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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第五十六話

引き続き、メルエット側の視点です。

次回からはまたナオルの一人称視点に戻ります。

 「起きて下さいませ……っ! ナオル様、目をお覚まし下さいませ……!!」


 岩陰に広がっていた光景を見て、メルエットは一瞬言葉を失った。

 ナオルは岩を背にして、もたれ掛かるように気を失っていた。

 そのナオルの身体にコバが半狂乱の体でしがみつき、激しく揺すっているではないか。


 「ナオル様……! 貴方様まで身罷られましたら、コバめはどうしたらよろしいのですか!? グラス様、サーシャ様のみならず、貴方様まで、コバめは喪うてしまうのですか……!?」


 正気を失くしたコバの手で左右に揺さぶられる度に、左肩の傷から血が吹き出てナオルの服を汚してゆく。


 「……っ! やめなさい! 何をしているの、あなた!?」


 メルエットは自身の痛みも忘れて大急ぎで駆け寄り、コバをナオルから引き離した。


 「メ、メルエット様……!」


 コバの瞳に怯えの色が加わる。メルエットの視線から逃げるように俯き、モゴモゴと口を動かした。


 「ナオル様が……! 起きて下さらぬのです……! コバめに、お命じになって下さらぬのです……!」


 「だからって気絶している彼をあんなに激しく揺さぶるなんて、何を考えているの!? 怪我が悪化して、死んじゃうわよ!!」


 「……!? も、申し訳……!」


 コバは雷に打たれたかのように身体を震わせる。伏せられたままの顔の上で、半開きになった唇が激しくわななく。


 「コバめが、ナオル様を死なせてしまうところだった……!? ああ……! 左様なつもりでは……っ!!」


 自身の行動を振り返り、危うく取り返しのつかない始末に至ってしまうところだったと悟ったのだろう、元々青かったコバの顔色が更に蒼白になる。メルエットの登場が遅ければ、コバの手でナオルの生命は絶たれてしまっていたかも知れない。

 コバは絶望に駆られ、涙と涎を撒き散らしながら何度も何度もその場で地面に頭を打ち付けた。


 「コバめの所為で! コバめの所為でっ! コバめの所為でっっ!!」


 動転して奇行を晒すコバの姿に、メルエットは顔を顰めた。

 元々、ゴブリンは嫌いだ。醜くて汚くて、その上卑屈で見るに堪えない生き物。時折館に来ていた《聖環教》の聖職者が説く内容そのものだ。

 聖職者と言えば、マグ・トレドにおいて最も古く馴染みがあるのは《竜始教》のジェイデン司祭だが、近年では《聖環教》の勢いが国内全域において爆発的に増してきており、殆ど役目を食われたような状態となっている。彼らは《竜始教》のものとは比べ物にならない程に立派な造りの教会を建て(竜の攻撃で焼失したらしいが)、広く民衆の支持を集めていた。街の支配層にもその影響は及び、領主であるイーグルアイズでさえ無視出来ない存在へと成長したのだ。

 《聖環教》の教団勢力が館へ出入りするようになったのも、自然の成り行きであろう。メルエットは、幼い頃より彼らの教義に触れ、それが正しい教えだと純粋に信奉してきた。

 彼らの教義において、ゴブリンは忌むべき生き物、排除すべき異形として語られているのだ。

 メルエットは不快気にコバから視線を外した。

 とにかく、これ以上ゴブリンなんかにかかずらっていられない。それよりも今は、ナオルを介抱しなくては。


 「ナオル殿…………」


 傍に跪き、彼の容態を確認する。

 ナオルは顔に苦悶の表情を浮かべ、全身で汗をかいている。随分気息が浅い。左肩の血は、まだ止まる気配は無い。

 額に手を当ててみる。かなりの高熱だった。


 「…………」


 メルエットはしばらく躊躇った後、意を決してナオルの上衣に手を掛けた。

 ローブの下にある衣服は目にしたことの無い素材であったが、幸いにも貴族用の服と似たような造りをしており、脱がせる分に支障は無かった。

 

 「う……!?」


 胸の釦を外し、左肩をはだけさせた時、メルエットは思わず手で口元を覆った。


 「ひどい…………!」


 肩口から縦一文字に刻まれた裂傷は、深さ自体はそれ程でも無さそうである。少なくとも腱にまでは達していないだろう。

 だが傷口周りの変色が激しい。腐り果てたかのような紫色をしている。オークの武器に塗られていた毒の効果だ。

 無論、まだ壊死にまでは至っていないだろう。だがこのまま放置していると程なくそうなる。


 「私を庇った所為で……!」


 いたたまれない気持ちになったが、自責は後回しにしなくては。このままでは、ナオルは死ぬ。

 マルヴァスやローリス達が自分達を見つけて此処に駆けつけてくれるまで、彼が保つとは思えない。そもそも、あちらの安否も定かでは無い以上、救助は期待できないだろう。

 奴隷のコバもあの有様。

 自分がやるしかない。自分しか、ナオルを救える人は居ないのだ。


 「ええと、館で過ごしていた時に習った医術では…………。そう! まず傷口を洗わなくては!」


 メルエットは腰に携帯している水筒に手を伸ばした。幸いにも紛失する事は無く、中身も十分残っている。蓋を開け、中の真水を左肩に垂らして傷口を清めてゆく。

 ナオルの身体が反応して二、三度軽く震えるが、目を覚ます事は無かった。

 地面に寝かせるべきかとも思ったが、無理に動かすと却って良くないかも知れない。

 仕方無く、岩にもたれ掛からせた姿勢のままで処置を続ける事にした。

 

 「次は、止血の処置を……。確か傷口より上、心の臓に近い位置を縛れば良いのよね?」


 ひとつひとつ、水面に浮かんだ木の葉を掬い上げるように習った事を思い返しながら、今度はレイピアを佩く為に着けていた腰紐を解き、それをナオルの左肩に巻き付けた。

 肩口の傷に触れないよう、慎重にその左側を縛ってゆく。


 「出来た……! でもこれだけでは不十分ね。どうにか解毒しないと……。でも、毒の種類すら分からないのでは……!」


 メルエットは眉根を寄せて考え込んだ。何の毒か分かっても、それに対応する薬草なり何なりが無ければナオルは助けられない。

 他に何か手は無いだろうか? ナオルの身体から毒を抜く方法が…………。


 「……そうだ!」


 ひとつだけ、あった。

 だけど、出来るだろうか? 貴族の娘として教育されてきた自分に?

 

 「………………」


 メルエットはもう一度、ナオルを見た。少女のようにあどけない顔をした、自分と同じ年頃の男の子。

 随分、遠慮の無い言葉をぶつけられた。勿論、最初に無礼を働いたのは自分の方だ。それでも、理屈と感情は別問題である。

 あれ程の口喧嘩をしたのは、初めての経験だった。

 彼の言葉の全てを肯定したつもりは無い。自分の方が正しいと思っている部分もある。特にあのゴブリンに関しては、自分の言い分を曲げるつもりは一切無い。

 腹立たしくて、憎たらしくて、それでいて何故か――嫌いにはなれない。

 三度も生命を救われた。ブリズ・ベアからも、オークからも、転落死からも、彼は自分を守ってくれた。

 弱くて、無様で、優しい人。


 「……死なせはしないわ。死なないで」


 もっとこの人と話したい。このまま死に別れるなんて嫌だ。

 それが、メルエットが抱いている率直な想い。


 「……っ!」


 メルエットは、思い切ってナオルの左肩に顔を寄せた。

 傷口に自らの口を付け、吸引を開始する。


 「ちゅぅぅ……! ん……っ! ぺっ!」


 肺の力を精一杯使って、ナオルの体内に入った毒を吸い出してゆく。息が苦しくなるまで啜ったら、今度は口内に溜まった血膿を地面に吐き出す。ドス黒い色をしていた。

 何度も何度も、それを繰り返した。

 傷口を啜る度、まるでそれから逃れようとするみたいにナオルが身体を痙攣させるが、メルエットは両腕で彼を抱き締めるように捕まえて、離さなかった。

 ナオルを拘束したまま、一心不乱に毒を吸い出す。

 岩を背にして抱擁する男女の姿。傍から見ればそれは、愛を契った恋人同士の儚い逢瀬の風景にも似ていた。


 「メルエット様……? 何をなさっておられるのです……?」


 コバが、オドオドと遠慮がちに声を掛けてくる。

 メルエットは振り返り、所在なさ気に立っているコバをキツく睨み据えた。


 「あなたも、御主人様を助けたいならしっかりしなさい!」


 「は、はいっ!」


 叱咤を受けて、コバが背筋を伸ばす。


 「ナオル殿の高熱を冷ます必要があります。傷口の消毒も。あなた、熱を下げる効能のある薬草に心当たりは?」


 「ご、ございますです! ヤグネルの草というものがございまして、市井の間では解熱剤として出回ることが多く……」


 「この辺で探せますか?」


 「多年草で広く分布しておりますので、恐らくは……」


 「でしたら、早くお探しなさい!」


 「しょ、承知致しましたですっ!!」


 怒鳴りつけるように命じると、コバは弾かれたように駆け出していった。


 「火の準備も必要です! それも頼みましたよ!!」


 その背中に追加で注文を投げつける。

 ゴブリンは嫌いだが、彼のナオルに対する忠誠は本物だろう。ナオルを死なせたくないという、お互いの想いは一緒だ。

 この際、好悪の感情は棄てよう。利害の一致という事で、今回だけは協力しあわないと。

 メルエットは、血膿が付着して汚れた口元を無造作に袖で拭って、再びナオルの治療に専念した。毒が混じった彼の血膿と一緒に、自身の胸に蟠った苦々しい情念を吐き出していった。

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