第七十九話
「ッ!!」
レブは自分の失敗を痛感した。背後での爆発音に気を取られ、眼前の敵の存在をほんの一瞬とは言え意識から外して後ろを振り返ってしまうとは!
自分の後方にある中庭を囲む砦の内壁。そこに炎の塊が打ち込まれた。恐らくは魔法。やったのはヨルガンか、それともあのナオルという“渡り人”の少年か。
背後の状況を視認した刹那、レブの頭脳は瞬時にそこまで考えを巡らせたが、同時にローリスと相対している今の自分の状況をも思い出した。直後に感じる、凄まじい殺気と闘気の起こり。
「むんっ!」
前に向き直りざま、殆ど勘でフランベルジェを持つ腕を上げた。ローリスの振るう《トレング》の軌道を目視する猶予は無かった。合わせられたのは奇跡に近い。
ガキンッ!!という若干外れた金属音と手首に走る痺れ。《トレング》の豪打を受けたフランベルジェは、その勢いのままレブの手を離れ、あらぬ方向へ飛んでいってしまった。
「ぬうぅぅっ……!」
武器を失ったレブの身体が流れる。衝撃を殺しきれずに体勢を崩したのだ。
一撃では仕留められなかったものの、好機はまだ終わっていない。次の二撃目で確実に息の根を止めんと、ローリスは再度その手に握る戦友を振り被った。
口の端が思わず吊り上がる。
「喰らえッッ!!」
勝ちを確信した叫びと共に、大槌をレブの頭上に振り下ろした。それを避け得る術は、最早レブには残されていない。
「――!?」
だがそこでまたも予期せぬ事態が起こった。周りで観戦していたオーク兵のひとりが進み出てレブを突き飛ばし、代わりに《トレング》の洗礼を浴びたのだ。
項に大槌を叩き込まれ、地面に叩き伏せられる配下のオーク。
ほぼ同時に何処かでヨルガンの悲鳴らしき音も聴こえた気がするが、今はそれどころじゃない。
「おいっ!?」
地面に片膝をついたレブが立ち上がろうとした時、他の配下達がレブの周囲を取り囲み、ローリスから隠す。
そして、配下達の背中越しに聴こえる剣戟と怒号の応酬。将の危機を察知したオーク達が、命令されずとも動いたのだ。
「将軍、お下がりを!」
「ここは我らに!」
自分を守らんと口々に言い募る配下達を気にも留めず、レブは足元に転がるオーク兵の屍体の傍にしゃがみ込む。レブの身代わりを引き受けたそのオークは、哀れにも項を砕かれ、即死していた。
「…………」
きつく口を引き結び、拳を握るレブ。
配下達ではローリスの相手は荷が重い。討ち取るまでにどれ程の犠牲が出るか分からない。それに多数で斬り掛かって乱戦に持ち込めば、奴の背後に控えるメルエットが怪我をする恐れもある。ナオルと交わした約束を違える訳にもいくまい。そう考えて自ら剣を執ったのだ。
しかし、結局こうなった。全ては自分の不明、不徳の所為である。
こうなれば已む無し。指揮官として、今自分が為すべきはこの状況を早く収束させる事。
「皆の者! ローリスを討て! メルエットは捕らえよ! 決して彼奴らめをこの砦から出すでないぞ!!」
ありったけの声を張り上げ、レブは将としての指示を下した。
全身に纏わり付く苦痛と痺れに耐えながら、僕はメルエットさん達へ駆け寄らんと走った。
大多数のオークはローリスさんに集中していたが、中にはヨルガンの叫びを耳にしてこちらに注意を向けたオークも居たようだ。
「おい、お前!!」
二体のオークが、僕とコバの前に立ちはだかる。抜身の剣と混紡をそれぞれ手に構え、敵意をギラギラさせた目で睨んでくる。
「(くっ、やるしかないか!?)」
一瞬、腰の《ウィリィロン》に手を伸ばしかけたが、そこで悪知恵にも近い策が突如脳内に閃く。
「(……! そうだ!)」
僕は剣を抜かず、口を開いた。
「大変だ! あれを見てくれ! ヨルガンさんが怪我をした!!」
手だけを背後に伸ばし、そこでのたうち回るヨルガンを指差した。
オーク達の表情が「何言ってんだコイツ? お前がやったんじゃないのか?」と言いたげなものに変わる。隣のコバも、ポカンとした顔で僕を見上げていた。
僕は畳み掛けるように、
「僕はただ立ってただけだ! そうしたらいきなりあの剣が飛んできて、ヨルガンさんの手に刺さったんだ! 早く手当てしてやってくれ!」
懇願するようにそう頼み込むと、オーク達は困惑したように互いに顔を見合わせた。
「重傷だぞ! このまま放置してたら死ぬぞ!? それでも良いのか!? 彼はあんたらの同盟者だろう!? 見殺しにしたら、オークの名が廃るんじゃないのか!?」
「だ、騙されるなっ!!」
ヨルガンが、後ろから憎悪と焦燥をないまぜにした声で抗議する。
「そのガキの所為だ! オーク共、そいつを捕まえろ! そいつは裏切り者だぞ!!」
僕は眦を下げ、これ見よがしに肩を落としながら憐れみと呆れをたっぷり込めた溜息を吐く。
「はぁ〜……。ほら見てよ、あんなに錯乱してる。あれもオークの毒の効果じゃないの? だってほら、あの剣ってあんた達の大将の剣でしょ? 僕がどうやってあれをヨルガンさんに刺すのさ? 戦ってる大将の手から、いつの間にかあれを抜き取ったとでも?」
それもそうだ、とオーク達は僕とヨルガンを見比べる。
もうひと押し!
「もしヨルガンさんが死んだら、モントリオーネ卿が怒るよ? ヨルガンさんは彼の信頼厚い側近で、第一の部下だからね。オークの大将が遣っていた剣が原因でヨルガンさんが生命を落としたと知ったら、どんな顔をするのやら」
オーク達の目が見開かれ、顔から血の気が引く。
「あんた達はカリガ伯とのパイプ役を失うだけじゃなく、彼の不興を買う事になるんだよ。そうなったらどうするの? カリガ領に居るのに、その土地の支配者と敵対したらやばいんじゃない?」
この言葉がトドメとなり、二体のオークは緑色の顔色を蒼白に変えて大急ぎで僕を素通りし、ヨルガンの元へと向かった。
「こ、こらっ! 私に構うな! ええい、離せ……っ! それよりもあのガキを……!」
揉み合う音がして、ヨルガンの声が段々と遠ざかる。きっとあのオーク達に医務室にでも連れて行かれるのだろう。適切な治療を受ければ、彼は助かるかも知れない。それならそれで別に良かった。
もう二度と、会うことも無いだろう。
僕は一度もヨルガンの方を振り返らず、ただひたすら前を見据えて足を動かす。
するとメルエットさんが、乱戦を避けて壁伝いにこちらに歩いてくるのが見えた。
「メルエットさん……!」
「ナオル殿……!」
喜びと安堵の声を上げ、僕達はお互いに駆け寄った。さっきの二体を除く他のオーク達はまだこちらに気付いていない。ローリスさんが獅子奮迅の働きをして引き付けてくれている。
「メルエットさん、動かないで」
僕は《ウィリィロン》を抜き、メルエットさんの身体を縛る鎖にあてがった。
「(斬れろ、この鎖め……!)」
鬱憤を晴らすように念じながら腕に力を込めると、蒼く光った《ウィリィロン》の刃が紙のように鎖を断ち切る。いつもながら素晴らしい効果だ。嫌がらせのように沢山取り付けられた錠前も、《ウィリィロン》の前ではまるで用をなさない。
「ありがとう、ナオル殿」
自由になった腕を軽く振りながら、メルエットさんが微笑んだ。
僕も少しだけ微笑み返すと、すぐに表情を引き締めて彼女に言った。
「さあ、早く脱出しよう。ローリスさんと一緒に」
メルエットさんも、コバも、大きく頷く。
そして、僕達はメルエットさんが伝ってきた壁を今度は逆走して奥の廊下を目指す。
「ローリス殿! もう十分です! 我々と共に逃げましょう!!」
壁に沿って駆けながら、メルエットさんが大声でローリスさんに呼びかける。
ローリスさんは、またひとりオークを叩き潰しながら半分だけ顔をこちらに向け、僕達の姿を認めるとニヤリと笑う。
「合点承知!! 護衛はお任せくだせェ!!」
声に覇気を漲らせて、ローリスさんは振り返りざま水平に《トレング》で円を描き、周囲のオークをまとめて弾き飛ばす。
そして、ようやく彼も僕達に合流したのだった。