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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第七十二話

 暗さの増した石の廊下を、僕はオークに連れられて再び往復する。メルエットさんとコバは居ない。僕だけだ。

 歩みを進める度に心臓の高鳴りが激しさを増す。内心を悟らせないよう毅然とした態度を繕おうと努力しているけど、正直言って付け焼き刃も良いところだ。

 この話の行末次第で、僕達の運命が決する。

 それが分かるだけに、この身体の震えは止めようがない。

 怖い。怖いのだ。メルエットさんやコバの前であれだけ格好をつけておきながら、実際の僕はこうして恐怖で押し潰されようとしている。

 マルヴァスさんが居た。サーシャが居た。ジェイデン司祭が居た。

 この世界に来て、抜き差しならない状況に陥った時、僕の傍には必ず助けてくれる人が居てくれた。特にマルヴァスさんにはずっとおんぶに抱っこで、何かにつけて頼りにさせてもらっていた。

 彼が居てくれなかったら、僕はこの世界に来た時点であのグリム・ハウンド達に為すすべなく殺されていたし、ローリスさんを退ける事も出来なかったし、サーシャの死を受け止めきれずに潰されていただろう。

 マルヴァスさんの存在は、僕にとって救いだった。心の拠り所だった。

 でもその彼も、もう居ない……。


 『きっと逃げ延びている。何処かに隠れて、陰から僕達を助ける機会を窺っている』

 

 そう信じたい気持ちも勿論ある。だけど、それは都合の良い妄想でしか無い。仮にマルヴァスさんが生きててくれても、このオークだらけの要塞の中で僕達を助けるのは非常に難しいという気がする。

 だから、自分でなんとかするしかない。

 メルエットさんを守れるのは、コバを守れるのは、もう僕だけなのだから。


 「(戦え。立ち向かえ。そうすればヒーローだ。さぞかしカッコいいだろうよ!)」


 僕は必死にそう心の中で繰り返した。そうやって自分に酔う事で、恐怖と無力感を紛らわせる為に――。










 「心は決めましたか?」


 部屋に入るなり、ヨルガンが期待に満ちた眼差しを僕に向けてくる。その斜め後ろでは、レブが相変わらず謹厳な表情で腕を組んでいた。

 部屋の中では多くの燭台が灯され、彼らの影を妖しく揺らす。レブの後ろにある石壁をくり抜いて造られた窓から見える空は、既に日が落ちていて夜の帳が降りようとしていた。

 僕は一息吸うと、出来る限り平静を装って口を開く。


 「まだです。話し合いの続きをしたいと思って戻ってきました」


 「話し合い?」


 ピクリ、とヨルガンの眉が動く。


 「ナオル殿、失礼ながらあなたは御自身の立場について少々理解が及んでいないと見受けらますな。あなたが示すべきは“はい”か“いいえ”、その二択のみの筈。交渉の余地があるなどと思い上がるのは止しなさい」


 表情と共に口調も冷えたものになってゆく。


 「それくらいも分からないようでは、魔法を修めるなどとても叶いませんよ?」


 ゆらり、と不穏な気配を纏いながらヨルガンが手を伸ばしてくる。僕は気圧されて反射的に半歩身を引いた。


 「(まずい……。いきなり躓いたか?)」

 

 頬に冷や汗が伝う。一瞬にして張り詰めた空気を破ったのは、レブの濁声だった。


 「良いではありませんか、ヨルガン殿。貴兄はナオル殿を鍛えたいと仰せになられた。下僕ではなく、弟子に迎えたいとお考えであればこそ、左様申されたのでしょう? ならば、彼にも多少の要求を提示する権利くらいは与えて然るべきだと思われるが?」


 レブは心なしか楽しげな様子でヨルガンに向かって取りなしてくれる。ヨルガンは忌々しげにレブに一瞥をくれると、


 「良いでしょう、聴くだけは聴きましょう。さあナオル殿、望みを言いなさい」


 と、吐き捨てるように僕に言った。

 咄嗟に、彼に対してまともに答えようとするが、はっと我に返った僕は思い切ってヨルガンから目線を外し、レブに向かって頭を下げた。


 「ありがとうございます、レブさん。お陰で『お師匠様』の頭も冷えたようです」


 「なっ……!?」


 ヨルガンが顔を歪める。怒りのせいか、顔色が見る見る赤くなってゆく。

 ……どうやら、彼も怒りっぽいところがあるようだ。

 初めて会った頃とは随分印象が異なってきたが、同時に嬉しい誤算でもあった。

 他人を怒らせるのは危険だが、状況次第では有効な方法にもなりうる。


 「ほう、彼は早くも貴兄の教えを請うと心を固めたようですよ」


 気づいているのかいないのか、レブは可笑しそうに囃し立てた。


 「……まずは、師に対する口の利き方から教える必要がありそうですがねぇ」


 口元に苦さを滲ませながら、ヨルガンが僕を睨みつける。

 その視線を跳ね返すように、僕は彼と相対する。


 「(大丈夫、大丈夫だ……! さっきは気圧されただけ……。頑張れ、僕!)」


 僕は、思いっきりふてぶてしい態度で彼に言った。


 「まだ弟子になるかどうか、正確なところは決めてませんよ。僕の求めに応じてくれなきゃ、あなたには従いません」


 「…………!」


 ヨルガンの眦が再び吊り上がるが、彼が口を開く前に僕は一気に被せるように言葉を続けた。


 「ヨルガンさん、あなたに手を貸しても良いですけど、それには条件があります。メルエットさんとコバの両名を僕に預ける事。僕達三人の安全を保障する事。この二つを飲んで頂きます」


 「……ほう。あの娘を嫁にでもするつもりですかね?」


 ヨルガンが馬鹿にしたように嘲笑する。既に、ある程度の冷静さは取り戻しつつあるようだった。


 「違います。あの二人は僕の友達です。だから、いつまでも不自由な思いはさせたくないんです。あなたの陣営に加わるなら、あの二人も一緒にお世話になりたい」


 「……自分で言ってて、虫のいい願いだと理解出来ませんか?」


 「ああ、そうかなるほど」


 僕はわざとらしくポン! と手を打った。


 「あなたは此処の指揮官じゃありませんでしたね。お願いする相手を間違えてました、これは失敬」


 「……っ!!」


 「レブさん、どうかお願いします。あなたの権限で、メルエットさんとコバを僕に委ねて頂けませんか? 虫が良いとは思いますけど、どうかお慈悲を下さい!」


 言い終わると同時に、レブに向かって深々と頭を下げた。

 目の前のヨルガンを全く無視する形で。


 「いやはやこれは、思った以上に肝の太い御仁だ。貴兄の目は確かなようですな、ヨルガン殿」


 愉快げに笑った後、レブは咳払いをして声に厳しさを加えた。


 「その堂々たる態度に免じて、まずはお尋ねしよう。メルエット殿は我らが捕虜であり、同時に有用な手札である。そこは理解しておられような?」


 「勿論です。それを承知の上でお願いしています。どうかメルエットさんを、僕に預けて下さい。決して逃したり、あなた方に弓引く真似をさせたりはしません」


 「メルエット殿と共に我々に従うと、そう申しておられると受け取ってよろしいのだな?」


 「はい。万が一彼女が問題を起こせば、責任は全部僕が負います」


 「貴君の神に、そう誓えるか?」


 僕は少し考えて、顔を上げるとレブの目をしっかりと見て、答えた。


 「僕に信じる神は居ません。代わりに、僕自身の名誉にかけて、誓います」


 「……うむ!」


 レブは重々しく頷いた。


 「信仰をお持ちでは無いという答えに若干の不安は残るが、その率直さは見事である。良かろう! 貴君を信じようではないか!」


 「……! では……!」


 「後ほど、メルエット殿を拘束を解かせよう。後は、貴君からよくよく言い含めておいてほしい」


 「……ありがとうございますっ!!」


 僕は嬉しさのあまり、レブに向かって最敬礼をした。

 一方で、慌てたのはヨルガンだ。


 「レブ殿! 勝手に決められては困ります! メルエット嬢の処遇をどうするかは、私に決める権限がある筈……」


 ところが、この抗議に対しレブは険しい目をヨルガンに向けた。


 「それは貴兄の主が、貴兄に事後処理を一任した事を指しているのであろう? 我々には預かり知らぬ事。そもそも我々が受けた依頼は『メルエット一行の王都行きの阻止』、これだけである。任務さえ遂行すれば、後の裁量は我々に委ねるというのが互いの間で交わした取り決めだったと記憶しているが?」


 「……我が主に、左様報告するがよろしいな?」


 「お好きになされい」


 二人の交わした視線に、バチバチと火花が散っているように見えた。

 やはり、僕の見立てた通り、ヨルガンとレブ、引いてはカリガ側とオーク側の間には摩擦の火種が存在している。

 そこを上手く衝けば、両者を仲違いさせられるかも知れない。

 それが出来れば、きっと…………!


 「(兄さん、お願いだ。どうか、僕に力を貸して……!)」


 無意識に胸元に手が伸びる。が、そこにあるべきペンダントは、今は無い。

 それでも、まだそこにペンダントが存在するかのようにロケットを握りしめるふりをしながら、僕は何処に居るかも分からない兄に向かって祈るのだった。

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