第六十六話
ナオル君が気絶しちゃったので、今回はメルエット視点です。
起伏の激しいネルニアーク鉱山の山道を、物々しく武装したオークの一団が行進してゆく。整然と隊列を組み、自分達がこの山の支配者だと言わんばかりに我が物顔で闊歩する。
その集団の中心に在る、この場には不釣り合いな人間三人とゴブリン一匹。
メルエットとコバは、四方をオークに固められた状態で粛々と連行されてゆく。むくつけき人ならぬ戦士達から立ち上る体臭に顔を顰めつつも、メルエットは懸命に我慢を貫いた。
「(ここは辛抱しないと……。手足の拘束こそされていないとは言え、余りにも多勢に無勢。レイピアだって取り上げられてしまったし、抵抗するのも逃げるのも、今は不可能。それに……)」
メルエットは前方を見ながら心配そうに目を細める。彼女の視線の先では、ひとりの少年がオークの肩に担がれながら運ばれている。
言うまでもなくナオルである。完全に気を失い、竿に引っかけられた布切れのように力なく枝垂れている。表情は見えないが、怪我の様子がしきりに思い出されて、メルエットの不安を掻き立てた。
「……ナオル殿をどうするつもりなの?」
メルエットは、ナオルの隣に居る男を睨みながら問うた。
その男――ヨルガンは、首だけを回しながら素っ気なく答える。
「貴女の気にする事ではございません。それよりも、もっと御自分の心配をなさったら如何ですか?」
侮蔑すら含ませたその言葉に、メルエットの血が沸く。
「彼は怪我人よ! 治療しないと生命に関わるわ!」
「これはこれは、マグ・トレド伯イーグルアイズ卿のご息女ともあろう方が、たったひとりの少年に随分とご執心のようですな」
ヨルガンはさもおかしそうに喉の奥でクッ、クッ、と含み笑いをする。
その一見すると不真面目そのものな態度に、更に加熱するメルエット。
「何がおかしいのよ!? あなた、捕虜の処遇の仕方を知らないとか言うんじゃないでしょうね!? はっきりした方針が定まるまで、もしくは交渉の結果が出るまで、粗略な扱いは許されない筈よ!」
「ええ、ええ、勿論存じておりますとも。なれど、それは人間やエルフ、もしくはドワーフにおける軍法の話。オークには通じません」
神経を逆撫でるような粘っこい口調でそう言うと、ヨルガンは傍らのオークを手で示す。
「私と彼らは対等の同盟を結んでいる身。彼らの意思決定に口出しする権利は持ち合わせておらんのですよ、クックックック……!」
勝ち誇るように耳障りな忍び笑いを漏らす。
メルエットはギリッ! と奥歯を噛み締め、その後頭部を睨みつける。
「……カリガ伯も落ちたものね。オーク如きと手を組み、同胞を陥れるなんて」
「おや、随分と知ったような事を仰いますね。我が主の一体何をご存知なんです?」
「下手な誤魔化しは止めなさい! モントリオーネ卿は何処に居るの!?」
「お館で政務に励んでおられましょう。あの方は曲がりなりにもこの地の領主であられます。斯様な雑事にかかずらう暇はございませぬ」
「雑事……ですって!?」
メルエットの眉が吊り上がる。
「巫山戯ないで頂戴ッ!! 我々を襲い、我が部下達を殺したこの下種共がっ……!」
「おっと御令嬢、逆上の余り感情に走った物言いをなさるのはお勧めしませんぞ。私と違って、オークの戦士達は侮辱に敏感ですから」
ヨルガンの言葉を肯定するように、メルエットの周囲を取り囲んでいるオーク達が一斉に足を踏み鳴らし、コバがびくりと飛び跳ねる。
武器こそ向けてこなかったものの、無言の彼らから放たれる圧倒的な威圧感に気負けして、メルエットも口をつぐんだ。
「……賢明な御判断です。御自分の今の立場をきちんと弁えていなさる。流石、イーグルアイズ卿の娘御なだけはありますな」
クッ、クッ、とヨルガンはもう一度喉の奥で笑う。
「既の所で冷静さを保たれた御褒美に、ひとつ教えて差し上げましょう。貴女方の処遇についてですが……安心なさい。この少年にしても、貴女とそこのゴブリンにしても、差し当たり悪いようにするつもりはございません」
「え……?」
「ただし、逃げようとしたり、反抗の意志が見られれば、その限りではありませんがね」
「……あなた、さっき私達の処遇はオークの手に委ねられていると言ってなかったかしら?」
「おや、そのように聴こえましたか? 実は貴女方についてはこの私に一任されているのですよ。《黒の民》とは言え、私はれっきとした人の身。それなりの礼は尽くしましょう。ですので、どうかそう恐れずに」
「《黒の民》……!?」
メルエットが瞠目する。実際に出会うのは初めてではあるが、《黒の民》については良く聴かされてきた。
古の、罪の一族。
ごくり、と生唾を飲み込む。まさか彼らが絡んでいようとは。
メルエットは、それ以上抗議の声を上げるのは止めた。《黒の民》という名への警戒心がそうさせたのだ。
怒りを押し殺し、ただ黙々と足を動かす事に専念した。そうすると、不思議と肚が据わってくるような気がしてきた。
「(どうせ逃げられないのよ……。だったら、このまま敵陣に乗り込むのも已む無しじゃない。隙を見てナオル殿を助け出し、一緒に逃げる。落ち着いて目配りを怠らなければ、必ずその機会を見出だせる筈……! 頑張るのよ、メルエット……!)」
死中に活、と言うべきか。絶体絶命の窮地に追い込まれた事で、却ってメルエットの中に潜む資質に刺激が加えられたようである。先日から続く極限状態が、少しずつではあるが彼女の成長を促そうとしていた。
最も、彼女自身は未だ自覚すらしていないが。
やがて、険しい山道の奥に、ひっそりと隠れるように建てられた砦が見えてきた。
恐らくは相当古いものであろう。近付くにつれ、傷んだ城壁や崩れかけた尖塔がくっきりと目に映る。その上で、仲間のオーク達が忙しなく動き回っている。遥か以前に戦略的価値を失い、放棄された砦をこのオーク達は拠点として使っているのだろう。中からは炊煙と思しき煙も立ち込めていた。
間もなく跳ね橋が降ろされ、メルエット達が城門を潜った。
「うっ……!?」
瞬間、オークの体臭を遥かに凌駕する刺激臭がして、メルエットは思わず鼻を抑える。
「な、何よ!? この臭いは……!」
「メルエット様……! こ、これは……!」
コバが炊煙の上がる方向を見て震えている。
コバに釣られるように、メルエットもそちらを見た。
そして、すぐに後悔する。
「――ッ!!?」
声にならない叫びが喉から漏れる。
荒れた城塞の一角で巨大な火が轟々と燃え上がり、人間の死体が次々と焼かれている。炊煙だと思っていたものの正体は、これだった。
そして、まだ火に放り込まれていない数々の人の死体。それらは紛れもなく…………
「護衛の、皆…………!」
しゃくり上げる声を抑えながら、喘ぐようにかろうじてそれだけを口にする。
メルエットの目から止めどなく涙が溢れ、頬を濡らした。
「言ったでしょう? 私も人間。最低限の礼は尽くす、と」
ヨルガンが、メルエットに顔を寄せて無表情に言った。
「雑兵とは言え、屍のまま打ち捨てて、野獣に食い散らかされるのは忍びないですからね。ちゃんと火葬して差し上げましたよ。火で清められた魂は安らかに《竜界》へと至り、やがて再び世に生まれ出るでしょう」
そして、クッ、クッ、と喉を鳴らす。
「それが、《竜始教》の教えですからね」
メルエットは、仲間達の仇を、目の前のヨルガンをそれまで以上にきつく睨んだ。
爪が食い込む程に強く拳を握りしめ、ブルブルと震わせる。
爆発しそうになる感情を必死に押し留め、心の中で繰り返した。
「(許さない……! この男も、オーク達も……! 絶対に、絶対に、皆の仇は討つ――!)」
誓いのように、あるいは呪詛のように、メルエットはひたすら胸に刻み込むのだった。
少し離れた位置。朽ち掛けたその砦を一望できる高台の上に、二つの影があった。
あわや飛び出さんと腰を浮かせかけた一方を、もう片方が制した。
「落ち着け、今乗り込んでも速攻で取り囲まれて犬死が落ちだ」
「これが落ち着いていられるか……ッ! お嬢様が居るんだぞ!? すぐに駆け付けて、助け出さねェと……!」
「分かっている、だからこそ冷静に行動しろと俺は言っているんだ。考えてみろ、不用意に飛び出して行って、もしメリーを盾にされたらどうする?」
「そ、それは……!」
当然の指摘をされて、大槌を肩に掛けたその大男は口籠る。
弓を背負った男がなだめるように続けた。
「夜を待とう。連中は今すぐメリーをどうこうする気は無さそうだ。それくらいの猶予はあるさ」
「……それまでに、オーク共がお嬢様に不埒な真似を働いたら?」
「生命までは取られないだろうよ。メリーだって、覚悟を決めた上でこの旅に出たんだ。慰み者にされるくらい、耐えてもらわなくちゃな」
「……冷てェんだな、お嬢様から兄貴のように思われてる癖に」
「こんな世の中なんだ。誰だって、何時までも綺麗で無垢なままでは居られない。お前だって、嫌という程身に沁みているだろう?」
「……………………」
「それでも皆、歯を食いしばって、懸命に前を向いて生きているんだ。メリーだって、例外じゃない」
「……あのナオルってガキも一緒だったぞ。オークに担がれて、気を失ってるみてェだったが。アイツは元々テメェの連れだろ? 心配じゃねェのか?」
大槌の男の言葉に、弓の男の目が微かに動いたが、すぐに変わらぬ口調で言った。
「ナオルにしても同じ事。第一、あいつはあの《棕櫚の翼》の襲撃から逃れた男だ。この程度でくたばる程ヤワじゃない。それでも生命を喪うようなら、所詮それまでの奴だったって事さ」
「……テメェのそういうところ、やっぱり気に入らねェ」
「それはどうも。俺も、お前の粗野に過ぎる部分は好きになれそうもないよ」
辛い言葉とは裏腹に、親しみを込めた笑みを口元に浮かべる弓の男。
大槌の男はそれを見て、苦々しげに横を向いた。
「……夜までだ。それ以上は待たねェからな」
「あァ、十分だ。それじゃ、今の内に作戦を練っておくとするか」
離れの高台から砦を偵察していたその二人。
それは、辛くもオークやワームの追撃を逃れた、ナオル達を除けばただ二人の生存者。
マルヴァスとローリスであった。




