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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第四十四話

 カリガの街は、周囲を山に囲まれた盆地に存在していた。

 ルカー山脈というその山地の、いくつかの山合を越えた先で、低地に位置するそれを一望出来た。

 マグ・トレドと同じように街の外郭を壁でぐるりと囲い、山のひとつから流れる川の支流が、街の中心部分を貫いて彼方へと続いている。ここからでは見えないが、その水流はやがてレントル川と呼ばれる本流に繋がり、やがてはアカリア川に合流するらしい。


 「マルヴァスさん、あの煙は!?」


 僕は馬車の中から街の一角を指差した。そこでは、いくつかの煙が尾を引いて天空へと吸いこれていたのだ。

 まさか、という思いが胸の中に去来する。マグ・トレドの悪夢が蘇り、僕の背筋は震え上がった。


 「ああ、心配するな。あれは煙じゃない」


 僕の心中を察したマルヴァスさんが、宥めるように言う。


 「カリガは製鉄業が盛んだからな。その水蒸気だろう」


 「そうなんですか?」


 「カリガの鉄と言えば昔から有名だぜ。ほら、奥の方に見えるあの禿山。あれが街が所有するルワド鉱山だ。彼処から掘り出される鉄やら銅やらがあの街の経済を支えてる」


 「なるほど、鉱業で栄えた街なんですね」


 説明を聴いて拍子抜けする。大事件とかじゃなくて本当に良かった……。

 が、そこでふと別の不安が湧いてきた。


 「あの……鉱害とかってあるじゃないですか?」


 「ん? ああ、そうだな。それがどうした?」


 「いえ、その……製錬した後の廃液の処理とかはどうしてるのかな?って。まさか、あの街中を流れる川に流してたりとか……」


 日本でも、昔から鉱毒による公害事件は頻発していたって話だった。その内容は、主に水質やら土壌やらの汚染だ。それは数十年が経過した後でも尾を引き、長く社会問題として残り続けている。

 あの川がやがてアカリア川に繋がるんだったら、カリガの街が持っているコンプライアンス意識次第で偉い事になるんじゃ……。

 しかし、それもマルヴァスさんは一笑に付した。


 「ははは、それは無い。ちゃんとした処理場を設けてそっちで処分してるって話だ。あの川は汚染されてないよ」


 「良かった。それを聴けて安心しましたよ」


 アカリア川の魚を食べた身としては気が気じゃなかった。マルヴァスさんが僕の懸念を明朗に否定してくれて一安心だ。

 と、思っていると……


 「まァ、あくまで聴いた話だがな。実態は知らん」


 「ちょっと!?」


 直後にまた不安になるような事を言う。びっくりしてマルヴァスさんを見ると、やはりあの意地悪い笑みを浮かべていた。








 

 「では改めて……。ようこそ、カリガへ! ようこそおいで下された!」


 カリガ伯の館、大会堂で全員が席に付いたのを見計らい、モントリオーネ卿が上機嫌で音頭を取る。それを受けて、隣の主賓席に座ったメルエットさんが立ち上がって頭を下げる。


 「本日は我々の為にこうした席を設けて頂き、誠にありがとうございます、モントリオーネ卿」


 「いやいや、突然の申し出にも構わずこうして足を運んで貰えて、余は嬉しく思っておるよ、メルエット殿」


 太鼓腹を揺すり、にこやかな顔の上で太い眉とチョビ髭を踊らせているモントリオーネ卿。その姿は、何処か裕福で人の良い大商人と言った風情だった。

 モントリオーネ卿は、やや砕けた感じで言葉を続けた。


 「マグ・トレドでの一件は余も既に聞き及んでおる。俄には信じがたい事態なれど、こうして貴君が王都へ向かっている以上、疑問を差し挟む余地は無い。カリガに住む民達も、あれ以来心休まらぬようでの」


 「竜の襲撃は、誰もが寝耳に水の一大事です。民衆の不安も、仕方ありますまい」


 「ソラスからの賊に悩まされている上に新たな国難の到来じゃ。我らがダナン王国も、再びの正念場を迎える時か」


 「はい。今こそ我々は、一致団結してこの国難に当たらなければなりません」


 ワイングラスを片手に悠然と構えるモントリオーネ卿とは対照的に、メルエットさんはカトラリーにも手を伸ばしておらず真面目一徹な顔で答えている。

 彼女とは違う理由だが、僕もなんとなく食が進まなかった。膳の上にはひと目で分かる程高級そうな食品が所狭しと並んでいるが、どうしても『鉱毒』という文字が頭から離れない。

 僕は、原因の一端を担っている隣のマルヴァスさんを恨めしげに見たが、彼は無頓着にメインデッシュの肉を頬張っていた。ちなみに、ローリスさんは露骨に舌鼓を打ちつつ、杯を重ねている。それはもう、心底美味そうに食べている。惚れ惚れするくらいの食べっぷりだ。

 ……やっぱり僕が気にしすぎなんだろう。第一鉱毒がどうのと言うなら、この街の人々がまず苦しんでるだろうし。

 僕は、小さくため息を吐きつつ、取り敢えず椀の中に積まれたリンゴのような果物をいくつか手に取り、最初のひとつを齧る。


 「ん……!?」

 

 美味い……!リンゴというよりはむしろ梨のような食感と味だが、梨より少しだけ酸味が弱く甘みが強い。一口噛むごとに芳醇な果汁が口中に広がる。

 これは良い果物だ。僕はその一個を齧りつつ、残りをそっとローブの懐に入れた。

 後で、コバに持っていってやろう。奴隷の彼は同席を許されず、馬車の方でお留守番をしているのだ。土産くらい無いと不憫過ぎる。


 「時に、モントリオーネ卿。我々はここに至る道中、オークの痕跡を発見したのですが……」


 メルエットさんが静かに切り出すと、ワインを運ぶモントリオーネ卿の手が止まった。


 「カリガ領において、彼奴らの目撃情報等はございますか?」


 「……全くの初耳じゃな。何かの見間違いという可能性は?」


 「マグ・トレド領にて、彼奴らの矢が見つかりました。鏃には“グーボ”の毒が」


 メルエットさんは、一瞬流し目でマルヴァスさんを見ながら言う。マルヴァスさんも手を止め、二人の会話に集中していた。


 「“グーボ”……。狂乱の毒、確かにオーク共が好んで使う毒物じゃの」


 「物証がある以上、警戒せぬ訳には参りませぬ。我が友人が申すには、ソラスからの賊と結び付いている恐れもあると」


 「ふむ……。あり得ぬ話ではあるまい。むしろ、なればこそオルフィリストやランガルで賊に手を焼いておるのも納得出来ると言うもの」


 「カリガでの、賊の被害は如何ほど?」


 「微小、と申したいところじゃが、最近になって北の方で行商や旅人が襲われたという報告が増えてきておる。幾度か討伐隊を編成したのじゃが、その都度蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうもので、恥ずかしながら目覚ましい成果は未だ…………」


 モントリオーネ卿は、弱り果てたと言うように頭を掻く。存外正直な人らしい。

 メルエットさんは何かに気付いたように眉を上げた。


 「もしや、それで今日、我々を御身の元へ呼び寄せられたのでしょうか?」


 「左様。使者の口上に託すよりも、直接お会いした方がより有意義な話し合いが出来よう」


 モントリオーネ卿は居住まいを正し、改めてメルエットさんを見る。


 「メルエット殿、オルフィリストとランガルを通って王都まで行かれるのは、既に無謀に近い状況となっておる。賊の勢いは留まるところを知らず、このまま進めば大層難儀をしよう」


 「ご忠告、大変ありがたく思います。しかしそれでも、我々は王都へ辿り着かねばなりません」


 「分かっておる。なればこそ、貴君には別の道を薦めるのじゃ」


 「別の道、でございますか?」


 「左様」


 モントリオーネ卿が手を叩くと、従者の人が大きな巻物を持ってくる。彼はそれを受け取り、テーブルの上の食膳を脇にどけると、そこに巻物を広げた。

 

 「これは……?」


 「カリガ領の地図じゃ。領内随一の測量士に書かせた物であるから、精密さは保証するぞ」


 「そのような物を、私が見ても宜しいのですか?」


 「無論。我々は一致団結せねばならぬと、先程貴君も申されたではないか」


 モントリオーネ卿は地図の一点を指差した。ここからではそこが何処か見えないけど、メルエットさんは虚を衝かれたというように顔付きを変えた。


 「このネルニアーク鉱山の横に、ランガルの南西に繋がる間道がある。険しい道なれど、ここを進めば日程を大幅に短縮出来る上、賊と遭遇する事もあるまい。土地の者も滅多に通らぬ道ゆえ、賊としても旨味がないのであろう」


 「カリガの北に、このような道が……!」


 「どうかな? 貴君にとっては一石二鳥であると余は考えるが」


 「真に……! 良い事を教えて頂きました。感謝の言葉もございません」


 メルエットさんはしきりに感嘆し、地図に見入っている。

 すると、僕の隣に座っているマルヴァスさんが手を上げた。


 「あー、ちょっと良いですかね? モントリオーネ卿」


 「うむ、何じゃな?」

 

 モントリオーネ卿は鷹揚に頷いてみせた。


 「ネルニアーク鉱山と言えば、廃坑になって久しいと記憶してるんですが、一体どうしてでしたっけ?」


 とぼけた風を装うマルヴァスさんの問いかけに、一瞬モントリオーネ卿の顔付きが変わった。が、すぐにその険しさを消し、落ち着いた物腰で笑った。


 「ほ、ほ。これはこれは、耳聡い御仁じゃのう」


 「そいつはどうも。旅が好きなもので、カリガにも何度か寄らせてもらってるんですよ。で、その時に小耳に挟んだもので」


 「記憶力も良い。確かに、余は以前、あの山を閉じて出入りを禁じた。以来、何人も立ち入っておらぬ」


 「その時、民衆には閉山理由を『鉱脈が尽きたからだ』って説明してましたよね? でも当時の街では、彼処にはまだまだ採掘出来る資源が眠っているのに何故?って、噂が噂を呼んでましたよ? 実際の所はどうなんです? 土地の人間も、賊徒達も近寄らない場所になった理由とは」


 「うむ。確かにあの時はそんな建前を作ったのう」


 モントリオーネ卿は上を向き、顎をいじりつつ言った。


 「いたずらに真実を告げれば、民は混乱するでな。血気に逸る者も出るであろうし」


 「モントリオーネ卿?」


 メルエットさんが怪訝そうに眉を顰める。


 「いや、いや。何も隠すつもりは無かったのじゃよ。きちんと説明するつもりじゃった」


 言い訳めいた言葉を言うモントリオーネ卿だったが、続く彼の言葉は僕達を仰天させるのに十分なものだった。


 「……《ワーム》じゃよ。ネルニアーク鉱山には、一匹の巨大なワームが住み着いておる」

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