第七十五・五話(マルヴァスside)
今回はマルヴァス側のお話です。次回ローリスside。
「(…………ちっ、此処もダメか)」
マルヴァスは心中で舌打ちをした。
通路の角から覗き込んだ先では、三体のオークが歩哨となって周囲に目を光らせている。気付かれずにあそこを通るのは無理だろう。
オークをやり過ごしながらメルエットやナオルが囚われている部屋を捜し続けているが、思った以上に身動きが取りづらく、作戦は捗らない。
「(配置に隙が無い。オークの指揮官は優秀だな)」
どうにか物陰に隠れながら敵の動向を観察しているが、砦内におけるオーク達の警備状況は厳重であり、利用出来そうな死角は少ない。また、孤立したり遊んだりしているオークも見当たらない。常に二体以上で動いており、眼にも油断の色は見られない。
「(……昼間に偵察した時とは違う。ちゃんと夜間用に考えられた編成になっている。こりゃ事前情報もあまり当てには出来ないな)」
もう少し時間があれば夜は夜でしっかりと下調べをしたのだが、逸る相方を抑えるのにも限界があった。
「(ローリスのヤツ、焦らず自重してくれれば良いがな)」
メルエットが連行されてゆく有様を見せられて、あの男は随分気が気じゃない様子だった。メルエットがオーク達の慰み者にされたり、殺されたりするのではないかと心の底から怖れているのだ。
『オークは低能かつ好色な生き物で、人間だろうがエルフだろうが女であれば見境なく犯す』という噂が国内で、それも主に下層民達の間でかまびすしく囁かれているのは知っている。かつて従軍していた時にも、その手の流言飛語はよく耳にしたものだ。
ソラス王国を裏切ったオーク達は、必然的にダナン王国でも敵として扱われていた。戦う相手を必要以上に悪く言う事で士気を高めようとするのは、古来から行われている常套手段だ。ローリスも、そういった歪められたオーク観を信じ込んでいるクチだろう。
実際のところ、オークが捕らえた人間の女を陵辱するという話は殆ど聴かない。人間の目にオークは醜悪な種族と映るように、オーク達にとっても人間やエルフは得体の知れない異種族なのだ。一部の好事家を除き、性的な興味など抱かないに違いない。
メルエットに関して言えば、オーク達からすれば貴重な交渉材料だろう。多少荒っぽい扱いはされるかも知れないが、ローリスが心配しているような事が起きる確率はかなり低い。
「(怒りのあまり、考えなしに飛び出して見つかるようなヘマはしないでくれよ……)」
心の中で、マルヴァスは相方に願った。
そのローリスは傍には居ない。途中で二手に別れたからだ。
メルエット達を救出するに当たって、取れる選択肢は多く無かった。
砦の外にオーク達を誘き出そうにも、陽動作戦を行うには到底人数が足りない。また、どれくらいのオーク達を釣れるかも分からない。むしろ此方側の存在を知らせる事で、却って内部の警戒が厳しくなるだけとなり無益だろう。
結局、秘密裡に潜入して誰にも気取られずにメルエット達を救い出し、騒ぎになる前に脱出するのが最も確実な方法だという結論に達した。
幸いにも、今の所この隠密行動はオーク側に漏れていない。
「(だが、あいつがいつまでも隠れ続けていられるとは思えない。なるだけ急がないとな……)」
置いてこいと言ったのに、ローリスは頑なに拒んであの大槌を携帯して来た。あんなデカイ得物を持ったままで、小回りが利く筈が無い。それに、鎧も装着したままだ。動く度に擦れて金属音を奏でる上に、重量の所為で体力の消耗も早くなる。隠密行動というものを全く理解していないあいつには心底辟易させられる。正直、見つかるのは時間の問題だった。
「(いざという時は、あいつを囮に使ってでも……)」
ある種非情な計算をしながら、マルヴァスがオーク達の視界の隙を窺っている、その時だ。
突然何かが爆ぜるような轟音が響いたかと思うと、奥の空が明るくなった。
「(なんだ……!? あっちは、砦上部に設えられた中庭があったと思うが……)」
物陰に一層深く身を潜めながら、マルヴァスは用心深く周囲を見渡した。
砦内は俄に騒がしくなり、オーク達が何事かと持ち場を離れて中庭の方へ注意を寄せている。どうやら彼らにとっても予想外の異常事態だったようだ。
「(何があった……? 敵の内情で異変が起きたか、あるいはローリスが何かやらかしたか?)」
後者の方が可能性としては高そうだが、それにしては接敵を知らせる角笛の音が無い。
「(まさか…………)」
ナオルの顔が、マルヴァスの脳内にちらついた。あの“渡り人”が、いよいよその能力を開花させたという事は考えられないか?
「(もしそうだとしたら…………)」
マルヴァスの口元が歪む。その唇は笑いの形を取っていた。
あの崖から落ちても生きていたのだ。それも、メルエットとコバ共々。
ナオルが魔法の力を行使出来るようになっている可能性は、低くない。もしそうなっていたのだとしたら、嬉しい誤算だ。
最悪に近い状況にも関わらず、マルヴァスは心の底から喜びが湧いてくるのを禁じ得なかった。