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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第四十七話

 暗い気分を引きずって回廊を進んでいると、不意に天井のランプが途切れた箇所に行き当たった。その奥では、壁がくり抜かれたような形で外界と繋がっており、月の光が粒子となって中に差し込んできている。ランプの灯りが支配する空間と闇の帯ひとつを隔てたその蒼光の領域に、何とも言えない神秘的な趣が感じられた。

 落ち込んでいる時でなければ、その風景に足を止めて月光浴を楽しむ余裕もあるのだろうが、生憎今はそのような気になれない。僕は足を緩めず、さっさと通り過ぎようとした。


 「…………ん?」


 なんとなくくり抜かれた壁の先、すなわち回廊に面した中庭の方向に目を移すと、中央に人の姿が確認出来た。

 蒼月の光を浴びて淡く照らし出されたその人は、木剣を構えたマルヴァスさんだった。


 「……よう、良いところに来たな。俺から呼びに行こうかと思ってたところだ」


 僕が思わず立ち止まったタイミングを見計らったように、マルヴァスさんがこちらに振り返った。とっくに僕の気配に気付いていたらしい。


 「来いよ。剣の稽古を付けてやる」


 「え? あ、いや、僕は……」


 これからコバの様子を見に行こうかと……。そう口の中で呟きつつも、僕の足は心の声と裏腹に中庭へと向いていた。

 仕方なくそのまま近寄っていくと、彼は面白そうに口の端を歪めて二本目の木剣を僕に差し出した。


 「明日にはカリガを発つからな。今後はしばらく気の休まらない時が続くだろう。今みたいに、落ち着いて修練出来る時にお前を鍛えておかないとな」


 「……それもそうですね」


 何せこれから僕達が行こうとするのは、ワームが棲み着いているという鉱山の傍だ。モントリオーネ卿の話を信じるなら、坑道にさえ入らなければ襲われる事も無いのだろうが、それでも一抹の不安は残る。目と鼻の先に怪物の棲み家があるのに気を抜く事なんて出来ない。

 マルヴァスさんの言う通りこういう時間は貴重だ。強くなれる機会は大事にするべきだろう。

 ……が、頭では分かっていても、いざ稽古となってみると腰が引けてる自分が居るのは否めなかった。


 「約束だったからな。みっちり扱いてやる」


 「お、お手柔らかにお願いします……!」


 不穏な笑みに気圧されて恐る恐る請願するも、マルヴァスさんは聴こえないとばかりにさっさと距離を取り、木剣を正眼に構えた。


 「何処からでも打ち込んできて良いぞ。まずはお手並み拝見だ」


 「は、はい……!」


 釣られるように僕もそろそろと木剣を持ち上げる。柄に両手を添え、見様見真似で正眼の構えを取る。


 「…………」


 そのまま、用心深く相手の様子を窺う。

 マルヴァスさんは微動だにせず、悠然と僕を見据えている。月光の中に佇むその立ち姿は、素人目にも分かる程に一切の隙が無い。

 ダメだ……打ち込める気がしない……!


 「どうした? 来ないのか?」


 「…………っ!」


 挑発するように誘い水を向けられても、僕の足は縫い付けられたように動かない。汗の粒がこめかみを流れ、頬へと伝ってゆく。


 「それなら、こちらから行くぞ――」


 えっ――? と声を発する暇も無かった。

 一瞬、マルヴァスさんの身体が何倍にも膨れ上がったように見えた。伸し掛かるような威圧感に晒され、反射的に木剣を上げる。


 カツンッ!!


 乾いた音を響かせて木剣が鳴った。強い振動が掌から腕に伝わり、思わずよろめく。

 その間にも、マルヴァスさんは次の攻撃を放ってきていた。下から逆袈裟に振り上げられた木剣の軌跡を辛うじて目に捉える。


 「――ッ!」


 僕は無我夢中で木剣を振り下ろした。マルヴァスさんの木剣が身体に触れる寸前で、その太刀を受け止める。

 先程よりも更に大きな音が、中庭を満たす夜の空気を切り裂く。幸い力負けする事も無く、僕の一撃はマルヴァスさんの木剣を弾き返していた。

 だが、攻撃はまだ終わってはいなかった。次から次に相手の剣が振られ、肩、胴、小手、と息つく間も無く狙われる。

 僕は、必死になってそれらひとつひとつを打ち返す。止め切れなかった太刀筋が僕の身体を掠め、肉を打ち据えていく。


 「うぁっ!? ぐっ――!?」


 痛みと衝撃で段々と構えが崩れ、果てはとうとう支え切れなくなり、僕はマルヴァスさんの乱打をまともに受ける羽目に陥った。

 何度か打たれて、ようやく彼の動きが止まる。僕は荒い息を吐きながら崩折れるようにその場に倒れた。


 「はあっ……! はあっ……!はあっ……!」


 「おい、大丈夫か?」


 仰向けになって喘いでいると、息ひとつ切らせていないマルヴァスさんが、さして心配してもなさそうな顔で覗き込んできた。


 「な、なんとか……っ!」


 苦しい息を整えながらそう返すと、マルヴァスさんはそっと手を差し伸べてくれる。

 その手を取って身を起こすが、立ち上がれるまでには至らず、僕はだらしなく座り込んだまま項垂れる。


 「筋は悪くない。だが、基本が全く出来ていないな。そんな技量で良くローリスを退けられたものだ」


 「あ……あの時の、あれは……まぐれですよ……っ! 《ウィリィロン》のお陰、です……っ!」


 「それと、ローリスの心身が乱れ切っていたという幸運も重なったな。如何なる猛者でも心気が濁れば腕も鈍る。あいつが尋常の状態だったらお前は生きちゃいないだろう」


 僕を見下しながら容赦のない酷評を浴びせてくるマルヴァスさん。いっそ小気味良いくらいだ。


 「……なあ、ナオル」


 返す言葉も無く沈黙していると、マルヴァスさんが改まった調子で言った。







 「人を殺すのは、嫌か?」







 すぅっ、と、全身から血の気が引く気がした。軽い口調で問われた事が、却って内容の重みに拍車を掛けていた。

 僕は半ば怯えながら顔を上げる。マルヴァスさんは、意味深な目でこちらを見詰めていた。


 「……嫌ですよ、そりゃあ」


 逃げるように視線を逸らしつつ、そう答える。そこへ、マルヴァスさんの追及が来る。


 「どうしてだ?」


 「どうしてって……!」


 全く遠慮の無い言い草に流石にムッとする。僕は、食い付くようにマルヴァスさんを見上げて言った。

 

 「当たり前じゃないですか! 人を殺したいだなんて、そんな事考える訳が無いでしょう!? だって……! だって、その人にだって家族が居るし、それに友達だって、恋人だって……!」


 「そうだな、他人には他人の人生がある。故なくそれを奪う権利なんて、誰にもない」


 マルヴァスさんは僕の言葉に大きく頷く。でも、その後にこう続けた。


 「それでも、殺さなければいけない時があるぞ」


 「……戦争ですか?」


 「ああ。だがそれだけじゃない。平時だって、死に至る陥穽は至る所で大口を開けて待ち構えている。人の顔を棄て去った獣と対峙した時もそうだ」


 「人の顔を棄て去った、獣……?」


 「例えば、賊とかな」


 「……っ!?」


 思わず、息をするのを忘れた。


 「武器を手に執り、徒党を組み、己に力があると思い上がり、何の罪も無い人々を欲望のままに襲い、奪い、殺す。賊とは、そんな連中さ。人間とは言えない」


 「で、でも……っ!」


 喘ぎつつも、反論を試みる。


 「その人達だって、生きる為に仕方なく……!」


 「本気で、そう思うのか?」


 「…………」


 答えに窮する。言ってて自分でもなんて空々しい言葉だと思ったからだ。


 「確かに、ソラスの流民は、生きる為に賊に身をやつした。他の道もあった筈だなんて、そんな綺麗事を言うつもりは俺にだって無い。でもな、ナオル。それで連中の被害にあった人々は納得すると思うのか?」


 「それは…………」


 「物を盗られ、生命まで奪われ、ゴミのように骸を棄てられ……。それが、ダナンの民がソラスの賊から受けた災いだ。奴等は容赦なんてしない。相手も選ばない。勝てると算段したなら、俺達にだって牙を剥く」


 「…………」


 「それが女だろうと、子供だろうと、ゴブリンだろうと、な」


 「……っ!」


 メルエットさん……! コバ……!


 「ナオル、お前も覚悟を決めておけ」


 「かく、ご…………?」


 「お前には躊躇いがある。それが、お前の剣を鈍らせている最大の要因だ。人を殺めたくないというお前の気持ちは美しいし、正しい。だが、その優しさを棄てなければならない瞬間もあるのだという事は、必ず肝に銘じておけ。さもないと……死ぬぞ」


 「……………………」


 僕は、はっきりと答える事が出来なかった。急に心を決められる事では無かった。

 今、腰に佩いている短剣、マルヴァスさんから預けられたこの《ウィリィロン》で、生命を奪った経験は…………ある。

 あの《棕櫚の翼》が襲ってきた日。燃え盛るマグ・トレドの街中で、僕はこの短剣で火蜥蜴サラマンダーを、斬り殺した。

 喉を刺し、無残に斬り裂いたあの手応えは、生々しい経験となって僕の心底にこびり付いている。

 あれと同じ事を、人間に対しても…………。

 考えるだけで吐き気がする。怖気が背筋を這い登り、どうしようもなく身体が震えてくる。


 「まぁ、まだ連中と遭遇すると決まった訳でも無い。気長にお前の性根を鍛え直してやるよ」


 言葉の調子を変えながら、マルヴァスさんが再び手を差し出してくる。そこで、僕はようやく救われたように脱力した。


 「……そうですね。宜しくおねがいしますよ、マルヴァスさん」


 肺に溜まった淀んだ空気を吐き出しながら、僕はその手を掴んで立ち上がろうとする。

 その時だ。


 「――ッ!?」


 全身を刺すような気配を感じた。

 マルヴァスさんの背後、僕が降りてきた回廊と中庭を挟んで反対側に位置する場所に、同じような壁をくり抜かれた廊下がある。月の光が届かず、完全に暗闇に覆われたそこに、紫色のもやが掛かっている。

 気配は、間違いなくそこから漂っていた。


 「…………!」


 マルヴァスさんも気付いたようだった。素早く背後を振り返り、木剣を構える。

 すると、霧が晴れるように紫の靄は闇に溶けて、消えた。


 「…………」


 マルヴァスさんは風のように駆けると、靄があった場所に立って注意深く左右を見回した。

 やがて、彼は肩の力を抜いてゆっくりとこちらへ戻ってきた。


 「失せたようだ。ナオル、その様子だとお前も感じたな?」


 「……ええ。さっきそこに、紫色の靄が…………」


 「靄?」


 マルヴァスさんが眉を顰めた。


 「俺には見えなかった」


 「えっ……!?」


 マルヴァスさんには、靄が見えていなかった……!? じゃあ、僕が見たのは…………?


 「だが、彼処に誰かが居たのは確かだ。そして、粘つくような目で俺達を見ていた」


 マルヴァスさんは、もう一度靄のあった場所を振り返った。


 「意図は分からんが……穏やかじゃないな」


 警戒を強く滲ませながら、マルヴァスさんが言った。

 誰かが、僕達を監視していた……?

 ごくり、と僕の生唾を飲む音が耳の奥で鳴った。

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