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竜の階  作者: ムルコラカ
第一章 竜の揺り籠
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第六話

 涙を拭って一階へと降りると、マルヴァスさんは既にテーブルに着いていた。僕に気が付くと「ここだ」と言うように片手を上げる。


 僕は軽く頷きを返すと、彼の正面の椅子に腰掛けた。


「どうした? 目と鼻が少し赤くなっているが」


「なんでもありません。大丈夫です」


 マルヴァスさんはじっと僕を見たが、深く追及する事無く声の調子を変えた。


「どうだ、中々悪くない宿だろう?」


「あはは、そうですね。従業員に少し難があるとは思いますけど」


「サーシャのことか? まぁ確かに口が軽いところはあるが。あの子と何かあったか?」


「僕の目の色が違うとか、立ち振舞が違うとか、そんなところで何やら興味を持たれちゃったみたいで。色々と根掘り葉掘り訊かれたんですよ。しまいには僕の事を“渡り人”なんじゃないかって言い出す始末で」


「ほー」

 

 マルヴァスさんは腕を組んで感心したように頷いた。


「感の鋭い子とは思っていたが、まさかナオルについてそこまで見抜くとはな。大したものだ」


「当てずっぽうだったみたいですけどね。違うと否定したらあっさり信じてくれましたし」


「そうか。……“渡り人”だと悟られてはいないんだな?」


「はい、今後も彼女には打ち明けるつもりはありません。言い触らされてもたまりませんから」


「それで良い。さてナオル、飯が出来るまで今後の予定を少し詰めとこう」


 懐から一枚の折り畳まれた紙を取り出すと、マルヴァスさんはそれをテーブルの上に広げた。どうやら地図のようだ。節くれだった太い指がある一点を指し示す。


「ここがマグ・トレド。俺達が今居る街だ。三日程滞在するつもりだが、場合によっては少し伸びるかも知れない」


「どうしてですか?」


「まあ、色々と野暮用がな」


 彼は軽く微笑んだだけで言葉を濁し、詳しくは語らなかった。


「ナオル、物資の補給などの雑事は俺の方でやっておく。お前はその間自由にこの街を見物でもしててくれ」


「良いんですか?」


「ああ、ナオルはまだこっちに来たばかりだろう。この街は比較的治安も良いから一人で歩き回っても危険は無い。俺を手伝ってもらうより、お前が早くこの世界に慣れてくれた方が助かるからな」


「……なんかすみません。何もかも甘えてしまって」


「気にするな。右も左も分からない内に何か仕事をやれと言うのはただの無茶振りだ。出世払いという事で今は保留にしておくさ」


 冗談めかして笑いかけてくれる。本当に、この人にはお世話になりっぱなしで頭が上がらない。気まずさを紛らわそうと、僕は話の続きを促した。


「それで、マグ・トレドの後はどのようなルートを通るんですか?」


「門の所でも少し話したと思うが、まず北に向かう。王都はここからずっと南西にあるんだが、そこへ向かうにはまず北の国境に沿うような形でルートを取る必要があるんだ」


「近道は無いんですか?」


「無い、生憎な。無理に直進しようものなら、断崖や急流等の天然の要害をいくつも越えなければならなくなる。今日、ナオルを襲った“グリム・ハウンド”のような獰猛な獣も多い。命がいくつあっても足らんぞ」

 

 あの一本角のオオカミはグリム・ハウンドって言うのか。何だか、ゲームにでも出てきそうな名前だ。っていうか、ハウンドってオオカミじゃなくて犬じゃん。


「……あれ? でも北の方って確か、盗賊が出没しているんじゃありませんでしたっけ? 門の衛兵さん達にやめておけって言われてましたよね?」


「ああ。ソラスから身を持ち崩した流民が大量に流れ込んできているのさ。連中は食っていくために武器を取り、ダナンの国民を襲っている。生き延びる為に仕方なく、な。幾度も討伐隊が派遣されているが、数が多すぎて制圧しきれていないのが現状だ」


「それじゃあ、北に向かうのは危ないんじゃないですか?」


「だが王都に最も早く辿り着けるのはこのルートしかない。俺の居た街、クートゥリアに引き返して南から迂回すれば確かに安全だが、そっちはおよそ三倍の日数がかかってしまう。路銀が持たん」


「……なるほど」


 僕という、無駄飯ぐらいも居る訳だし。


「まあ、カリガの街まで恐らく危険はないだろう。問題はその先、オルフィリストまでの道中だが、対策がないこともない。考えなしで進もうってんじゃないから安心しろ」


「分かりました、続けて下さい」


「オルフィリスト、それからランガルはソラスと国境を接している街だ。当然、盗賊の数も一番多い。治安も、こことは比べ物にならないくらい悪いと考えて間違いない。旅の道中において、身の振り方が殊更難しい街になるだろうな」


「……戦いに、なる事もある?」


「場合によってはな。ナオルも、その心積もりでいてくれ」


「それについてなんですが、マルヴァスさん」


「どうした? 改まって」


 僕は言葉を紡ぐ前に周囲を見回した。シラさんもサーシャの姿も見えない。キッチンの方でまだ夕食の準備をしているんだろう。


 一応、用心の為に声を潜めた。


「……僕のような“渡り人”には、魔法の力があるって言ってましたよね?」


「……伝承ではそうなっている。だがナオル、仮にそうだとしてもお前はまだ魔法なんて使えやしないだろう?」


「どうして分かるんです?」


「どうしてってお前、あのグリム・ハウンドとの立ち回りを見ていたら誰でも分かるぞ。自由自在に魔法を扱える奴が、あんな獣二匹程度にあそこまで追い込まれるか?」


「……仰る通りです」


 ぐぅの音も出ない。


「俺は魔法なんてからきしだ。ナオルに伝承通り魔法の力が備わっているかどうか、正確なところは分からん。だが仮に素質があったとしても、今のお前は徴兵したばかりの新兵と同じ……いや、それ以下の素人だ。お前、戦いに臨んだ事はおろか武器を手に執った事もないだろう?」


「そこまで……分かっちゃいますか?」


「これでも元軍人だからな。相手を見れば、戦闘経験の有無くらいは分かる。だからナオル、無理に自分も戦おうと気負うな。お前は俺が守ってやる」


「ありがとうございます、マルヴァスさん。でも……それでもやっぱり、自分の身くらいは自分で守れるようになりたいです」

 

 マルヴァスさんの申し出は、正直言ってすごく嬉しいし、ありがたい。グリム・ハウンドに追い詰められた時の恐怖は、半日経った今でも薄れていない。命のやり取りというのがどういうものか、身を持って体験させられた。あんな気持ちを味わうのは、出来ることなら二度と御免こうむりたい。


 でもこの世界の現実は、恐らくそれを許してはくれない。朧気ながら、僕にはそれが分かっていた。


「足手まといにはなりたくありません。マルヴァスさん、僕に……戦い方を教えてはいただけませんか?」


「……そうか、立派だな。よし、じゃあその見上げた心意気を買って、お前にこれを預けておこう」


 マルヴァスさんは腰に手をやると、そこに挿してあった剣を鞘ごと引き抜き、僕へ差し向けた。


「あの、これは?」


「俺が愛用していた短剣だ。軽いからお前でも問題なく扱えるだろう。護身用に持っておけ」


 言われて僕は思い出した。あの時、グリム・ハウンドの脚を一本切り落とした剣だ。

 

 両手でそっとそれを受け取る。ずしり、と予想よりも重い感触が手のひらから全身に伝わって来た。


 柄に手をやり、おもむろに鞘から引き抜く。刃渡り三十センチ程の鏡のように透き通った剣身に僕の顔が映った。しかし、あの時見えた蒼い光は今は発していないようだ。


「ドワーフの友に鍛えてもらった特注品だ。強い魔力が込められていて、自分が真に『斬りたい』と思ったものだけを斬る。だから、間違って自分や無関係の他人を傷付ける心配も無い」


「斬りたいと思う相手以外は斬れないんですか?」


「ああ。その代り、効力を発揮した時の斬れ味は凄まじいぞ。岩ですら、水に刃を振るうかのように斬り裂くことが出来るんだ」

 

 なるほど。あの時の光は、この短剣に込められた魔力が発現したものだったのか。斬りたい相手だけを斬るというのは確かに便利な効果だ。


 僕は剣を鞘に戻し、改めてマルヴァスさんを見た。


「これを……僕に?」


「しばらく貸しといてやるよ。暇な時に素振りでもして、手に馴染ませておけ。戦い方は、俺の用が済んだら一通り教えてやろう」


「……分かりました、ありがとうございます」


 少しだけ、思うところが無いでは無かったが、僕は素直に受け取ることにした。

 

 本物の刀剣。空想の中で憧れるだけで、現実には縁がないものと思っていた。この世界に来るまでは。


 僕の世界の常識が通用しない場所。もう何度目かのその思いを、僕はまたも胸の中に蘇らせた。





「おっまたせ〜〜〜! お腹へったでしょ? さあさ、どんどん食べちゃってね〜♪」






 能天気極まる声が僕の感傷をぶった切る。


 目を丸くしてそちらへ向けると、満面の営業スマイルを浮かべたサーシャが、僕達のテーブルに料理を配膳してくれているところだった。


「お客さん、ツイてるね〜。今日のメニューはね、奮発してアカリア川の真珠とも言われるヴァハ魚のムニエルだよ! マグ・トレド自慢の漁師さん達の手で産地直送されてきた新鮮な逸品だから、よ〜く味わって食べてね〜」


「ありがとう、サーシャ」


 マルヴァスさんは全く動じていない。如才なく笑って、早速別の皿に盛り付けられた黒パンをスープに浸してかぶりついている。


「ん? どしたの、そんな眉間にシワなんか寄せちゃって。早く食べないと冷めちゃうよ」


「いや……別になんでもないよ。ありがとう」


 もうちょっと空気を読んでくれても良いじゃないか、とサーシャに心の中で毒づき、僕も自分の前へ並べられた食事へと手を伸ばすのだった。

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