第五十話
「ナオル様!」
コバの声が聴こえて、ほっと一息つく。
「コバ? 良かった、無事だったん……どうしたの、それ?」
コバは両手一杯に小石を抱えていた。姿が見えないと思ったら、小石を拾い集めていたのか。
「盗賊一味がナオル様に迫ったら、これで追い払おうと思いまして。卑しいコバめでございますですが、礫の腕には少々の自負がございますです」
いつになく凛々しい表情で、「フンス!」と鼻を大きく鳴らしながらコバが答える。本気だと言うことが顔と口調から分かった。
「あはは、それは頼もしいね。でももう終わったから大丈夫だよ」
「そのようでございますですね。皆様、実に鮮やかなお手並みでいらっしゃいましたです。崖上に敵がいるとマルヴァス様が仰られた時は肝を冷やしましたですが、そちらも素早く対処して下さり一安心でございましたです。ともあれ、ナオル様に何事も無く、コバめは嬉しゅうございますです」
「それはお互い様だよ。コバに怪我が無くて良かった」
「ああ……! 勿体ないお言葉でございますです……!」
健気なコバを見ていると、背筋の凍るような気分が少しだけ和らぐ気がした。討ち取られた盗賊達の死骸がごろごろ転がる、この凄惨な殺し合いの現場に、彼の存在は救いだ。
「メルエット様も、ご無事で何よりでいらっしゃいましたです」
「え……? ええ、うん……。ありがとう……」
コバが上目遣いで恐る恐るといった具合に声を掛けると、メルエットさんは心ここにあらずという風に返事をする。視線はずっとマルヴァスさん達に向いたままだ。
「メルエットさん、どうしたの?」
「……どうもしません」
拗ねたようにそう言うと、メルエットさんは逃げるように僕達から離れた。
僕とコバは顔を見合わせるが、今ひとつ彼女の心情を計りかねてお互いに首を傾げた。
捕えた盗賊の首領は、すぐに目を覚ました。
後ろ手に拘束され、地面に座らせた彼の両脇を二人の兵士さんが固める。その前にはメルエットさん、マルヴァスさん、ローリスさん、そして僕とコバ。
他の兵士さん達が盗賊達の死体を集めたり、倒木を退かしたりと動き回っている。
現場の後片付けが済むまでの間に尋問を済ませようという事だ。
「単刀直入に訊きます。何故、私達を襲ったのですか?」
腕を組んだメルエットさんがキツい眼差しで眼帯の首領を睨む。キュッと窄まった眉と相まって中々威圧感のある風情と言えなくもない。
だが、何処か作為的な感じが露骨過ぎると言うか、無理して作っている表情にも思える。最初会った時の、あの感情の見えない氷のような佇まいの方がずっと怖かった。
案の定、首領はバカにしたような、余裕の笑みを浮かべる。舌なめずりしながらメルエットさんを左目だけで舐め回すように見て、歯並びの悪い口を開いた。
「お嬢ちゃんが大将かい? まだションベン臭えが、まずまずの上玉じゃねェか。オレの腰の下でヒィヒィ言わせてやりてェなァ〜!」
メルエットさんの顔が嫌悪に染まる。眉をますます八の字に吊り上げて、再度問い質す。
「質問に答えなさい。私達に狙いを定めた理由は何です?」
「なァ、男と寝た経験はあンのかい? 初めてはどう感じた? あんたの乳、それなりにデケェみてーだが、揉まれて大きくなったのかい?」
「――っ!」
メルエットさんの手がレイピアの柄に伸びる。首領の下卑た挑発に早くも逆上してしまったようだ。
「メルエットさん! 落ち着いて! 相手のペースに巻き込まれたらダメですよ!」
僕は慌てて彼女を止める。幸い、すぐに頭を冷やしてくれたのか、メルエットさんは柄から手を離してくれた。そのまま大きく深呼吸し、気持ちを落ち着けようと試みている。
ふぅ……と、心の中でそっと溜息を吐く。僕もあまり人の事は言えないけど、メルエットさんも結構沸点が低いらしい。
マルヴァスさん曰く、彼女が感情的になるのは珍しいらしいけど、それはきっと、領主の娘という立場故に卑俗なものとの接触が少なかったせいだろう。こんな風に、卑猥極まる雑言をどストレートにぶつけられた経験など皆無に違いない。
それに、彼女を取り巻く環境はここ最近で激変している。竜の襲撃、そして王都への旅。考えてみれば、彼女も一六歳の女の子なのだ。もしかしたら、僕には想像も出来ない程のストレスを抱えているのかも知れない。
「おい賊将、調子に乗るんじゃねェ。残り少ない寿命が更に縮むだけだぜ」
ローリスさんがズイ!と《トレング》を首領の喉元に突き付ける。押し殺した声が却ってドスが利いていて、こちらは素直に怖い。首領の言動が余程腹に据えかねているらしい。
子供なら泣き出しそうなローリスさんの剣幕だが、首領はふてぶてしい態度を改めなかった。
「どうせオレは死ぬんだぜ? 何故生命を惜しまなきゃならねェんだ?」
「楽に死ねるか、苦しんだ末にくたばるか、そこが違うぜ」
「舐めンな、拷問が怖くて賊が出来っかよ」
「言ったな? ならお望み通り、まずは腕から潰してやるか?」
「やってみろよ、おお?」
「くくく……!」
「ぎゃはは……!」
不敵な笑みを浮かべあう両者。お互いの凶悪な面相と相まって凄い絵面になっていた。メルエットさんや、首領を抑えている兵士さん達まで若干引き気味だ。
と、そこへマルヴァスさんが進み出た。
「なあお前、ここはお互いの利益になる話し合いをしようぜ」
言いながら、腰を落として首領と目線の高さを合わせる。
首領は彼の方をちらりと見て、
「意味が分かンねぇな? オレの利益って何だってンだ?」
口調こそつっけんどんなものの、興味を惹かれたように顔を向けた。
「まず確認だが、お前はダナン王国の人間じゃない。ソラスから流れてきた流浪の民だろ? 違うか?」
「…………だとしたらどうだってンだ?」
「元々お前らは善良な民だった。賊に成り下がったのは、追い詰められて仕方無く、だ」
「…………」
「お前らには同情するよ。帝国との戦争やオークとの内戦で祖国をボロボロにされ、断腸の思いで逃げてきたこの国は自分達の滞在を認めない。辛かったよな? 誰もが自分達を迫害し、塵芥のように扱うんだ。そりゃ恨みも憎しみも募るってもんだよな?」
「……けっ! 分かったように言いやがって。聖職者サマみてーに説教でもしようってのかよ?」
「生憎、《聖環教》とは縁が薄い質でね。実利に即した物言いしかするつもりは無い」
マルヴァスさんは、首領の目を覗き込むように姿勢を変えた。
「お前は血も涙も無い外道とは違うと俺は見た。その証拠に、今も部下達の身を案じている」
「――っ!?」
首領がハッ!としたように顔を上げる。その顔に被せるように、マルヴァスさんが言葉を続ける。
「部下達を捨て駒にして逃げようと思えば逃げられたのに、お前はそうしなかった。むしろ劣勢を悟って、生き残った部下達を背に庇うように自ら前に進み出た。頭領の鑑だな」
「…………」
首領の額に、一筋の汗が流れる。
「だが矛盾もある。部下に思いやりのあるお前が、何故最後まで撤退命令を下さなかったのかだ。まァ、お前がやられたのを見て、指示を受けるまでもなく連中は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったがな」
「それは……!」
何かを言いかけた首領だが、そこで言葉に詰まり再び口を結んだ。
「言えないなら俺が当ててやろう。お前らを雇った奴に対する聴こえを気にしてたんだろう?」
「――!?」
首領の眉が動いた。あからさまに動揺している。
「そう言えば……」
と、ローリスさんがふと思い出したように手を叩く。
「テメェ、なんか口走っていたな。『あの人らにバレたらヤバい!』とか何とか」
「…………!」
首領の左目が見開かれ、顔色がみるみる青くなっていった。
そこへ、マルヴァスさんが更に畳み掛ける。
「そもそもが、待ち伏せの手際が良すぎる。道を倒木で塞いでいた事と言い、崖上に人数を割いていた事と言い、俺達が此処を通ると予め分かっていなければ準備は出来なかっただろ?」
「……この辺一帯はオレらの縄張りだぜ? 物見なら普段から欠かさねェ。数刻前にお前らの接近を知っていたらこれくらい……!」
「無理だな。あの量の倒木を用意するには時間が足りない。前日辺りに把握出来ていたなら話は別だが」
「砦に貯めてあったンだよ。木材は色々と使えっからな!」
「それにしてはあの倒木、まだ瑞々しさを残しているよな。ずっと砦に置かれていたならとっくに乾燥している。そもそも、まだろくに枝も落としていないじゃないか。切った木を加工もせずにそのまま備蓄したりしないだろ?」
「………………」
マルヴァスさんに論破され、首領が口をつぐむ。額の汗が更に増えていく。
その彼の左目を真っ直ぐ見据えながら、マルヴァスさんが核心を突いた。
「なあ、裏で糸を引いているのは…………カリガ伯のモントリオーネか?」




