第六十八話
コツコツコツ、と石畳を叩く音が薄暗い廊下に反響する。僕とコバ、それにオーク達の足音が合わさって、中々に音調豊かな合奏を奏でていた。
オーク達は手荒な真似こそしなかったものの、有無を言わせない威圧感を全身から発して僕とコバに迫った。
どちらにせよ僕達に選択権など与えられていない。《ウィリィロン》も当然ながら没収されてしまっている。反撃に出たところで、万に一つも勝ち目は無い。
僕は断腸の思いでペンダントの件を一旦保留にし、コバと一緒に彼らに従って悄々と部屋を出た。
前に二人、後ろに三人、それぞれオーク達が分担して固める。彼らの発する雰囲気から油断は一切感じられず、途中で隙を衝いて逃げ出すのは不可能だろう。
それにしても、と僕は前を行くオークの後ろ姿を見て思う。
鎧をしっかりと着込み、背筋を伸ばして颯爽と歩くその様は、何処か風格が在るというかカッコ良さすら感じられる。イメージ通りの蛮族もしくは魔物ではなく、きちんと訓練された兵士である事が窺える。
これがこの世界の、実際のオークというものなのか、と奇異の感に打たれていると、前を歩くオークがふと足を止めた。どうやら目的の部屋に着いたらしい。
「将軍、ご命令通りに捕虜を連れてきました!」
キビキビと声を張り上げて扉の向こうへ報告する。ワンテンポ空けて、中から低い声で返事がきた。
「……ご苦労、入ってもらうように」
その言葉を受けて、先頭のオークが扉に手を掛け、おもむろに開いてゆく。そして自分はその場に立ち止まり、僕とコバに中に入るよう手で仕草をした。
僕は肚をくくった。ここで躊躇してはダメだ。僕を此処に連れてこさせたという事は、向こう側に対話の意思があるという事。ならばそれに乗じるしかない。メルエットさんの安否を確認する為にも!
「……失礼します」
念の為一言断りを入れてから、僕は恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れた。
そこは僕達が放り込まれていた独房や先程歩いてきた廊下と同じく、石造りの部屋だった。中に居たのは二人。片方はあのヨルガンという男だった。相変わらず黒い衣装に身を包み、血色の悪そうな顔で部屋に入ってきた僕達を見て目を細める。
もうひとりは、後ろ手に手を組んでこちらに背を向けて立っている金属鎧のオークだ。窓の代わりなのか長方形にくり抜かれた奥の石壁から、赤紫色に染まりつつある外を眺めている。
覚えている。あの襲撃があった時、崖上からこちらの様子を見下ろしていたオークの将。
「よく来た。足労に謝意を表する」
低く、臓腑に響くような声とは裏腹に、オークの将の言葉は丁寧だった。
そしてゆっくりと振り返り、悠然とした物腰で僕達と相対した。
「我が名はレブ。コァムルのオーク族を束ねる長にして、オーク十二将がひとりである」
尊大に構えながらも語勢は極めて穏やかで、殺伐としたものは感じない。レブと名乗ったオークの将は更に続けた。
「このような仕儀となり、さぞ混乱し、また不安に感じ、あるいは怒りを蓄えている事と思う。貴君の胸中には同情を禁じえない。だが、どうか心を落ち着け、私の話を聴いてほしい。冷静であれば、互いにとって利に繋がる。一時の激情に駆られて後悔せぬよう、これは最初にお願いする」
「あ、はい……。分かり、ました……」
予想とあまりにも違う対応に僕は面食らい、またレブの全身から漂う将としての威厳というか器みたいなものに圧倒された。
「(これが、同盟軍側から裏切り者と呼ばれ、蔑まれるオーク……?)」
もっと話の通じない、本能のままに生きる野獣と大差無い種族かと勝手に想像していた。マルヴァスさんは彼らの事を卑劣で凶暴な種族だと言っていたし、ネルニアークの山道で襲撃してきた彼らを実際にこの目で見た時は、予想通りの蛮族だと心の何処かで納得したものだ。
だが戦いを終え、沸き立った血も冷めた後の彼らを見てみると、僕達人間と変わらない、礼儀礼節も備えた知的生命体であると実感する。
もっとも、そうでなければ僕達はとっくに殺され、今頃は何処ぞの路傍に骸を打ち捨てられていたのかも知れないけど。
「貴君らマグ・トレド使節団の戦いぶり、実に見事であった。誰一人、主君の名と己の誇りを辱める事なく各々の使命を全うしていた。正に、これぞ人間魂の極地。ひとりのオークとして心から敬意を表する」
胸に手を当て、静かに目礼するレブ。
僕は慎重に彼の様子を探りつつ、おずおずと口を開いた。
「……それは、どうも。それで、あの……メルエットさんは……メルエットさんは、何処に居るんですか?」
何よりもまず確認しなくてはならないのは、彼女の安否だ。目の前に居るレブの態度から考えて、そう酷い扱いはされていないと思いたいが……。
果たして、レブは僕を安心させるように穏やかさを保った口調のままで答えた。
「安心すると良い、彼女に対しても非道な行為はしておらぬ。マグ・トレド伯のご息女ともあろう方ならば、こちらもそれなりの待遇でお迎えせねば礼を失するのでな。ただし、少々興奮の度合いが行き過ぎておったゆえ、彼女の安全の為に“やむを得ない処置”は施させてもらったがな」
「やむを得ない処置……!?」
「なに、彼女の頭が冷えるまでの一時的な処置よ。貴君が心配しておる程のものでは無い。後ほど、こちらにお連れしよう」
そう言ってレブは濁った笑い声を上げる。僕は更に追及しようと口を開きかけたものの、寸前で思い留まった。
あまりしつこく食い下がるのは得策じゃないかも知れない。迂闊な事は言えない。何が切っ掛けで僕達に向ける態度を変えるか分からないのだ。僕達は今、オーク達の捕虜という立場にあり、彼らの一存でこの先の運命が決まってしまうという事は忘れちゃダメだ。
僕は注意深く、レブの意図を探るように問うた。
「あなた達の目的は何だったんですか? ソラス王国で内戦を繰り広げている筈のあなた達が何故このダナン王国に居て、何の為に僕達を襲ったのですか?」
シンプルかつ二番目に重要な質問。ブリズ・ベアに刺さっていた矢からちらついていたオークの影。
その謎は、今ここで明らかにしておかなくては。
「ふむ……。貴君はどう考えるかね?」
レブは顎に手を当て、面白いものを見つめるように目を細める。
質問したのはこっちなのに……というぼやきは当然心の中に仕舞って、僕は少し考えた。
ちらり、とヨルガンの方を盗み見る。かなり憶測が入るが、やはり現状ではこれしか考えられない。
「……メルエットさんの王都行きを阻む為。あなた達は、カリガ伯のモントリオーネ卿に雇われてあのネルニアーク山で僕達を始末しようとした。違いますか?」
「ほう」
レブは感心したような声を出したが、是非は明らかにしなかった。
それに焦れて、僕は更に続けた。
「ソラスから流入してくる難民と結託しているオークも存在している、と僕の友人は推測していました。ソラスの国民と同じく、オークにも内戦を嫌って逃げ出した者が居る、と。でもダナンに逃げ込んだところで、あなた達にとって此処はかつての敵国。この国からしても、あなた達は許されざる裏切り者です。同盟国の難民すら受け入れられないこの国が、敵視しているオークの滞在を許す道理は無いでしょう」
そこで僕は一呼吸置き、腹に力を込めて言った。
「モントリオーネ卿はそこに目を付け、あなた達に手を伸ばしたんです。あなた達オークや、盗賊に転じた流民達をカリガ領に密かに迎え入れ、その存在を隠匿した。その代わりに、有事の際は力を貸すよう要求したんです」
「ふむ……。続けたまえ」
レブはさも愉快そうに続きを促す。彼の様子に煽られた訳でも無いが、僕の語り口にも段々熱が入ってくる。
「そこへあの竜の襲撃があり、メルエットさんが王都へ上る事となった。モントリオーネ卿にとって、それは不都合な事態だった。理由は分かりません。イーグルアイズ卿を政敵と見做していたか、あなた達の存在がバレるのを恐れたのか。ともかく彼は、秘密裡にメルエットさんを排除したいと企んだ。だからこそ、ワームが棲み着いたというネルニアーク鉱山の方へ行かせ、他人が寄り付かないその場所で、盗賊やあなた達オークをけしかけて始末しようとしたんです」
「くくっ、くっくっく……!」
不意に、横からくぐもった笑い声がした。
見ると、ヨルガンがお腹を抑えてさもおかしそうに身体を震わせていた。
「くっくっくっく……! 中々に想像力豊かな御仁だ。しかしながら、その解答では及第点も差し上げられませんな。甘く見積もって正解部分は三割程度といったところでしょうか」
「………………」
僕は、彼の放つ不気味に雰囲気に圧されて黙り込んだ。
この人はどうも得体が知れない。モントリオーネ卿の館で初めて会った時から、纏わりつくような威圧感が拭えない。
しばらく彼は笑い転げていたが、やがてカッと目を見開いて僕を見据えた。
「我々の目的はメルエットさんと…………他ならぬあなたですよ、ナオル殿」
「ぼ、僕!!?」
仰天する僕を、ヨルガンは射抜くように指差して言った。
「あなた…………“渡り人”でしょう?」