第七十二・五話
ナオル達が連行された古い砦。
そこの地下へと続く階段を、両手に桶を持ったオークが二人、他愛もない会話を交わしながら降りていた。
「しっかし、何で俺らがこんな仕事しなきゃならねぇんだか」
「仕方ねぇだろ、将軍のご命令なんだから」
ブツブツと、後ろの相方に対して不満をぶちまける先頭のオーク。顔にははっきり『うんざり』と書かれてあった。
「いつもいつもこんなゴミ捨てやら水汲みやら薪拾いやら、そんな雑用ばっかやらされてよぉ〜。いい加減、前線に立って手柄を立てたいもんだぜ」
恨めしげな視線を桶の中へ送る。そこには折れた剣や破損した鎧の破片など、最早使い物にならなくなった戦具が大量に詰め込まれてあった。
これらは全て、メルエットの護衛達が持っていた物だ。
討ち取った彼らを火葬に処する傍ら、オーク達は死体から剥ぎ取った装備を点検して使える物と使えなくなった物の選別を行った。
そして、使えなくなった物を廃棄しろという命令を、この二人が受けたのだ。
「こんなもん、焼いた死体と一緒に埋めちまえば良いじゃねぇか」
「あんまり言うなよ。もし他のヤツに聴かれたらまた懲罰だぞ」
懲罰と聴いて、文句を零していたオークが首をすくめる。
失言が原因で軍法やら何やらに問われて叱責を受け、処分を下された事は以前にもある。
あの時はおよそ五十日間に渡って糞便の後始末をやらされた。普段から雑事ばかりやらされているが、あの時程惨めな気持ちになった事は無かった。もう二度と、あんな目に遭うのは御免だ。
「ちっくしょう〜……。俺だって、やれば出来るってのに……」
「気持ちは分かるぜ、兄弟。お前の努力は俺が知ってる。焦るなよ」
小さな声で悔しげに零す不満顔のオークと、それを宥めるもう片方のオーク。
人間が十人十色であるように、オーク達もまた全てが体躯や武技に優れた戦士という訳では無い。彼らは他のオークと比べて身体も小さく、力も技も弱く、それが原因で仲間達から日常的に嘲りを浴びていた。
戦士に憧れ、軍に志願したものの、現実は彼らが思うよりもずっと厳しかった。華やかな前線で戦う理想の自分は陽炎のように吹き消されて、埃にまみれながら日々の裏方作業に脂汗を流す毎日である。
それでもいつかは……という想いの元、彼らは密かに己を磨き続けている。戦闘訓練には人一倍……いやオーク一倍身を入れて臨んでいるし、毎日の僅かな休憩時間を自主鍛錬に使ってお互いを鍛えているのだ。
その努力は、未だ誰にも認めてもらえていない。ただ、お互いだけが知っている。
「そうだな……。今はこうでも、いつかは俺だって……いや、俺達だって絶対のし上がってやる!」
「おう! 今は下積みの時代だ。俺らが出世した暁には、酒を酌み交わしながら笑い話として語ろうぜ!」
「ああ! その時を楽しみにしてるぜ、相棒!」
「俺もだ、兄弟!」
わははは! と気炎を上げながら階段を下るオーク達。地下の暗さも、自分達の矮小さもかき消すような明るい笑いだった。
ややあって、彼らは階下にたどり着く。そこは中央に板で蓋をされた古井戸がある以外は何も無い、殺風景な小部屋だった。
「あの井戸の中にこれを放り込めば良いんだな?」
「そうだ。もうとっくに涸れて使われなくなった古井戸だからな。ゴミ捨て場にはもってこいって訳だ」
「この砦自体、相当ボロボロだもんなぁ〜。早く別の拠点に移りたいぜ」
「我慢しろ。その内将軍がなんとかしてくれるさ」
「だと良いけどな。まぁ、野営よりはマシか」
肩をすくめて、おもむろに井戸の方へと歩み寄る。
「ん……?」
ふと、前を行くオークが足を止めた。
「どうした?」
「今、井戸の中から音がしなかったか?」
「え……?」
言われて、後ろのオークが耳を澄ますが、すぐに首を振った。
「気の所為だろ。もしくはネズミか何かじゃねぇか?」
「そうかな……?」
「そうだって。ほら、さっさと片付けるぞ。まだ上に沢山残ってるんだからな」
後ろのオークは頓着せずに前のオークを追い越すと、井戸を塞いでいる板に手をかける。打ち付けられている訳ではない為、簡単に外せる。
「よっ、と。さぁ――」
板を外して、桶を持ち上げながら中を覗き込むオーク。
その直後である。
「――ッ!?」
井戸に揺蕩う闇の中から光が差し込んできたかと思った次の瞬間、そのオークの喉は白刃に刺し貫かれていた。
悲鳴を上げる間も、逃げる隙も無い早業。そのオークは恐らく自分でも気付かないまま絶命したであろう。
「相棒ッ!!?」
背後に居たオークはかろうじて事態を察知した。桶を投げ捨て、腰に佩いてる剣の柄に手を伸ばす。
だが、井戸から飛び出してきた影の動きの方が疾かった。
瞬く間に間合いを詰めると、剣を掴んだオークの肘を片方の手で抑え、彼の相棒を屠った剣を握ったもう片方の手を突き出した。
哀れ、そのオークも同様に喉を貫かれ、相棒の後を追う形となった。
現実に喘ぎながらも夢を抱き続けた二人のオークは、呆気なくその生命を散らした。
「……なんだ、どっちもぶっ殺しちまったのか? お嬢様の居場所を吐かせた後にすりゃ良かったじゃねェか」
影に続いて、古井戸の中からのそりと出てくる大男。
ローリスである。
「……すまん。こいつの反応の良さを見て、殺さずに制圧するのは無理だと思ったんだ」
肩で息をしながら、額に浮かんだ汗を拭い、剣に付いた血を払う影。
マルヴァスだった。
「しかしまァ、こうしてちゃんと砦の中に潜入出来たな。外のあの穴蔵が此処に通じてるっつー、お前の読みは正しかった。そこは認めてやるぜ」
「そりゃどうも。日が昇っている内に下調べした成果が出て何よりだ」
「ふん、お前のマメさもたまには役に立つな」
憎まれ口を叩きながら、肩に担いでいたロープをするすると手繰り寄せるローリス。
その先には《トレング》が結び付けられていた。流石に持って上がるには一苦労だったようだ。
「とにかく、目的の第一段階は達成だ。後は手筈通りに……。頼むぜ、ローリス」
「言われるまでもねェ。テメェこそしくじるなよ、マルヴァス」
闇の中で頷きを返し、不敵な笑みを浮かべるマルヴァス。
こうして。
ナオルがヨルガン、レブと相対しているのをほぼ同時刻。
マルヴァスとローリスが砦の内部に侵入を成功させていたのだった。




