第七十六話
通り道にあるものを全て飲みこんで燃やし尽くし、夜空を焦がす勢いで激しく燃え盛る炎。土の地面に生える僅かな雑草の他には案山子や射的しか薪となるものが存在しないにも関わらず、それがどうしたと言わんばかりに火勢はとどまるところを知らない。
まるで竜の火だ。
僕が、あれを…………?
無言で震える自分の手に目を落とす。初めて、自らの意思で魔法を使ったという実感が、相反する二つの感情を同時に伴って心の中を浸してくる。
自分に人智を超える力が備わっているという興奮と、それを使った結果に対しての恐怖。
これが僕? これが“渡り人”?
これじゃあ、まるで…………。
――う、おおおおおおッッッ!!!
炎の音よりも強く轟く怒号が、僕の意識を現実に引き戻す。聞き覚えのある声だった。
「あの声、まさか……!?」
声が聴こえてきたのは、中庭を囲む内壁の向こうからだ。そちらに顔を向けた時、剣戟の音と「敵襲だ!」「侵入者だ!」というオークの怒鳴り声がした。
眉根を寄せたヨルガンが、内壁の向こうに流し目を送りながら興ざめしたように呟く。
「おやおや、招かれざる客がお越しのようですね」
「っ!」
僕は痛む身体を押して腰を浮かせる。
「何処に行くつもりですか?」
ヨルガンの声を無視して僕は中庭を飛び出した。声のした方を目指して石造りの無骨な通路をひたすら走る。
途中で角笛の音が聴こえた。敵襲を報せる合図だ。これで砦中のオークが異変に気付くだろう。
「くそっ!」
毒づきながら脚に込める力を上げる。頼む、間に合ってくれ……!
やがて、開けた場所に出た。
「……あれだ!」
僕はすぐに気付いた。奥の方で、オークの集団が誰かを取り囲んでいる。
目を凝らすまでもなく、散開するオーク達の隙間から見えるその人物が誰か分かった。
「ローリスさん……! やっぱり、生きてた……!」
一瞬、悪い状況である事も忘れて安堵の笑みが溢れる。
ローリスさんは、未だ縛られたままのメルエットさんを後方に庇い、迫りくるオーク達を気迫で押し返さんと《トレング》を大きく構えて威嚇している。メルエットさんは壁に背中を付ける形で立っており、オーク達に背後を取られるのを防いでいた。
そして、二人の距離を埋めるようにメルエットさんの前に立ち、両腕を広げて守る態勢を取っているのは、コバだ。
「メルエットさんとコバが、どうして此処に……?」
「貴君の要望通りにしようとしたからだ」
「っ!!?」
いつの間にか、隣にレブが立っていた。全く気付かなかった……。
「メルエット殿と奴隷のゴブリンを他の部屋に移し、貴君に立ち会って頂いた上で拘束を解かせるつもりだった。そうしたら、忍び込んでいたネズミが釣れたようだ」
レブは目を細めてローリスさんを見やる。彼の傍には、既に三体のオークが犠牲となって斃れている。内二体は既に事切れているらしく、ピクリとも動かない。まだ生きている一体も相当の深手を負ったのか、仰向けにひっくり返ったままビクビクと身体を痙攣させている。白目をむいて血の泡まで吹いているし、あれは致命傷かもしれない。
「あの男、良く覚えておるぞ。過日の戦で縦横の立ち回りを見せていた二人の片割れだ。屍が見当たらなかったので生きて逃れたとは思っておったが、よもやこの砦に乗り込んでくるとはな」
押し殺した声でそう告げて、レブは両手を前に掲げる。彼の手には、まるで波の様に蛇行した形状を持つ大振りの剣が握られていた。
「フランベルジュ……!?」
漫画か何かで目にした事がある。わざと切れ味を落として相手を傷付ける事に特化した風変わりな剣。
こうして見ると、毒の扱いに長けると言われるオークにはよく似合っている武器かも知れない。
レブはフランベルジュを構えたまま、眼前の修羅場を目指して足を踏み出す。
「ま、待って下さい! どうするつもりですか!?」
「言わずもがな。侵入者を生かしておく道理は無い」
「そんな……! あの人は……!」
「あの者は貴君の示した条件には含まれておらぬ」
ばっさりと、レブは僕の言葉を斬り捨てる。
「心配無用、我が誇りと我らが神“デム・ヨロム”に掛けて、メルエット殿と貴君の奴隷には傷を付けぬ。そこで見ておれ!」
「っ!?」
威厳溢れる一喝に晒され、僕の足は縫い付けられたかのように動かなくなる。
……いや、ダメだ! 負けるな僕! このまま傍観していたら、本当にローリスさんが……!
僕は、精一杯の勇気を奮い起こして足を……足を……?
「足が……!? 本当に、動かない……!?」
どれだけ力を込めても、僕の足は石化でもしてしまったかのように持ち上がらない。
おかしい、変だ。いくらレブの気迫に打たれたからと言って、ここまで……。
そこで「はっ!」と気付いた。両足の裏に、僅かな光を帯びて浮かび上がる魔法陣。その上に乗っている僕の足は、コントロールをすっかり奪われたかのように沈黙している。自分の足なのに自分のものじゃなくなった感覚。
「ダメですよ、あなたは此処に居なさい。自分から持ち掛けた取引を、自分から反故にしてどうなさるんです?」
僕は上半身だけで振り返り、ありったけの憎しみと怒りを込めてそいつを睨んだ。
「ヨルガン……!」
指で魔法陣を描き終えたヨルガンが、不敵に嗤った。
あいつが使ったのは、拘束の魔法か何かか!?魔法陣から直接力を放出するんじゃなく、地点を指定して発動させるタイプなのか!?
油断した……! そういう魔法もあるなんて……!
「皆の者、退け! その男は、我が直々に相手をする!!」
レブの号令を受けて、オーク達が武器を下げてローリスさんまでの道を開ける。砦のあちこちから次々とオークが集まってくるが、彼らも事態を察して遠巻きにレブとローリスさんの決闘を囃し立てた。
「将軍だ! 将軍が直接武器を執られたぞ!」
「将軍! どうか仲間の仇を!!」
「侵入者よ! オーク十二将を相手取った事を後悔するが良い!!」
オーク達の歓喜と信頼の声が場に満ちてゆく。その士気の高さが、レブの武人としての実力の高さを物語っていた。
「………………」
ローリスさんは、それらの煽りにも怯む様子を一切見せず、静かに《トレング》を構え直す。
そして、“鉄火”と“十二将”はおもむろに対峙する。
「…………」
「…………」
張り詰める空気。永遠にこのままか、と錯覚したのも束の間だった。
「「――――!!」」
コインの表裏が入れ替わるように、一瞬で闘気を漲らせた二人が、同時に地を蹴った。
次回、鉄火(自称)のローリス対オーク十二将、レブ。




