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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第七十一話

 先程まで僕とコバが閉じ込められていた独房。

 今はそこに、新しい入居者が加えられた。三人は流石に手狭に感じるが、文句を付けても待遇は変わるまい。

 僕とコバ、そして縛られたままのメルエットさんは、それぞれ反対の壁に背を預けて蹲っていた。誰も何も言わない。気まずい沈黙が部屋の中を支配する。

 口枷は既に取り外されているものの、メルエットさんは先程からずっと無言を貫いている。僕とも目を合わせようとはせずに、眉間にシワを寄せながら奥の壁をただ睨んでいた。


 「メルエットさん、あの…………」


 張り詰めた空気にいよいよ耐えられなくなり、僕は思い切って彼女に声を掛ける。

 メルエットさんは僅かに肩を震わせたものの、聴こえないという風に顔を固定したまま、返事もしなかった。


 「身体、大丈夫? 手とか腕とか、痛くない?」


 おずおずと、腫れ物を触るかのように慎重に言葉を紡ぐ。

 かなり長い間を空けて、彼女は口を開いた。


 「……これくらい、苦痛でも何でも無いわよ。私だって武人の娘よ? 拷問や、拘束状態に耐える訓練だって積んできたわ」


 拗ねたような尖った口調だったが、彼女は確かに僕の言葉に応えてくれた。

 少しだけ肩の力が抜ける。緊張がほぐれた僕は、壁から背を離して立ち上がると、メルエットさんの方へと歩み寄った。


 「もう一度見せてもらっても良いかな? 解けるかも知れないし」


 「無駄よ、さっきも見たでしょ? 鍵が無いとこの縛めは外せないわ」


 メルエットさんの言う通り、彼女の身体を縛り上げている鎖には、ご丁寧に数個の錠前まで付けられている。これをこじ開けない限り、鎖も解けない構造になっていた。

 それでも、と僕は頼み込んだ。メルエットさんはため息を吐き、投げやり気味に体を捻る。鎖の食い込んだ手首や二の腕が顕になった。余程きつく締められているのか、隙間から見える手首の皮膚は、痛々しい程に赤く腫れていた。


 「酷いな……。何もここまでしなくて良いだろうに……」


 女の子にする仕打ちじゃない。そう言うとメルエットさんは怒りそうなのであえて口にはしなかったけど、実際これはやりすぎだ。

 捕虜とは言え、伯爵の娘としてそれなりの待遇を受けていた筈のメルエットさんが、どうしてこんな目に遭っているのか。


 「仕方ないわ、挑発に乗っちゃった結果だもの。私の失敗よ」


 「えっ? それってどういう事?」


 背中を向けたまま、メルエットさんが吐き捨てるように言う。僕は思わず訊き返した。


 「……連中にね、言われたのよ。私の責任だって」


 「メルエットさんの、責任……?」


 「“お前の無能さが、今日の事態を招いた。部下を無駄死にさせ、己だけがのうのうと生き残るのか?”って」


 「…………」


 反射的に否定しようと出かかった言葉を、喉元で抑え付けた。メルエットさんの話はまだ終わりじゃない。


 「自重するべきだったわ。激情に身を任せて暴れたところで、瞬く間に取り押さえられるのが分かりきっていたのに。お陰で、オーク共に私の扱いを変える名分を与えてしまった」


 メルエットさんは自嘲の笑みを交えながら、更に続ける。


 「ダメね、私って。カッとなるとすぐに我を忘れてしまうの。《棕櫚の翼》の襲撃の後、あなたを罵った時だってそう。どうしようも無かったって頭では理解していたのに、感情がそれを拒んだ。そして自分の心が赴くまま、荒波のような情動を鎮めたいと欲するがままに、あなたにそれをぶつけてしまった。モントリオーネ卿の館では、折角忠告してくれたマルヴァス殿にも噛み付いた。ネルニアーク鉱山の戦いでは、下がれと言われたのにしゃしゃり出てあなたの生命を危険に晒した」


 「メルエットさん…………」


 「自分が、特別な力なんて無いただの小娘だって認めたくなかったのね。マグ・トレド伯の娘という肩書以外、何ひとつ持っていない凡愚だという事実を。自力では何も為せない弱い存在だって事を」


 「………………」


 「あのレブというオークは、そんな私の思いに気付いていた。ヨルガンに護衛兵達の骸を見せ付けられ、何も言えないでいる私の前に、アイツが現れて……!」


 「え、ちょっと待って! 護衛兵達って、それじゃあ皆は……!」


 「…………表で火葬に処されていたわ。生存者は、誰も居ないそうよ」


 「そん、な……!」


 膝から崩れ落ちるような感覚に襲われる。それじゃあ、マルヴァスさんもローリスさんも、死んでしまった……!?

 

 「私は誰も守れなかった。人を率いていく資格なんて、初めから私には無かったのよ。私の護衛なんていう貧乏くじを引いた所為で、皆殺されてしまった……! ローリス殿も、マルヴァス殿も……!」


 メルエットさんの声が掠れ、背中が震える。

 絶望に打ちのめされたのは、僕も一緒だ。

 もう、誰の助けも期待出来ない。僕達しか、残っていないのだから。

 どうにか立ち上がろうとして、しかし脚に力が入らず、そのままヨロヨロと二、三歩後ずさった後、崩折れるように床にへたり込んだ。


 「ごめんなさい、ナオル殿……! 私の所為で、あなたまで、こんな目に……!」


 力の抜けた人形のようになった僕の耳に届いたのは、完全な涙声と化したメルエットさんの謝罪だった。

 

 「……メルエットさんの、所為だって?」


 疑問が頭をもたげる。

 違うだろう? 彼女が悪い事なんて、ただのひとつも無いだろう?

 心の中で、それを否定する言葉が飛び交う。抜け殻になったと思っていた身体の中で、次第に激しい感情が浸透してゆく。

 絶望感を塗り替えてゆくもの。

 それは、怒りの感情だった。


 「メルエットさんの、何処が悪いって言うのさ……! 君はいつだって、必死に頑張ってきたじゃないか……!」


 「え…………?」


 メルエットさんが振り向く。涙で濡れた頬が、僕の目に痛々しく映った。

 

 「僕は……メルエットさんが居なければ、死んでいた……! オークの毒にやられて、半死半生だった僕を繋ぎ止めてくれたのは、君じゃないか……!」


 「ナオル、どの…………」


 「忘れるものか……! 僕の身体からオークの毒を取り除いてくれたのは君だ! スファンキルを見つけて、灯りを確保したのも君だ! ワームの攻撃で、奈落に落ちそうになっていた僕に手を差し伸べてくれたのも君だよ! メルエットさん!」


 「…………」


 メルエットさんは縋るように僕を見つめる。

 僕は彼女の目を見据えてはっきり言った。


 「君は無能なんかじゃない! 立派に人の役に立ってる! 全員は救えなかったかも知れないけど、僕とコバは救ってくれた!」


 傍らのコバを振り返る。


 「そうだろう!? コバ!」


 間髪入れず、コバは頷いた。


 「ナオル様の仰る通りでございますです。ナオル様がオークの毒で苦しんでおられた時、愚かなコバめは気が動転して右往左往するばかりでございました。メルエット様の御指示と献身がなければ、ナオル様をお救いする事は叶わなかったでございましょう」


 メルエットさんの目に、再び涙が溜まり始めた。


 「でも……! それを言ったら、私だって、何度も何度も、あなた達に……!」


 「そうだよ! 僕達は、お互い助け合ってきたんだ! 皆で協力し合って、ここまでやって来たんだ! だから、君が全部を背負う必要は無いんだよ! こんな状況に陥ったのも、決して君の所為なんかじゃない! 一方的に君だけが悪いと責める資格なんて、誰にもありはしないんだ!」


 力強く、僕は断言する。僕の言葉は、紛れもない真意だった。

 そうだ。僕達は、手と手を携えて今日まで危機を乗り越えてきた。そしてそれは、これからも同じだ。

 たとえもう僕達三人しか生き残っていないんだとしても。ならば尚更、この結束を強固にして立ち向かってゆこう。

 その為にも、まずはメルエットさんの拘束を解かないといけない。

 僕は大急ぎで、頭の中をフル回転させた。 


 「……メルエットさん、コバ。ここは僕に任せて」


 「え……?」


 「ナオル様、何をなさろうとしておられるのです?」


 二人が怪訝な表情を浮かべる。その顔を交互に見比べながら、僕は心の中で練っていた策を完成形へと近付けた。

 危険は、ある。というか、むしろ危険しかない。状況は圧倒的に向こう側に有利で、僕達は徒手空拳もいいところなのだから。

 それでも、僅かながらの勝算に賭けるなら、この手しか無い。


 「ヨルガンともう一度会ってくる。今度は、僕ひとりで」


 「……!?」


 「ナオル様……!?」


 二人が息を呑んだ。表情に滲む恐れの色を無視するかのように、僕は決然と言い放つ。


 「どうか、僕を信じてほしい」


 不退転の決意を読み取ったのだろう。メルエットさんも、コバも、何かを言いかけて止めた。

 少しの間、考えるように俯いていたが、やがて顔を上げて僕を見た。


 「……分かったわ。でも、気を付けて」


 「ご成功を、お祈り致します」


 目に悲壮さを表して僕に賛意を示してくれる。

 そんな二人に僅かに微笑みかけると、僕は静かな足取りで独房の扉へと近付く。


 「……お涙頂戴の茶番劇は終わったか?」


 外で望まぬ観客となっていたであろう看守のオークが、鉄格子の隙間から馬鹿にするような目でこちらを覗き込んで来た。

 僕は特に気にも留めず、あえてふてぶてしい態度でそいつに言ってやった。


 「聴こえていたんなら話は早いよね? ヨルガンさんに会わせてよ。向こうも僕に用がある筈だからさ」

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