第四十五話
「《ワーム》……ですか……!?」
メルエットさんが息を呑む。
「左様」
モントリオーネ卿が重々しく頷く。
「大戦が終結して一年と経たぬ頃じゃ。何処からか現れた巨大なワームが坑道内でのさばるようになった。見境無く鉱夫達を襲い、勝手気ままに穴を掘っては地盤を食い荒らすので、作業の継続は困難だと判断して鉱山を閉じたのじゃ」
「討伐はお考えにならなかったのですか?」
「無論、余は降って湧いたようなこの憎き害獣を退治すべく兵達を遣わした。だが奴めは自在に地中を移動する上に、口からは胆礬にも似た溶解液まで吐きおる難敵じゃ。我が兵達は神出鬼没な奴の奇襲に翻弄された挙げ句、尽く喰われるか、押し潰されるか、溶かされるかの悲惨な最期を遂げた」
「なんと……!」
目に緊張を漲らせて、メルエットさんは告げられた情報を重々しく受け止めている。白い顔の上を一筋の汗の粒が伝うのが見えた。
「この地を預かる身としては情けない限りじゃが、あのワームを討つ方策はどうにも立てられなんだ。余に出来た対策と言えばネルニアーク鉱山の封鎖、そして動揺を抑える為の箝口令のみじゃ」
「そのような危険な場所に、我々を行かせようと?」
マルヴァスさんがまたも口を挟んだ。目付きが鋭くなっている。
「誤解をしないで頂きたい。余がこの道を薦めるのは、それ相応の理由がある」
モントリオーネ卿は語調を変えない。ゆとりのある仕草で地図の上をなぞった。
「確かに、ワームめは鉱山の中を我が物顔で占拠しておる。じゃが、それだけなのじゃ」
「鉱山の中に入らなければ問題は無い、と?」
メルエットさんの表情から僅かに力が抜けた。
「うむ、敢えて言えばそういう事じゃな。塒を手に入れただけで満足しおったのかは分からんが、奴めはそれ以上の欲を見せておらん。事実、奴めの動向を探る為にその後も幾度か鉱山手前まで兵をやったが、それらが襲われた事は一度も無かった。他の地上で奴めの姿を見たという報告も皆無じゃ。なればこそ、民衆にもこうして真実を隠しおおせているというもの。貴君らが間道を通るのに支障はあるまい」
「一応の安全は保証されているのですね。であるからこそ、我々が標的になる恐れも薄い、と」
「少なくとも、オルフィリスト領を通るより遥かに危険は少なかろう。終始賊徒の襲来を警戒して、神経を尖らせながら旅をするよりはな」
「御好意に感謝致します。では、我々は明日にでもお教え通りの道を目指そうと思います」
「それが良かろう。貴君らの旅路に、女神の祝福があらん事を祈っておるぞ」
再びワイングラスを手に取り、モントリオーネ卿はそれを掲げて高らかに笑う。メルエットさんもようやく緊張がほぐれたのか、少しずつ料理を口に運び始めた。
そんな二人を尻目に、マルヴァスさんは床に目を落として何やら考え込んでいた。
宴を終え、僕はひとり館を出て、外に停泊してある馬車まで戻ってきた。
外は既に暗い。コバの姿はすぐに見つかった。僕らが飲み食いしているのを他所に、彼は馬の毛繕いをしていた。
「コバ、ただいま」
「ナオル様、お帰りなさいませ」
勤労に精を出す友達の背中に声を掛けると、彼は静かに振り返って丁寧に頭を下げる。
僕は懐からさっきのリンゴに似た果物を取り出すと、それをコバに手渡した。
「ナオル様、これは……?」
「コバへのお土産に持ってきたんだ。上げるよ」
「よ、よろしいのでございますか!?」
「うん、いつも頑張ってくれるご褒美に。あ、もしかしてそれ嫌いだった?」
「いいえ! とんでもございません! ありがたく頂戴致しますです!」
コバは恭しく両手で果物を受け取った。上げた顔には、何時になく笑顔が溢れている。
そんな様子が見られた事が意外で、また嬉しくもあり、僕は何気なく訊いてみた。
「その果物、好きなの?」
「はい! “ルプア”はコバめの大好物でございますです! グラス様は、よくご褒美としてコバめに下さりました……!」
「コバ……」
コバの笑顔が歪む。僕は努めて明るく言った。
「早めに食べちゃいなよ。お腹空いてるでしょ?」
「いえ、まだお仕事が残っておりますゆえ。後ほど、大事に頂きますです」
実直な働き者の顔に戻ったコバは、再び僕に深々と頭を下げると馬の方に向き直った。
「あまり根を詰めすぎないようにね」
僕は苦笑いを浮かべてその場を後にする。本当に真面目で頑固なんだから。そういう所が彼の美点なんだけど。
サーシャやシラさんがあんなにも可愛がっていた理由が良く分かる気がする。つくづく、僕の知っているゴブリン像とは真逆だった。
「……ん?」
館の手前まで戻ってきた時、中から誰かが出てくるのが見えた。風に乗って声だけが一足早く飛んでくる。
「もう決めました、変更はありません」
メルエットさんの声だった。僕は反射的に物陰に身を隠した。
「何故なのですか、マルヴァス殿? モントリオーネ卿を訪えと言ったのは貴方でしょう?」
「声が大きいぞ、メリー」
どうやらメルエットさんとマルヴァスさんのようだった。何やら言い合いながらこっちに歩いてくるようだ。
「別に俺だって頭から疑って掛かっているんじゃないさ。街でもっと情報を集めてから進路を決めた方が良いって言ってるだけだ」
「それではモントリオーネ卿のお気持ちに背く事になってしまいます。彼に対して失礼ですよ」
先程よりも声を潜めているが、距離が縮まっている事もあって聞き取る分には問題無かった。
「礼儀に拘りすぎると本質を見誤るぞ。この先は半ば敵地と化してるんだ、慎重に策を立てないと危険だ」
「なればこそ、モントリオーネ卿は我々に間道の存在をお教え下さったのではありませんか」
苛立たしげにメルエットさんは言う。マルヴァスさんは彼女を何とか宥めようとしているみたいだ。
「鵜呑みにするな。仮にそこを進むんだとしても、俺達の手で改めて裏を取ってからにするべきだ」
「時間が惜しいです。王都に着くのは、早ければ早い程良いのですから」
「それは分かっている。だが性急は失敗の素にしかならない。大きな声じゃ言えないが、あのカリガ伯は食えない人物と俺は見た。厚意を前面に押し出した顔の裏で何を企んでいてもおかしくない」
「滅多な事を言わないで下さい! 口が過ぎますよ!?」
「頭から信じて掛かるな、と言っているんだ。疑問点をひとつひとつ晴らしてだな……」
「もう結構です! ……貴方はいつもそうですね。自分だけが利口だって顔をして、私を子供扱いする……!」
「おいおい、今度は何を言い出すんだ!?」
「私はもう小娘ではありません! 一々指図するのは止めて下さいっ!」
それだけを言い捨てると、メルエットさんは脱兎の如くそこから逃げ、館へと駆け戻ってゆく。
マルヴァスさんは呼び止めようとしたみたいだが、上げた手を虚しく降ろして特大の溜息を吐いた。
「全く……。本当にお嬢様ってのは良く分からんよな」
顔半分だけ振り返り、隠れている僕に向かって苦笑いを浮かべて肩を竦めると、マルヴァスさんも若干悄然とした足取りで館へと戻ってゆくのだった。