第七十話
「ぼ、僕があのワームを呼んだ!?」
予想だにしなかったヨルガンの言葉に、つい声を大きくしてオウム返しに訊き返した。
「“呼んだ”、というのは少し語弊がありましたねぇ。正確には、あなたに引き寄せられた、といったところでしょうか」
クックッ、とヨルガンは僕から顔を離して喉の奥で笑う。
「ワームと言うのはね、別名“蛇竜”とも呼ばれていまして、地に生きる竜の一種なのです。そして竜は、どういう訳だか“渡り人”に対して強い執着を示す習性があるようでしてね。地表に出てくる必要の無いワームがあなたの目前に現れた事が良い傍証でしょう」
「竜が、“渡り人”に執着する!? そんな話、初めて聴きましたよ!?」
「《黒の民》の間では代々脈々と受け継がれているのですよ、そういう伝承が。我々はね、ナオル殿。《竜始教》の最も古い教えを信奉する“真なる民”なのです!」
ヨルガンが、誇らしげに両手を広げる。
「今の《竜始教》は、かつて世界の真実を恐れた愚か者共がその教義を捻じ曲げた結果、歪でつまらない宗教へと堕落してしまいました。“渡り人”の存在を消去したのもその一環です。そんなだから《聖還教》なんぞに布教の場を奪われてしまったのでしょう」
「………………」
確かに、ジェイデン司祭の言に依れば、《竜始教》において“渡り人”は存在しないものとして扱われているような感じだった。僕も特にそれについて疑問を抱かなかったのだが……。
ヨルガンの言葉を真実だとした場合、腑に落ちる事実がひとつある。
それはマグ・トレドを襲ったあの黒い竜、《棕櫚の翼》の事だ。
アイツが何故、マグ・トレドに現れたのか。そしてあの《竜巫石》を覗いた時に直接頭に語り掛けてきた声。
〈ミ、ツ、ケ、タ――――〉
「《棕櫚の翼》がマグ・トレドに飛来し、全てを燃やし尽くして灰燼に帰さしめたのも、ナオル殿。あなたを求めた末の行いなのですよ」
「……ッ!?」
僕の心を見透かしたかのように、ヨルガンが言った。
「竜と“渡り人”にどのような関係があるのか……。そこまでは私も存じ上げません。しかし、古来よりこの両者は邂逅し、そして殺し合う定めにあるのです。あの竜は、遅かれ早かれ必ずまたあなたの前に現れる……。前以上の破壊と死をもたらす為にね」
「アイツが、また……!?」
脳裏に、あの夜の光景が蘇る。燃える街並み、焼かれる人々、跋扈する火蜥蜴、昼間のように明るい空、そこで羽ばたく一対の巨大な翼。
そして、サーシャの死。
あの惨劇が、もう一度……!?
「防ぎたいとは思いませんか? 憎き竜を打倒し、無垢なる人々を護る力を得たいとは思いませんか?」
ヨルガンが、再び僕に顔を寄せてきた。顔は笑っているが、目は笑っていない。
「私に従いなさい、ナオル殿。私が、あなたを鍛えて進ぜます。竜に対抗しうる、一流の魔道士に育てて差し上げますよ」
「…………何故?」
かろうじて、絞り出すように僕は答える。
「僕を鍛えて、あなたに何の得があるんです?」
「クックック……。所謂利害の一致というやつですよ。我々とて、竜に好き勝手に暴れられて、この国を滅茶苦茶にされては困るのです」
「それなら…………」
僕は躊躇したが、思い切って言った。
「僕を殺した方が、安全確実なんじゃないですか?」
「は……はっはっはっ! ただ怯え、恐怖に震えているように見えて、中々どうして人を食ったお人だ! はっはっはっは!」
ヨルガンが吹き出す。ツボに入ったのか、そのまましばらく笑い転げていた。
ひとしきり笑うと、スイッチを切り替えたようにヨルガンは表情を引き締めた。
「私はね、あなたのような人をずっと探していたのです。他の世界からこちらへと流れてきた“渡り人”。竜をも倒し、この大陸で最強の存在となり得る人間を。あなたは、私の用意したテストで予想以上の成績を収めた。オークに立ち向かい、ワームによって崖から突き落とされても生き残った。《棕櫚の翼》の襲撃から生き残れたのもむべなるかな」
笑いを収めた彼の顔は、真剣そのものだった。さっきまでとのギャップに、少なからず僕は戸惑う。
ヨルガンは、懐から一本の短剣を取り出した。それを見た僕は目を剥く。
「《ウィリィロン》……!」
ヨルガンはおもむろに鞘からその短剣を抜き放ち、目の前に掲げた。
「強い魔力が込められた包呪剣です。これを使いこなせたのも、きっとあなただからでしょう。あなたには素質がある。私はその可能性に賭けてみたい」
《ウィリィロン》の剣身に、ヨルガンの鋭い眼光が鈍く反射して光った。
「《竜始教》とは元来、竜を神聖視してただ崇めるだけのものではありません。狂える竜を鎮め、時には討ち果たして地上の世界を護るのがその大いなる使命なのです。私は信奉者のひとりとして、この世を《棕櫚の翼》から護りたい。その為に、あなたの力が欲しい」
ヨルガンの目が、僕を圧倒しようとしていた。
僕は生唾を飲み込み、何かに背中を押されるかのように口を開きかける。
「僕は…………」
僕は……? 果たして僕は、何を言おうとしているのだろうか?
拒絶? それとも…………。
《棕櫚の翼》を討つ。その響きは、抗い難い魅力を伴っていた。
僕の目の前で無残に死んでいったサーシャ。彼女の仇を取りたいと願わなかったかと訊かれれば、『願っていない』と答えるのは嘘になる。
だけど、自分には無理だろうと諦めていた。あんなモノに勝てる訳が無いと。
これはゲームじゃない。竜は見上げるばかりに巨大で、余りにも無情で、途方もなく強くて。あんなの、到底人の手には負えないと思っていた。
僕は死ぬ訳にはいかない。元居た世界に、父さんの待つあの家に、帰らなくてはならないんだ。寄り道なんて、している暇は無い。
そんな言い訳をしながら、目を背けていたんじゃないか?
サーシャが死んだ怒りや悲しみから、心の底で燻る復讐心から、逃げていたんじゃないのか?
でも、もう逃げなくて良いのなら?
このヨルガンという男に従う事で、サーシャの仇が討てるのなら?
それならば…………
「ナオル様…………」
すっかり聴き馴染みになったあのか細い声が、僕の意識を現実に引き戻した。
ハッとなって隣を見ると、コバがいつものように不安気な目で心配そうに僕を見上げていた。
「まぁ、今すぐに心を決めろとは申しません。よーく考えた上で、結論をお出しなさい」
いつの間にか、ヨルガンの顔からも険が取れていた。先程までのあの嫌らしい笑みを復活させて、僕とコバを面白そうに眺めている。
「それでは、そろそろ“彼女”をお返ししようか。……おいっ!」
それまでずっと黙って成り行きを見守っていたレブが、背後の扉に目をやりながら一回大きく手を打ち鳴らす。
その合図を待っていたかのように扉が開かれた。
「…………!?」
サーッ、と。自分の顔から血の気が引く音が聴こえた気がした。
開け放たれた扉から出てきたのは二体のオーク。
そしてその間に挟まれて立っていたのは…………。
「――ッ! 〜〜〜〜〜ッッ!!」
鎖で縛り上げられ、猿轡を噛まされたメルエットさんだった。