようにも見えるけど、それより厚みがある。どうやら二枚重ねて握られているようだ。
「何ですかそれ?」
「モントリオーネからオークの大将に宛てた、熱っぽい恋文だよ」
「えっ……!?」
一瞬、悍ましい想像が脳内に浮かびかけ、吐き気を催しかけた僕は反射的に思考をシャットアウトした。
僕は何も聴いてない、考えてない…………!
「……! という事は、モントリオーネ卿の親書!? オーク達と彼を結び付ける、この上ない証拠ではありませんか!」
邪な妄想に毒されていないメルエットさんは、マルヴァスさんの言い回しに振り回される事無く即座に違う考えに至ったようだ。というか、普通はそう考えますよね、ええ。
「ご名答だ、メリー。この羊皮紙には、オークの大将が自分に協力を約束した事への感謝の念がつらつらと書き綴られている。こっちの一枚には、オーク軍とソラスの流民達を領内に迎え入れる件に関しての取り決めがつぶさに記されている。カリガ伯の紋章もしっかり押印済みだ。王都に上り、これらを王宮へ献上すれば、モントリオーネは晴れて謀反人になるだろうよ」
「良く入手して下さいました、マルヴァス殿! これで護衛兵の皆も報われます!」
メルエットさんの表情が晴れ渡る。逃げるだけで精一杯で、仲間達の仇を討つなんて今は無理だと思っていただけに喜びも一潮だろう。それは、僕も同じ気持ちだった。これだけの窮地に陥ってそれでも反撃の糸口を見つけるなんて、やはりマルヴァスさんは目の付け所が違う。
「……ふんっ」
ローリスさんも、こうなってはマルヴァスさんのスタンドプレイを責める訳にもいかず、不満気に鼻を鳴らすだけだった。
「ナオル様」
くいっ、くいっ、とコバが遠慮がちに僕の袖を引く。
「マルヴァス様がご無事であられた事は真に喜ばしゅうございまするが、そろそろ……」
上目遣いに意見するコバに僕も頷き、皆を見渡して言った。
「込み入った話は後にして、今はとにかく此処を出ましょう。マルヴァスさん、地下の古井戸に行く道にはオークが待ち伏せしていて通れませんでした。他の脱出口はありませんか?」
「おう、あるぜ」
事も無げにマルヴァスさんは頷いた。
「オーク共は無闇に俺達を追い掛けるより、出口という出口を封鎖して逃さないようにする方に注力しているようだ。正門も裏門も既にがっちり固められているだろう。だが、外へ通じる門はもう一つある」
マルヴァスさんは、僕達に背を向けて彼方を指差した。
「西の下方に小さな門がある。そこは門の規模から考えて配置出来る兵員の数もそれ程多くない。俺とローリスでなら十分突破出来る」
そこで一端言葉を区切り、マルヴァスさんは真面目な表情でローリスさんを見た。
「そうだろう? 相棒」
「お前に相棒呼ばわりされる覚えはねェ。オーク如き、何匹居ようと俺ひとりで全滅させてやらァ」
「はは、頼もしい限りだ」
「しかし、強行突破を図れば当然私達の逃げ道はオーク共に知られます。追手を仕掛けられたらどう対処します?」
メルエットさんが疑問を口にするが、マルヴァスさんの余裕は崩れない。
「心配は要らない。外は斜面になっていて深い森が続いているから、そこに駆け込めばたとえ追手を仕掛けられても撹乱して逃げ切られるだろう」
「成算は、十分にお持ちのようですね」
「これでも限られた時間で念入りに偵察したんだ。信用してくれて良いぜ」
「分かりました、あなたを信じます、マルヴァス殿」
「僕も同じく。コバは?」
「改めて申し上げるまでもなく、コバめはナオル様のご決定に従いますです」
「よぅし、んじゃ行くとしますかね。こっちだ、付いてきな」
全員の同意を得て、マルヴァスさんはまるで山菜採りにでも出掛けるみたいに気負いなく足を進めるのだった。
マルヴァスさんの先導を得た僕達は、途中でオーク達と遭遇する事も無くスムーズに目的の西門まで辿り着いた。マルヴァスさんの言う通り、オーク達は主に砦の一階部分を中心に包囲網を敷いているようで、マルヴァスさんの案内で三階の端から城壁伝いに移動した僕達は、眼下で松明の火に揺らめきつつ八方へと広がるオーク達の影を尻目に、ひっそりと身をかがめながら彼らの網を掻い潜っていった。
「もう少し遅かったらオーク共は上の階へと手を広げてきただろう。じわじわと輪を狭められる前に囲いから抜け出すに限る」
星明かりだけが注ぐ城壁の上で、マルヴァスさんの得意気な声が風に乗って聴こえてきた。
全てはマルヴァスさんの読み通りに進んでいる。このまま順調に行けば、僕達もとうとうこの窮地を脱する事が出来る。
いよいよもって西門が見えた時、僕の胸中に灯った希望が更に大きく膨らんだ。
ところが、そこでマルヴァスさんは足を止めた。
「……どうしたんですか?」
「変だ、オークの影も形も無い」
用心深く西門の辺りを睨みながら、マルヴァスさんは背中の弓を執った。矢筒に残っている矢の本数は多くはない。
「連中が間抜けだったってだけだろ。今の内にさっさと出ちまおうぜ」
ローリスさんはまるで疑問に思っていないようで、《トレング》を肩に担ぎながら先を促した。
僕は首を傾げつつ彼に言ってみた。
「どうですかね? あのレブっていうオークの指揮官は、そんなミスをするタイプには見えませんでしたが……」
「テメェに訊いてねェよ、ガキ! 分かる言葉で喋れ。なんだその……“みす”とか“たいぷ”とかってのは?」
「いえ、私も変に思います。この門の存在を、オーク側が知らないとは思えません。それが封鎖されていないという事は、何か罠が仕掛けられているのかも」
「ですよね! 俺もそう思ってやしたぜ、お嬢様!」
急に納得顔になり、メルエットさんに「うんうん!」と頷いてみせるローリスさん。
掌くるっくるである。そんなにメルエットさんが好きか。
釈然としないものはあるけど、ローリスさんの心中を思えば分からない事でも無いので文句を言う気も起きず、僕としてはただ苦笑いするしかない。
それに、こういう緊迫した状況で、彼のこうした磊落さは救いかも知れなかった。
「とにかく、調べてみるしかない。お前達は此処で待ってろ。俺が様子を探ってくる」
「……分かりました、気を付けて下さい」
僕が返事を言い終える前にマルヴァスさんはおもむろに立ち上がり、西門の方へと踏み出した。
「――っ!?」
それとほぼ同時である。門の下に、一本の大きな影が立ち上がった。
夜空の雲が流れ、隠れていた月が顕になる。門下に降り注ぐ月明かりが、その正体を浩然と照らす。
「レブ…………!?」
右手に棘付きの槌、左手に盾を構えたオーク達の大将。
金属鎧で月光を反射しながら、悠然と待ち構えるレブの姿がそこに在った。




