第六十ニ話
暗い坑道内を、スファンキルの青白い灯りだけを頼りに死物狂いで走る。
転ぶかも、なんて考える余裕は無い。
背後からは、物凄い振動と巨大なものを引きずるような音が絶え間なく追い掛けてきている。ワームの移動する衝撃が狭い空間内に反響し、それだけで身体全体を揺さぶられるようだ。
「このままじゃ追いつかれる!!」
駆け続けながら、焦ったようにメルエットさんが言う。
確かに、背後から響く音は段々と大きくなっている。僕達とワームとの距離が縮まっている証拠だろう。
「もっと速く! とにかく走り続けて!!」
息を切らせながら僕はメルエットさんとコバを励ました。一歩足を踏み出す度に肩の傷が疼くが、歯を食いしばってそれに耐える。
「(くそっ……! 最悪の展開だ! まさかこんなに早くワームに見つかるなんて……! どうにか出口を見つけないと……!)」
心の中で毒づきつつ、この状況を切り抜ける策を必死に考えていると、不意に視界が開けた。
「っ!? な、なんだ!?」
思わず周囲を見回す。そこは大きく開けた空間だった。
壁や天上の所々に、スファンキルよりの放つそれよりも濃く渋い青光が散りばめられていて、空洞全域を淡く照らしている。
何だろう?鉱石か何かだろうか?
「うわっ!?」
「えっ!? きゃっ……!?」
光に目を奪われて足元が疎かになったせいか、僕は地面の出っ張りに躓いて派手にバランスを崩した。
自然、僕と手を繋いでいたメルエットさんも体勢を乱される。
そのまま、もつれ合うように僕達は地面へと突っ伏した。
「ぐっ……! つぅぅ……!」
「……っ!? ちょ、ちょっとナオル殿!」
どうにか受け身を取ったものの、倒れた衝撃が容赦なく肩の傷に襲いかかる。
痛みでジタバタと情けなく藻掻く僕を、逸早く身を起こしたメルエットさんが一生懸命引き起こそうとする。
「しっかりして! 倒れている場合じゃないのよ! 逃げないと!」
「ナオル様! コバめがお助け致しますゆえ、何卒!」
メルエットさんとコバの手を借りて、僕は何とか上半身を起こす。
すると、目の前に白いボールが転がっているのに気がつく。
「……!? これ……っ!?」
違う、ボールじゃない。
それは、人の頭蓋骨だった。
よく見ると、周囲には人の骨があちこちに散らばっていた。全てがバラバラになっていたけど、明らかに一人分の量を超えている。
「ワームに食われた、犠牲者達の骨……なのか……!? 食べられて……骨だけが後で吐き出された……!?」
強い吐き気がこみ上げる。自分で言っててその光景を想像してしまった。
「此処はきっと、あのワームめの食事場なのでございましょう! このままでは、ナオル様もメルエット様も同じ運命を辿られますです! ですから、さあ!」
コバが強く促すのを聴いて、我に返る。
そうだ、呆けている場合じゃない。早く立ち上がらないと……!
だが、自分に活を入れて足に力を込めた時、後方から凄まじい破壊音が轟いた。
ハッ! となって振り返る。僕達が入ってきた入り口が大きく抉れている。
そしてそこから、巨大な蛇のような生き物がウネウネと身体をのたくらせながら生えてきていた。
不気味に黄色く光る六つの眼。鰐のような口から覗く白い牙。パラボラアンテナのように広がる首周りの膜。
正しく、あの時見たワームだった。
「まずい……!」
メルエットさんの声が引き攣る。
ワームの六つの眼は、全てが違う事無くこちらを捉えていた。獲物を追い詰めた猛獣よろしく、ワームが喉から低い唸り声を上げる。
そして、間髪入れずにこちらへ突っ込んできた。
「メルエットさん! コバ! 下がって!」
僕は痛みも忘れて前へと躍り出た。
両足を踏ん張り、両手を前に突き出して構えを取る。
「ナオル殿……!」
「ナオル様……!」
後ろから、二人が不安と期待が入り混じった声を投げ掛けてくる。
ああ、きっとその期待に応えてみせるさ!
「(こうなったら仕方無い……! 戦うしか無い! 風の魔法なら使えるって分かったんだ! これであいつを撃退してやる!)」
頭の中でイメージする。風を操り、相手にダメージを与える方法。
「(……“かまいたち”だ!)」
決まった。風の刃、かまいたち。これで、あのワームを斬り裂く!
イメージをより鮮明にする。掌から熱が広がるような感覚。瞬きほどの間に、それは全身に広がる。
潮が満ちるように、魔法を発射するタイミングに向けて気が昂ぶってゆく。
……今だ!!
「喰らえっ! “かまいたち”!!」
高らかに宣言すると同時に、僕の掌から魔法が放たれる!!
ぽすっ、と。
放屁のような音がした。
「………………はれ?」
風が剣の軌跡を描いて飛んでいく様子も無ければ、突風のように吹きすさぶ様子も無い。
ただ、ほんの僅かに、そよ風のようなものが起こったという気はした。
春の夜空に優しく頬を撫で付ける、それこそ団扇を扇ぐだけで生み出せそうな、そんな心地良いそよ風が。
…………おかしいな、たったこれだけ?
「だ、だ、だ……! ダメじゃないかァァァーーーーー!!!!」
僕は思わず頭を抱えて絶叫した。
後ろから、二つのしゃっくりにも似た引きつった叫びが上がる。
そんな僕らの醜態を嘲笑うかのように、大口を開けたワームの巨体がすぐそこまで迫ってきていた――。