第四十八話
ゴツゴツした山岳路を僕達一行は粛々と進んでゆく。車輪が小石を跳ねる度に馬車が大きく揺れ、内臓が震えた。
舗装の不十分な道に内心辟易しながら、僕は後ろの景色を振り返ってみた。
丘陵の向こう側にカリガの街が沈んでゆくのが見える。もう既に結構な距離を進んでいるようだ。
「おっ、見えてきたぜ。あれがそうか」
兵士さんの声がして、僕は振り返る。
綺麗な三角錐の形をした大きな山が前方にそびえ立っていた。この辺一帯の山より一回り大きい。
「あれがネルニアーク鉱山か。彼処にワームが巣食ってやがるんだな」
「そんな場所通って本当に大丈夫なんかねぇ?」
「お嬢様の決定だ、仕方あるまい」
「もし出てきたらどうする?」
「何だよ、怖気づいたか?俺たちゃ兵士だぜ、やることはひとつだろうがよ」
「お、怖気づいてなんかねーし!」
「本当かよ? 手、震えてるぜ?」
「こ、これは武者震いだっ!」
ネルニアーク鉱山を見ながら、兵士さん達が口々に言い合う。
そんな彼らを他所に、マルヴァスさんは幌を見上げながら何やら考え込んでいる様子だった。
恐らくは前夜の出来事だろう。
中庭での訓練中、僕達を見張るような嫌な気配があった。言ってしまえばただそれだけの事だが、良くない気分なのは変わらない。
それに、あの紫色の靄だ。
僕には見えて、マルヴァスさんには見えなかったという事実。これは何を意味しているのだろう?あの靄は、目の錯覚とか気の所為とかでは無かった。そう思うには、余りにも存在感があり過ぎた。
僕達は、不安を心中に押し留めたまま、ただ皆に混ざって付いて行くのだった。
聴いていた通り、ネルニアーク鉱山の道は正しく険道と呼ぶに相応しい悪路だった。
峻険な岩肌と深い崖に挟まれた山道は、広さこそ十分にあるものの、左右に逃げ道のない一本道だ。
もしここで襲われたら……と思うと、戦術とかに関しては丸っきりド素人の僕でもゾッとする。
「嫌な地形だな、待ち伏せには絶好の場所だ」
弓を手に執り、マルヴァスさんが油断なく辺りに目を配る。矢筒を引き寄せて矢の本数を確認し、「よし」と呟くとおもむろに背中に担ぐ。いつでも来いという構えだ。
その様子に触発されたのか、他の兵士さん達も警戒を強める。思い思いに武器を手にしながら、いつでも腰を浮かせられる姿勢を取っていた。
「ナオル、コバ。お前らも心の準備をしておけよ。不意を襲われて、狼狽えたりしないようにな」
「ふ、不意って……!? ワームは鉱山の外には出てこないし、盗賊達もこの道には出ないって言われてたんじゃ……?」
「鵜呑みにしてるのか? まだまだ青いな、ナオルくんよぉ!」
兵士さんのひとりがからかうように笑う。それに釣られるように、他の兵士さん達も気の抜けたような笑い声を放った。
しかし、目は誰も笑っていない。
それで分かった。モントリオーネ卿の言葉を頭から信じ込んでいる人は、彼らの中にはひとりも居ないのだと。
いや、それとも少し違う。カリガで得た情報の真偽がどうであれ、兵士としての気構えとして、常に敵との遭遇を想定して腹を据えているのだろう。
流石に選りすぐりの精鋭達だ。彼らと一緒に居るという事実が、僕の不安を和らげてくれる。
「ナオル様……!」
コバが不安げに見上げてくる。その顔に向かって、僕はにっこり微笑みかける。
「大丈夫だよ、コバは僕が守るから」
「なんと勿体ないお言葉……! しかし、それではあべこべでございますです! どうぞご遠慮無く、ご自身の身を守られる事を最優先になさいまし!」
「それは困るな、メルエットさんも守らないといけないし」
「ならば、どうかコバめを盾として御用達下さいまし!」
「それもダメ。天国のサーシャに叱られる」
「“てんごく”……? 冥神様の領域世界の事でしょうか……?」
「まぁ、そんなとこ」
そんなやり取りを続けている間も馬車は問題無く進んでゆく。
道も半ばまで至ろうかという頃、不意にその足が止まった。
「……どうしたのです?」
前の馬車からメルエットさんが訝る声を上げる。
騎馬が前方から駆けてきて、その前に止まった。斥候役として先行していた騎兵のひとりだ。
彼は、緊張感を全面に漲らせながら報告した。
「前方が倒木で塞がれております」
報告を受けて、メルエットさんが顔を出す。僕の周りの兵士さん達が息を呑む気配が伝わる。
全員で馬車を降り、警戒しつつ前に歩を進める。
なるほど、確かに道一杯に倒木が積み上げられている。その高さは馬車の幌より少し低い程度。
「……土砂崩れか何かがあって、自然に積み上げられた、とかじゃないですよね?」
「それならあんなに整然としてはいない。明らかに人の手だな」
間抜けな僕の質問に、マルヴァスさんは真面目に答えてくれる。
そりゃそうだ。第一昨日はずっと晴れていたし、土砂崩れが起きたなら山道全体がもっとぐちゃぐちゃだろう。
だが、心の何処かでそうであってくれと願っていたのは確かだ。自然現象なら、そういうものだから仕方無いと受け入れられる。こんな、誰かのドロドロした悪意の顕現など見たくなかった。
いつ、誰が、何の目的で、あんな風に倒木で道を塞いだりしたのか。
答えは、非常に限られて来る。
僕は、生唾を飲み込んで短剣の柄を握った。
「……退かしましょう。皆で力を合わせるのです」
眉を顰めたメルエットさんがそう下知を下す。
「お嬢様、しばしお待ちを」
手を上げて止めたのはローリスさんだ。
「なんですか、ローリス殿」
「あの倒木を退かす前に安全を確かめなくては。俺が行きます」
「えっ……?」
良く分かっていなさそうなメルエットさんを置いて、ローリスさんが馬を降りる。
「待てよローリス、これを持ってけ」
大盾を手にしたマルヴァスさんが彼を追って言った。
ローリスさんは露骨に顔を顰めつつも特に文句は言わず、素直にその大盾を受け取った。大槌を背に担ぎ、両手で大盾を構えながら慎重に倒木の方へと歩いてゆく。
僕達は緊張しながらその背中を見送った。
彼の身体が、倒木まであと五メートルくらいまで来た時だ。
「――ッ!!?」
倒木の後ろから、幾つもの影が一斉に立ち上がった。