第六十三話
巨大な口を大開きにしたワームが、僕達を一息で丸呑みにせんと迫る。まるで、猛スピードで突っ込んでくる軽トラックのようだ。
「くっ! 二人共避けて!!」
叫びざま、僕は背後を振り返って覆い被さるように二人を横へ突き飛ばした。
「きゃっ!?」
メルエットさんが小さく悲鳴を上げる。
それを掻き消す勢いで、一瞬前まで僕らが立っていた位置をワームの巨体が地面ごと削り取る。間一髪だった。僅かでも反応が遅れていたら、僕達は既にこの世に居なかっただろう。
「こ、のッ!!」
僕は《ウィリィロン》を抜き放ち、通過するワームの胴体目掛けて薙ぎ払うように斬り込んだ。
魚をさばくように、ワームの皮膚が真一文字に裂ける。
「ぐっ……!」
片目を瞑り、唇を噛む。意識が飛びそうになるのを堪え、くらくらする頭を頑張って持ち上げる。
斬り裂かれた箇所から吹き出す血潮。ワームが苦悶の声を上げている。
「や、やったッ!!」
流石の斬れ味だった。だがやはり短剣。どうにか当てられたものの、踏み込みが甘かった事もあって傷は浅い。
ワームが首を巡らせ、黄色く底光りする六つの眼を細めて恨めしげにこちらを睨む。
「……怒らせただけ、かな?」
荒い息を吐きながら、僕は小さく舌打ちをする。
さっきちゃんと魔法が使えていれば、きっと今頃はアイツを撃退できたいただろうに。
やっぱり、何かコツが要るのだろうか?崖から落ちた時が特別だっただけで、普段の僕ではやはり
思い通りに魔法を行使する事が出来ないのだろうか?
考えろ、あの時と今の違いを。一度出来た事が、二度と出来ないなんてあり得ないのだから。
「ナオル殿、下がって! ここは私が!」
メルエットさんがレイピアを構えて隣に立つ。だが顔は青ざめ、手は震えていた。吐く息も荒い。
「ダメだよ! メルエットさんこそ後ろに居て! 僕がなんとか……!」
「出来ないでしょう!? さっきだって、魔法を打てなかったじゃない! 怪我人が、無茶をしない!!」
「…………」
どうやら、メルエットさんには見抜かれているらしい。
正直言って、《ウィリィロン》を持ち上げるだけでももう限界だった。
先程横へ飛んだ時の衝撃と、ワームに斬り付けた時の衝撃は、しっかりと肩の傷に響いている。
じんじんと、傷口が痺れるように痛む。目も霞んできた。
生死の分かれ目だっていうのに、弛緩したように身体から力が抜けてゆく。これでは、逃げる事も出来ない。
「ナオル殿……? ちょっとナオル殿!? しっかりしなさいよ!」
片膝を付いた僕を、メルエットさんが叱咤する。その声も、次第に遠くなってゆく。
ぼやけてゆく視界の中で、ワームの頭が陽炎のように揺れる。もう逃さないとばかりに咆哮を上げ、再びその大口を開けて僕達に狙いを定める。
「……っ! 来るなら来なさい! イーグルアイズ家の意地を見せてやるわ!!」
メルエットさんが啖呵を切る。その意気や良しとばかりにワームが動いた。
真っ直ぐ彼女目掛けて直進してくる。不味い!
「う……おおおおっ!!」
腹の底から声を絞り出し、僕は前へと足を踏み出す。
「(こうなったら、せめてメルエットさんの盾に――! ……?)」
自分に活を入れた事で焦点を取り戻し、鮮明となった視界の端で、何かが放物線を描いてワーム目掛けて飛んでいくのが見えた。
それはワームの額付近に命中し、そして――
「うわっ!!?」
爆発した。
衝撃音が轟き、火花が飛び散る。
今にも僕達に喰らいつかんとしていたワームは、何が起こったか分からないといった様子で大きく怯んだ。
首を振り上げ、火の粉を嫌うように激しく頭を振る。
「や、やりました! これはまだ使えますです!!」
コバだ。ひどくはしゃいだ様子を見せている。その手には、黒い方丸のようなものが握られていた。
「“炸火球”!! 何処でそれを!?」
メルエットさんが驚きの声を上げる。
「この辺りにいくつか落ちてございました! 鉱夫の方々がお使いなさっていたものでしょう! さあメルエット様、どうぞ!」
そう言って、コバは傍らの地面から無造作にその黒い方丸をひとつ取ってメルエットさんに渡す。どうやらこの短い間で出来るだけの量を掻き集めていたらしい。
「でかしたわ! 癪だけど褒めてあげる!!」
絶妙に棘を含ませながらも、メルエットさんの声が活気を帯びる。
むしるようにコバの手から方丸を取ると、すぐさまそれをワームへ向かって投擲した。
黒い方丸はワームの腹に命中し、再度の爆発を見舞う。
ワームは苦しげに身を捩り、ズルズルと退いた。
「効いてるわ! もっと投げて! これならアイツを追い払える!」
調子づいたメルエットさんとコバが、次々と黒い方丸を掴んでは投げた。
青い光で縁取られたドームの中が、一瞬の光明で彩られる。二人の放つ方丸が炸裂する度に洞窟の空気が震え、フラッシュを焚く。
なるほど、どうやらあれは掘削作業で使う発破の類なのだろう(着火もしないで投げつけるだけで爆発するとか、ちょっと危険極まりない代物な気もするが)。見た所、爆発の規模はそれ程でも無いものの、直撃すればそれなりの殺傷能力は期待できそうだ。事実、方丸を投げつけられる度にワームが逃げるように身を躍らせる。あの巨体でも、これを喰らったら痛いのだ。
しかし、と。そこで疑問がひとつ。
こんな有効打になりうる武器がありながら、なぜ鉱夫達が此処で死んでいるのか?
なぜモントリオーネ卿は、今日に至るまであのワームをネルニアーク鉱山から追い払えなかったのか?
答えは……明白だ。
「……!? 危ない!!」
注意深くワームの様子を窺っていた僕は気付いた。
苦痛を訴えるように大きく開かれたワームの口。
しかしその奥から、何かがこみ上げてきている。口の端からドロリとした液状のものが垂れた。
黄色い目が、赤く染まる。
「……っ!?」
「逃げて!! メルエットさん! コバ!」
僕が叫ぶのと殆ど同時に。
ワームの口から、鉄砲水のような“ナニカ”が放たれた。




