第六十七話
「う……! うぅ……!」
目が覚めて最初に感じたのは、左肩に何かが這うような違和感。
それが何かを確かめる前に、聴き慣れた声が僕の意識を一気に現実に引き戻す。
「ナオル様! お目覚めになられましたか!」
「コバ! 無事だったんだ! メルエットさんは……!」
と、身を起こしかけたのを、コバが厳しく制する。
「まだお動きになってはなりませぬ! この布さえ巻けば差し当たり傷の処置はお済みになりますゆえ、どうかもう少々お待ちを!」
顔を横に動かして左肩の方を見てみると、以前の汚れた布は取り除かれ、代わりに真新しく小綺麗な布が巻き付けられていた。コバは、気を失った僕の怪我の手当てをしてくれていたようだ。
さっき感じた違和感の正体はこれか。布を取り替える作業の最中だったんだ。
僕は素直に動きを止め、コバの処置に身を任せた。ほっと安堵の息を吐いたコバが、手際良く作業を再開する。
一心不乱なコバの姿から目を外し、周囲を見渡す。
僕達が今居るのは、何とも殺風景な部屋の中だった。
床も壁も天井も石で出来ており、全体的に埃っぽく、所々に蜘蛛の巣が張ってある。奥の隅に小汚い藁のベットが二つ備え付けられており、その内のひとつに僕は寝かされていた。ベッドの他にはトイレと思しき穴が床に空いているだけで家具も調度品も何もない。出入り口に当たる扉には、鉄格子の嵌められた除き窓が付いていた。
これではまるで…………
「……独房みたいだ」
声に出して呟くと、それが呼び水になったみたいに現実感が非情さと絶望を伴って僕の心に重く伸し掛かってくる。
僕達は捕まってしまったんだ、あのオーク達に。
荒くなってくる呼吸を抑えながら、もう一度用心深く部屋を見回す。やはり、彼女の姿は無い。
メルエットさんは、ここには居ない。
コバが申し訳なさげに顔を伏せた。
「ナオル様が気を失われた後、我々はあのオーク達の手で此処に連行されてしまいましたです。どうやら此処は、古い時代にネルニアーク山の奥地に建てられた砦のようでございますです。放棄されて久しいこの場所を、オーク共が根城として使っていたようでございまして。コバめが不甲斐ないばかりに、ナオル様にこのような仕打ちを……。誠にもってお詫びのしようもございませんです」
「コバが謝る事じゃないよ。それよりも、メルエットさんの姿が見えないけど、彼女はどうなったの?」
湧き上がる悪い予想を心の中で必死に否定しながら、努めて平静を装って尋ねた。
コバは益々いたたまれなさそうに身を縮こまらせる。
「メルエット様は、ナオル様やコバめとは別の部屋に連れて行かれたようでございます。その場所が何処かも、その後のメルエット様の扱いがどうなっているかも、コバめは存じ上げませんです」
「そう、なんだ…………」
一瞬の脱力の後で、ふつふつと怒りや苛立ちといった遣る瀬無い感情が湧いてくる。しかし、無力感を強く滲ませ、自分を責めているコバの表情を見ると、文句を言う気は失せてしまう。
コバにはどうしようも無かった事だ。それに、気絶していた僕が偉そうに何かを言う資格は無い。
僕はメルエットさんについてそれ以上追及するのは避け、代わりにコバを慰めようとして言った。
「それはそれとして、コバと僕は良く一緒の部屋に入れてもらえたね。お陰でほら、こうして傷の手当てまでしてもらえた」
「メルエット様が、ナオル様の治療の必要を強く訴えて下さいましたです。そうしたら、あのヨルガンと申す男が便宜を図ってくれたようでございまして、コバめがナオル様のお世話をする事を許可致しましたです。薬や布も、あの男から分け与えられましたものでございますです」
コバの話を聴き、僕は意外に思った。
僕を気絶させたあの男。モントリオーネ卿が自分の腹心だと言い、今日またあのオーク達と一緒に居たあの男が……?
「……そうか、そうだったんだ。メルエットさんにも、お礼を言わないとな。だけど、あいつは一体どういうつもりなんだろう? 一先ず僕達を殺す気は無いって事なのかな?」
「ヨルガンも“悪いようにはしない”とは申しておりました。しかし、コバめには彼奴が何処まで本気かは分かりませんです。そうであってほしいとは心から思いますですが……」
「あいつはモントリオーネ卿が信頼する部下なんだ。マルヴァスさんの読みが当たっていたんだよ。モントリオーネ卿は、オークや盗賊達と繋がっている」
「メルエット様も左様お考えになり、極めて厳しくあのヨルガンを責め立てておりましたです。ですが、彼奴が自らを《黒の民》と告げると、途端に抗議を止めてしまわれました」
「《黒の民》? それって、何……?」
確か、初めて会った時もそんな単語を口にしていた。あの時は僕が“渡り人”だと知られたくなくて早々に立ち去ったから、それ以上は聴けなかったが……。
「コバめにも詳しい事は良く分かりませんです。ただ、以前グラス様が《黒の民》についてお耳にされた時、酷く顔を顰められたのを覚えておりますです。それ以上は何も申されませんでしたが……」
「………………」
どうやら良くない意味を持つ言葉なのは間違いなさそうだ。そんな人間がカリガ伯の懐に潜り込み、こうしてオーク達と一緒に居るという事実。
僕は、沸き起こる不安を鎮めようと胸のペンダントに手をやって…………
「……無い、ペンダントが無い!?」
僕は身体のあちこちを触って確かめてみたけど、ペンダントは出てこなかった。
「…………そうだ!」
思い出した。ペンダントはあの時、オークに首を掴まれたショックで地面に落としてしまったんだ。
それから回収する事も叶わず、僕はそのまま気絶させられて…………
「くそっ、冗談じゃないぞ……!?」
僕は思い切り頭を抱えた。
あのペンダントは、僕の半身だ。兄さんと姉さんとの思い出が詰まった、掛け替えのない唯一無二の宝物だ。
あれが無いと僕は…………!
「ナオル様、どうなされ…………」
言いかけたコバが、ハッと息を飲み込んで扉の方を向く。
直後、扉が無造作に開け放たれる。
気が抜けたようにぼんやりと顔を上げると、そこにはオークが三人、無表情で立っていた。
その内のひとりが、低く唸るような声で極めて事務的に告げる。
「気が付いていたのなら丁度良い。頭領がお呼びだ。来てもらおう」




