第五十一話
「マルヴァス殿! 何を仰いますか!」
マルヴァスさんの言葉に首領より早く反応したのは、メルエットさんだった。
「モントリオーネ卿がそのような所業に及ぶ筈がありません! 第一、我々を害してあの方に何の得があると言うのです!?」
「それをこれから調べるんだよ」
マルヴァスさんは意に介さない。
「ネルニアーク鉱山の道を薦めたのはアイツで、賊など出ないと言っていたのもアイツだ。ところが、いざ通りがかってみるとと実態はこの通り。これで疑うなという方が不自然だろ?」
「それは……!」
弁護しようとしたものの上手く言葉が見つからないらしく、メルエットさんは口に手を当てて目を落とした。
マルヴァスさんは首領に向き直ると、再度問い質す。
「もう一度訊くぞ。モントリオーネがお前らを遣わしたのか?」
「そ、そんなヤツ知らねェ……!」
マルヴァスさんの問いかけに対し、眼帯の首領は顔を左に向けながら否定する。眼帯で覆われた右目から感情は読み取れないが、声に動揺が表れていた。
僕でも分かるそれを、マルヴァスさんが見逃す筈が無い。追及の手を緩めずに、更に突っ込む。
「知らないって事は無いだろう、この土地の領主だ。名前は嫌でも耳に入る。……まあ良い、ではモントリオーネじゃないと言うなら誰だ?お前らに俺達の情報を流し、ここで待ち伏せするよう命じた黒幕は」
「そ、そんな奴いねェよ!」
「いいや、居る。お前らにだけ危ない橋を渡らせ、自分は安全な裏方でのうのうと過ごしている腐った卑怯者がな」
マルヴァスさんの手が首領の肩を掴む。
「お前、怖いんだろう? 自分の背後に居る奴が。だがな、恐怖で頭の中を曇らせる前にもう一度良く考えてみろ。お前らは捨て駒にされたんだ。自分でも分かってるだろ? 使い捨ての道具には、負けて帰るところは無い」
「う……!」
首領が言葉に詰まる。残った方の左目が、挙動不審にあちらこちらをフラフラと彷徨う。
「お前は、たとえ失敗しても自分が犠牲になれば部下達には手出しされないと考えたようだが、それは甘いぞ」
「ど、どういう事だ!?」
「お前らの雇い主は、証拠を全て始末するだろうって話さ。逃げた奴等も、今頃はどうなっているのやら」
「み、皆殺しにされてるって言いてェのか!? 冗談じゃねェ! アイツらは一緒にソラスから逃げてきた子分だ! 平和に暮らしていた頃から一緒にやってきた仲間だって居る! それを……それを、あんな薄汚えクソ共に……あっ!?」
自分が口走っている事に気付き、慌てて口を閉ざす首領。だが、もう遅かった。彼の言葉は、マルヴァスさんの推量を半ば肯定していた。少なくとも、この一件の背後に何者かの存在があるのは確実だ。
「まさか、本当にモントリオーネ卿が……!?」
メルエットさんが愕然とする。彼の厚意を信じて尊重しようとしていただけにショックが大きいようだ。もっとも、まだそうだと確定した訳じゃないけど。確実な証言を得ない限り、下衆の勘繰りの域は出ない。
それを尻目に、マルヴァスさんが首領に詰め寄る。
「取引だ。お前らに襲撃を指示した者の名を教えろ。その代わり、俺達がそいつを糾弾して、潰してやる」
「な、何をバカな……!」
「部下達の生命を助けるにはそれしか無いぞ。お前にとっては家族も同然なんだろう?」
「ぐ……!」
首領が苦しげに呻く。マルヴァスさんの指摘に、痛い所を衝かれたらしい。
「マルヴァス殿……! そんな勝手な……!」
「分かってるよメリー。だがな、一先ずここは俺に任せてくれ」
メルエットさんの抗議を軽くいなすマルヴァスさんに、ローリスさんも顔色を変えた。
……が、意外な事に彼は何も言わなかった。今にも噛み付かんばかりの憎々しげな形相でマルヴァスさんの横顔を睨み付けてはいるけど。
「……本当に、オレの部下達を救おうってのか?」
「本音を言っておこうか。俺は、個人的にはお前らは全員死罪になるべきだと思っている」
マルヴァスさんは声音を変え、厳しい目付きで首領を見据えた。
「お前らの境遇には心から同情するし、ソラス王家のみを支援して難民のお前らには何ら手を差し伸べないこの国を憎む気持ちも理解出来る。だがな、それらの事情を斟酌したとしても、手前の為に他人を踏み躙る行為を許容なんて出来ない」
「…………」
首領は負けじと左目だけでマルヴァスさんを睨み返したが、口答えはせずに黙って聴いていた。
「武器を執り、それを他者に向けた時点でお前らは被害者から加害者に変わったんだ。お前、これも生きるためと開き直りながら、これまでに何人殺してきた?」
「……一々覚えてねェよ」
不貞腐れたようにそう言ってそっぽを向く首領。
僕は彼の答えを聴いて、身の毛がよだつような感覚がした。
やっぱり、彼らは……人を殺してきている。何の因果も無い他人から、物を奪い、生命を奪った。何度も繰り返した挙げ句、習い性となって罪悪感すら薄れている。
その事実が何より恐ろしい。
そっとローリスさんの様子を窺う。マルヴァスさんの言葉に彼も思う所があるのか、何時になく神妙な顔付きになっているような気がした。
「お前らはケダモノだ、人でなしだ。最も厭うべき方向に足を踏み出してしまった、世に何ら福をもたらさない馬鹿者共だ。哀れとは思うが、殺すのに躊躇いは無い」
「……そうかよ、なら何で取引なんか持ちかける?」
「お前らはクズだが、お前らを使嗾した奴はその更に下を行く」
「…………!」
首領は、再びマルヴァスさんの方へ顔を戻した。
「影に隠れて、下っ端を利用するだけして使い捨てる奴が最大の悪党だ。そういう奴等が、世の中を蝕んでゆく。悪が蔓延る温床を整えていくんだ」
マルヴァスさんはそこで言葉を貯めた。少しの間を空けて、続けた。
「お前らのような末端をいくら刈り取っても、問題は解決しない。腐った根は、元から断つ。その為に協力しろ。巨悪を滅ぼすのに手を貸した功績を考慮して、生命だけは助けようと言ってるんだ」
「………………」
首領は唇を噛み、地面に目を落とした。取引に応じるか否か、激しく葛藤しているようだ。
「決断しろ、全うな人間に戻れる機会は今しかないぞ」
マルヴァスさんが強く促すと、首領は観念したかのようにがっくりと項垂れた。
「……分かった、テメェを信じるぜ。絶対に裏切るンじゃねェぞ!?」
「嘘は言わん。誓おう、約束は違えないと」
がばと跳ね上げた首領の顔に、マルヴァスさんは真剣な眼差しで答えた。
それで踏ん切りがついたのか、首領は肺の空気を全部入れ替えるように深い溜息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「実はな…………がっ!?」
だが、言いかけた首領の顔が突如歪む。左目が見開かれ、顔色がみるみる土気色に変わり、苦しげに全身を震わせる。
「ッ!? おい、どうした!?」
マルヴァスさんも、メルエットさんやローリスさんも、それから僕も、皆何が起きたのか分からず困惑する。
そうこうしている内にも首領の震えが益々大きくなり、激しく身体を揺らした。抑え付けている兵士さん達のこめかみにも汗の粒が浮かんでいる。
残った左目をあらぬ方へ向け、口の端からよだれを垂らし、声にならない叫びを上げ続ける首領。顔色は最早死人のそれだ。
「――!? あれは!?」
狂人のようにのたうつ首領の顔に、不意に紋様らしきものが浮かび上がる。額から頬と顎に掛けて、顔全体を覆うように刻印されてゆくそれは――――
「魔法陣!?」
僕は叫んだ。首領の顔を覆った赤黒いその紋様は、ファンタジーで良く見かけるような術式の、誰が見ても一目で魔法陣と分かる代物だった。
「――ギッ!!?」
首領が、弾かれたように背筋を伸ばし、胸を反らす。その直後――――
彼の胸から、杭が飛び出した。
「――!!?」
一本だけでは終わらなかった。二本、三本と立て続けに彼の身体を赤黒い杭が貫く。身体から杭が突き出る度に、首領の身体が踊るように左右に揺れた。
両脇を抑えていた兵士さん達が思わず飛び退く。支えを失った首領の身体が前のめりに倒れる。
すると、止めとばかりにその項から、最後の杭が皮膚を突き破って天に向かってそびえ立った。
そして……首領は動かなくなった。
「………………」
「………………」
しばらく、全員が無言だった。動くのも忘れたように、幾本もの赤黒い杭を生やして倒れた首領をただ見下ろしていた。
ややあって、マルヴァスさんが慎重に首領の傍に座り込み、首筋の脈を取った。
「…………死んでるな」
「……見りゃあ分かる」
突っかかるローリスさんの声にも覇気が無い。メルエットさんやコバは蒼白な顔でただただ息を呑むばかりだ。
一方で、僕はこみ上げる吐き気とひとり孤独に戦っていた。声を上げた瞬間に吐瀉物まで一緒に出そうだ。
あまりにも突然で理不尽な現象に、理解が追い付かない。というより、脳が受け入れを拒んでいた。叶うのならこのまま意識を手放したかった。
「……これ、血で出来てるな」
「えっ……?」
赤黒い杭を指でなぞりながら言うマルヴァスさんに、メルエットさんが疑問の声を投げかけた。
「血で出来てるとは、どういう意味ですか?」
「そのままさ。コイツの身体に流れている血を鋭い形状で固めて、中から突き破らせたんだ。恐らく魔法の類だろう」
「魔法…………。では、先程彼の顔に浮かび上がったあの魔法陣が?」
「ああ、間違いないだろう。こんな事が出来るのは魔法しかあり得ない。十中八九、コイツをけしかけた奴が施していた“保険”だろうぜ」
「……僕達に、情報を漏らそうとしたら、口封じをするように…………?」
喘ぎながら、僕は辛うじてそう言った。マルヴァスさんとメルエットさんのやり取りを見て、少しだけ気分が紛れたお陰だ。
「多分な。俺は魔法に関して詳しい事は分からんが、予め術を仕掛けておいて、一定の条件を満たせば発動する類の魔法も存在するって耳にした覚えがある。ナオル、お前の持っている《ウィリィロン》に性質は近いかもな」
《ウィリィロン》。持ち主が“斬りたい”と念じた対象だけを斬る効果を持つ魔法の短剣。確かに、一定の条件下で効力を発揮するという意味では同じだ。
「これが、魔法…………!」
この世界に来て以降、魔法に対するイメージがどんどん変わりつつある。派手で、さっぱりとして、格好良い存在として中二病的な空想の中で遊ばせていた僕の魔法像は、既にセピア色にくすんできていた。
だって、《ウィリィロン》はともかく、竜の炎から産まれる火蜥蜴と言い(アレも魔法と呼んで良いだろう)、この血の杭と言い、エゲツないものばかりなんだもの。
泣きたい。
「こうなっては仕方無い。黒幕に迫れると思ったんだが、取引は白紙だ。悪いな」
首領の亡骸に手向けの言葉を投げると、マルヴァスさんは立ち上がってメルエットさんを振り返った。
「さてと、メリー。これからどうするよ?」
「えっ? どうって……」
「このまま進むか、取って返してモントリオーネを問い詰めるか。決めるのはお前だ、任せるぜ」
「……つくづく勝手ですのね。先程まで場を仕切っておきながら」
「俺は常に適材適所を心がけてるからな。細かい駆け引きの経験なんてお前には無いだろ?」
「またそうやって…………!」
普段と変わらないマルヴァスさんの態度に、張り詰めた場の空気がようやく元に戻ろうとした時だ。
「敵襲ーッ!! 敵襲だーッッ!!!」
現場を片付けていた兵士さん達の声が轟いた。