第五十四話
レイピアを構え、自らオークを迎え撃たんとするメルエットさん。
「無茶だ! メルエットさん、下がって!」
泡を食った僕は声を荒げて制止した。勇気と無謀は違う。
さっきの盗賊との戦いを思い返してみれば良い。僕に手を掴まれたまま、それを振り払えなかった彼女だ。
非力な僕にすら、力では抗せない人。レイピア自体、まともに扱えるかも怪しい。
このままでは、オークに為すすべなく蹂躙されてしまう。
「深窓の令嬢扱いはするな、と何度も私は言いました。ナオル殿、今こそあなたの認識を改めさせてみせましょう」
僕の制止を無視して、メルエットさんは無造作にオークとの間合いを詰める。その足取りに、迷いは感じられない。
「くっ!」
やっぱりあの口喧嘩か!あの時僕が怒りに任せて言った事をずっと気にしていたのか!こんな局面でそれが響いてくるなんて……!
いや、後悔は後ですれば良い!今はメルエットさんを守らないと!
聴いてくれないのなら是非も無い!せめてカバーしなきゃ!
だが、僕より先にオークが動いた。それぞれが手にする禍々しい形状の剣やら混紡やらが三方からメルエットさんに迫る。
「私は、ただ守られるだけのか弱い女ではないっ!!」
溜まった鬱積を叩きつけるように叫ぶと、メルエットさんは後の先を取るようにレイピアを向かって右側のオーク目掛けて突き出した。
「――ッ!?」
やはり、と言うべきか。
必殺の一撃と意気込んで放ったであろう彼女の刺突は、オークにあっさり防がれた。
混紡で弾かれ、レイピアの軌道があらぬ方へ逸れる。勢いに呑まれ、メルエットさんの身体が流れた。
そこを、他のオーク達が見逃す筈がない。
体勢の崩れたメルエットさんに、中央と左側のオークが肉薄する。
「うわあああッッ!!」
僕はなりふり構わずに飛び出した。手前のオークに身体ごとぶつかる。
僕の乱入を予期していなかったのか、体格では完全に負けていたにも関わらずそのオークは僅かに怯んだ。
それをまともに確認する事もなく、僕は更に奥へと足を踏み出した。二体目のオークが振りかぶった剣の刃が、今にもメルエットさんを両断せんとしていたのだ。
「(間に合えッ!! なんでも良いから斬り飛ばせッッ!!)」
心の中で祈るように念じながら、僕は《ウィリィロン》を振り上げた。
「――!?」
声にならない叫びがオークの口から漏れる。彼の持っていた剣が、右の手首ごと宙に舞い上がったのだ。
切断面から血を吹き出しながら、残った左手で傷口を塞いで蹲るオーク。
「はあっ…! はあっ……!」
き、斬った……! この《ウィリィロン》で……! 僕が…………!
剣を狙ったつもりだった。気付けば、オークの手首に当たっていた。手応えは、殆ど無かった。
火蜥蜴を斃した時のような、嫌な感覚。それに束の間、支配された。
「ナオル様ッ!!」
コバの声で我に返る。同時に、殺気というものか、凄まじい圧力が左側から迫ってきているのを感じて、反射的に身を引いた。
「あっ――!?」
左肩に重い衝撃が叩きつけられる。熱がじわりと広がっていき、遅れて痛みと痺れが襲ってきた。
僕は《ウィリィロン》を手にしたまま左肩を抑えて、衝撃がやってきた方向へ向き直る。先程身体をぶつけたオークが、剣を袈裟斬りに振り抜いた姿勢で立っていた。
ニヤリと口を歪めて、更なる追撃を加えようと剣を構えるオーク。
だがそこに、コバの投擲する小石が続けざまに飛来し、彼の気勢を殺いだ。
「ナオル殿!!」
メルエットさんが傍に寄り添い、僕を守るように前でレイピアを構え直す。
立場があべこべじゃないか。そう言おうとしたけど、痛みで言葉にならなかった。抑えた左肩が焼けるように熱い。
右手を離してみると、血がべっとりと付いていた。さっき斬ったオークの血では無い。
これは、僕の…………。
「浅手です! しっかりして下さい!!」
メルエットさんの叱咤する声が遠くで聴こえる……。段々と痛みが薄らいでいき、代わりに眠気のようなものが忍び寄ってくる。
『オークの武器には毒がある』
マルヴァスさんの言葉が、頭の片隅で蘇る。
これは、毒の効果か? それとも、斬られたショックで身体が過剰反応を起こしているだけか?
分からない……。ただひとつ確かなのは、抗いようもなく意識が朦朧としてきている事……。
目の前が霞み、地面まで揺れているように感じられて…………。
「……!? 地面が、揺れてる……!?」
気の所為じゃない。確かに僕達の今立っているこの山道に振動が起こっている。しかも、段々と強くなってゆく。
戦っている兵士さん達、それからオーク達の間にも動揺が広がっているようだ。斬り結ぶのもやめて、あちこちに視線を彷徨わせている。
「こ、これは……!?」
メルエットさんが言った、その瞬間――
地面から、黒い塔が生えてきた。
「…………は?」
自分が目にしたものが俄には信じられず、痛みも忘れてその『黒い塔』を見上げる。
地面を割って飛び出してきた『黒い塔』は、途中でグニャグニャと曲がり、その先端を再び地表に叩きつける。辺りの兵士さんやオークが衝撃で吹き飛ばされた。戦場に木霊する悲鳴と怒号。
吹き荒れる砂塵の中から、そいつがおもむろに巨大な首を持ち上げた。開かれた口から覗く、巨大な牙と長い舌。
「へ、蛇!?」
『黒い塔』の正体は、巨大な蛇だった。竜にも似た巨大な顎の上に、黄色く輝く六つもの目を乗せて、エリマキトカゲのような襟で首の周りを覆っている、異様な頭部。
「――!? 《ワーム》!! どうしてこんなところで!!?」
メルエットさんの叫びを聴いて理解する。
モントリオーネ卿が言っていた、ネルニアーク鉱山に棲み着いたワーム。それが、アイツなんだ。
「………………」
もう無茶苦茶だ。盗賊に続きオークの襲来と来て、お次はワームまで。
身体に合わせて、精神まで麻痺してしまったのか、僕は他人事のようにこの状況を俯瞰して見ている自分に気付いた。
これ以上、状況が悪くなる事なんて無い?
いいや、多分違うね。まだまだ最悪には程遠い。
だってほら、すぐ目の前にあのワームの頭が迫ってきているじゃないか…………。
「ナオル様ッッ!!」
コバの声を掻き消すように、巨体が目の前の地面を抉る。直撃こそ免れたものの、僕の身体は衝撃で蹴鞠のように後ろに大きく吹き飛ばされた。
その先は――崖。底の方では、暗い闇が大口を開けて待ち構えている。
「(ああ、落ちる…………)」
諦観が心を占めてゆく。下に落ちて死ぬのが先か、それとも毒が回って昇天が先か。
死んだら、サーシャと会えるかな?
父さん、ごめんよ。帰ろうと思っていたけど、結局ひとりぼっちにしてしまうみたい。
ひとりぼっちと言えば、コバもそうだ。主人のくせに、彼にはなにひとつ与えていない。最低だ。
兄さんや姉さんとも、今度こそ二度と会えなくなる。
マルヴァスさんとも、メルエットさんとも…………。
呑気にそんな事を考えていると、ふとさっきまで僕が居た場所が目に入る。
亀裂が走り、剥がれ落ちるように崩れ落ちてゆく大地。
そして、僕と同じように空へと投げ出される、二つの影。
コバと、メルエットさんだった――――。
「……ッ!?」
一気に意識が覚醒する。声にならない叫びを上げながら、反射的に両手を二人に向けて伸ばした。
だが届かない、届く訳がない。仮に届いたとしてどうしようと言うのか。
三人纏めて墜落死するという未来は変えられないじゃないか。
「(嫌だ!! もう、友達を死なせたくない!!!)」
僕は強く目を瞑る。心の中で必死に祈った。
「(“渡り人”が魔法を使いこなせるというのなら……! 何でも良い!! 二人を助けてくれ!!!)」
言葉として口に出していたら、きっと血も一緒に吐いていたに違いない。そう思える程に、強い想い。
その瞬間、掌にじんわりとした温かみが広がる。左肩の灼けるようなそれとは異なる、心が安らぐような優しい熱。
僕は、はっとなって目を開ける。
両の掌の向こうに、確かに魔法陣が浮かび上がっていた。
コバとメルエットさんの身体が、薄黄色の光の膜のようなものに包まれる。
「(ま、ほう――?)」
僕の意識は、そこで途切れた。