第五十三話
「弓だ!」
メルエットさんの策を聴いて、僕も閃いた。
あの位置なら、此処からでも矢が届くかも知れない。そして僕達の中で随一の弓の腕前を持っている人は……!
「あなた達、マルヴァス殿を援護し、彼を下がらせて下さい!」
「「承知!」」
メルエットさんの命令を承けて、二人の兵士さんは機敏に動いた。
縦横無尽の立ち回りでオークを圧倒していたマルヴァスさんだが、前線に出てきた彼らとの短いやり取りでメルエットさんの意図を察知したらしく、即座に彼らと交代してこちらへ戻ってきた。
「メリー、何か良い思案が浮かんだのか?」
流石に肩で息をしながら、それでもマルヴァスさんは不敵に笑う。その余裕のある姿態がこの上なく頼もしい。
「マルヴァス殿、あの崖上のオークを射れますか?」
メルエットさんは、オークの将に気付かれないよう慎重にそちらを指差した。
「……なるほど、確かにあれだけ偉そうにふんぞり返っていたら、嫌でも指揮官だと分かるな」
「ええ、彼を討てばオーク達の勢いは止まるでしょう」
メルエットさんは自信たっぷりに大きく頷く。希望が見えたお陰か、表情に明るさが戻っていた。
しかしマルヴァスさんは僅かに難しい顔をした。
「良い目の付け所だと思うが、少し問題がある」
「えっ!? 何が問題だって言うんです!?」
僕はぎょっとした。まさか戦っている最中に弓が折れたとか、矢が尽きたとか!?
一瞬、頭の中を最悪の想像がよぎったが、弓も矢筒もちゃんとマルヴァスさんの背中に変わらずあった。矢筒の中の矢の本数もまだまだ残っている。
「此処からでは距離が遠すぎる。一応届くことは届くが、矢の殺傷能力には期待できない。仕損じて、奥に引っ込まれたら万事休すだ」
「あ……!」
そこで僕は思い出した。さっきの盗賊との戦いでも、マルヴァスさんは馬車の近くで矢を撃っていた。そこからじゃないと、崖上の敵を斃せないんだ。
「もっと近付く必要がある。それは俺に任せてくれて良い。だがその間、オーク共にこちらの狙いを気取られないようにしなければならない」
マルヴァスさんは、真剣な眼差しを僕に、コバに、そしてメルエットさんに注いだ。
「俺がアイツを仕留めるまでの間、お前らは此処でオーク共の注意を引き付けて欲しい。出来るか?」
ごくり、と生唾を飲み込んだ。要は囮になれ、という事だ。
護衛対象を囮にするなど本来は言語道断、本末転倒も良いところだ。だがメルエットさんを隠せる場所は無い。それに、これをやらなければ突破口は開けない。
マルヴァスさんの言葉を受けて、メルエットさんが益々嬉しそうに口元を歪める。
「ようやく子供扱いはやめて下さるの? 私が一人前だと気付くのに、随分かかったのではなくて?」
「皮肉るなよ、俺は何時だって期待を掛けてるさ。お前にもナオルにも、それからコバにもな」
「ぼ、僕!?」
「コバめも、でございますか!?」
ぽん、と。マルヴァスさんは僕とコバの頭に手を置く。
「頼んだぜ、二人共。メリーを守ってやってくれ」
それだけを言い置いて、マルヴァスさんは脱兎の如く駆け出した。馬車までの道を遮るオーク達の只中に食い込んで、風のように掻い潜ってゆく。
既に作戦は動き出した。僕は懸命に頭の中を切り替え、正面に向き直った。
「ナオル様……!」
コバが小石を握り締めるの見て、僕も《ウィリィロン》を構える。
敵の注意を一身に集める。ならばこれしかないだろう。
僕は大きく息を吸い込み…………
「オーク達よ! お聴きなさい!! 我が名は、メルエット・シェアード・イーグルアイズ!!!」
そしてむせた。
僕が口を開くより先に、メルエットさんが高らかに名乗りを上げたからだ。
一瞬、戦場が水を打ったように静止し、全員がメルエットさんを見た。
彼女はレイピアを地面に突き立て、柄の上に拳を乗せて堂々と振る舞う。
「マグ・トレド伯コンラッド・シェアード・イーグルアイズが一子なり! オーク!! ソラスの悪夢、連合軍の背信者よ!! 我らが国を侵す痴れ者よ!! 手柄が欲しくば、我を斃すが良い!!」
オーク達の顔に、ドクダミの花のような下卑た笑みが一斉に広がる。各々が武器を扱いて、メルエットさんに向けて足を踏み出してきた。
「お嬢様!!?」
ローリスさんが喘ぎつつこちらへ駆け付けようとする。しかし、周囲のオーク達に阻まれ、果たせない。他の兵士さん達も同様だ。
「めめめ、メルエットさんんんっ!!? 敵の注意を引けって言われたけど、あなたがそれをやっちゃダメなんじゃ!?」
最悪だ。最も護るべき人を、敵の眼前に晒してしまった。もうオーク達の目には、メルエットさんの姿しか映っていないだろう。本当なら、僕が囮の役目をやるべきだったのに……っ!
「ナオル殿、狼狽えてはなりません! 見なさい、敵将も完全にこちらを見ていますよ!」
小声で言われ、崖上を見た。確かに、例のオークもメルエットさんに釘付けになっている。探していた獲物をようやく視界に捉えた所為だろう、会心の笑みが口元に広がってるような気がした。
確かに、敵の注意を一身に集めるという狙いだけで言えば、明らかに効果てきめんだった。
だが問題は、そのメルエットさんを護る壁役が僕とコバしか居ない点である。
「後は時間を稼ぎ、虎口を脱するのみ。覚悟をお決めなさい!」
「そ、そんな事急に――」
最後まで言う事は出来なかった。
眼前に迫ったオークが僕目掛けて飛び掛かってきたからだ。
「うわっ!?」
僕は殆ど反射的に《ウィリィロン》を振り上げた。オークの振るった剣の軌道と交われたのは、運が良かったからだろう。
「――っ!」
『この剣を斬れ!』
心の中でそう念じたのと同時に《ウィリィロン》が蒼い光を発し、オークの剣は真ん中から先がすっぱりと斬れた。
驚愕に目を見開き、動きを止めるオーク。
「よ、よし! 下がれ!さあ!」
僕は《ウィリィロン》を左右に振って威嚇する。これで相手は戦意喪失するだろうと踏んだのだ。
ところが、とんだ見込み違いだった。
そのオークは即座に表情に殺意を蘇らせると、折れた剣を捨て、素手でこちらに掴み掛かってきたのだ。
「はっ――!?」
予想外の事態になり、僕は咄嗟に動けない。荒ぶる猛禽類のように両腕を持ち上げて迫りくるオークを、間抜けのようにただ眺める事しか出来ない。
鋭い爪が僕の喉に打ち込まれようとした、その直前――
「ギャッ!?」
横から何かが飛来し、オークの目を直撃した。突然自分を襲った痛みに耐えきれず、オークは目を押さえてたたらを踏む。
僕はハッとして振り返る。
「ナオル様に危害を加えるのは許せませぬ!! 卑しいコバめと雖も見過せませんです!!」
コバだ。コバが小石を投げ、オークの目に命中させたのだ。
「ありがとう、コバ!」
「ナオル様、ご安心下さいませ! 命に代えても、コバめがお守り致しますです!!」
精悍な顔付きで、次の小石を構えるコバ。
コバの姿に僕の勇気も戻ってくる。再び《ウィリィロン》を構え、眼前を見据えた。
新手のオークが三体、輪を狭めるようにジリジリとこちらににじり寄って来ていた。
「…………!」
怖い。身体が震えて仕方がない。
だけど、戦わなきゃ!メルエットさんを守らなきゃ!
サーシャの轍は踏まない。今度こそ、守りたい人を守ってみせる!
僕が心の中で、敵を迎え撃つ覚悟を決めた時だった。
「………………」
メルエットさんが静かに、僕の後ろから前へと進み出た。
「えっ……!? メルエットさん!?」
僕の呼び止める声には応えず、メルエットさんはおもむろにレイピアを持ち上げる。
「あなた達の相手は、私です」




