第四十三話
ブリズ・ベアの襲撃から一夜明け、マグ・トレドや周辺の村への早馬として、そしてカリガ領主への領内通行の申告役として発った数名を除いた僕達一行は、その後は異変に見舞われる事も無く順調に街道を邁進していた。
正午になろうとする頃、無事にカリガ領へと入る。
「なあナオル、“渡り人”の国ってどんなとこだ?」
「そうですねぇ……。一言で言えば、平和な国、なのかな?」
「なんだって!? それは本当か!? それじゃあ、戦も無いのか!?」
「いえ、戦争や紛争自体は世界中でちょくちょく起きているんですけど、僕の周辺では無縁だったって言うか……。少なくとも、普通に過ごしてて武器が必要になる場面なんてありませんでした」
「ははは! それはきっと、俺らのような兵士や将軍が優秀だからだろう! 相手側に付け入る隙を与えず、攻めようという気を起こさせないのが軍人としての最高の功績だ、ってイーグルアイズ閣下も仰ってたぜ!」
「そうですね。僕の国にも自衛隊って言う、皆さんみたいな役割を担う人達が居ますよ。大きな災害が起きたり、他国からの干渉があった時とかに動く専守防衛の軍隊(?)です」
「ほー、俺らとどっちが強いんだ?」
「うーん、どうでしょう。一概に比べられるものじゃないと思います」
「しかし、そのような方々が居られるのでしたら、ナオル様のお国の方々もきっとお心を安んじられている事でしょう」
「うん、実際に大震災があった時とか、皆がお世話になったからね。でもねコバ、国内では彼らに批判的な意見だって数多くあるんだ。軍事力を持っていると平和を脅かす、とかで」
「左様でございますか? ううむ……コバめには少々、理解が難しいでございますです」
「同意するぜ、ゴブリン君。暮らしを守ってもらって文句言うとか、とんだ贅沢を言うヤツも居るんだな」
「いやいや、それだけ国民に余裕があるって証拠だろう。度し難い意見が出るのも、その自衛隊って連中が優秀で、国に平和をもたらしているからさ! 以て瞑すべし、ってやつだな!」
「違いない! わっはっはっは!!」
馬車に揺られながらマルヴァスさんやコバ、そして同乗の兵士さん達と雑談を楽しむ。最初はコバに冷たい目を向けていた兵士さん達も、元々気の良い性格なのか、旅を共にする内に次第に打ち解けてきたようだ。
普通に会話を交わすコバと兵士さん達を見て、思わず笑みが溢れる。
こういう光景を見ると、侮蔑や敵意なんて感情は、結局のところ相互不理解からくる部分が大きいのではないかと思える。話し合って、お互いの思う所を擦り合わせてみれば、相違点よりも通じ合う部分の方がずっと多い。
《棕櫚の翼》のような、対話の出来ない相手じゃなければきっと分かり合える。少なくとも、どこかしら共感出来るところは見つかる。
ローリスさんとも、メルエットさんとも。
サーシャのように。
おめでたい考えなのかも知れないけど、近しい人達とはそうありたいと僕は思うんだ。
だから出来るだけ早く、会話出来る機会を見つけたいんだけど……。次の休憩時間にまた話し掛けてみようか。そう思いながら前を走るメルエットさんの馬車を見る。
「……ん?」
前方から砂埃が上がっている。何かがこちらに近付いているようだ。
「なんだ? もしかして賊か?」
幾人かの兵士さん達が武器を手に腰を浮かせる。目を凝らすと、確かに砂塵の中に騎馬の影が見える。
「……いや、先鋒を走るのは先遣していた兵だ。恐らく、カリガ伯からの返事を携えて戻ってきたんだろう」
マルヴァスさんが目に手を当てながら言った。
「止まりなさい!!」
メルエットさんの号令で、全ての馬車が停止する。
近付いてくる数騎も速度を落とし、数メートル先で下馬してそれぞれ一礼した。
その中のひとりが一歩前に進み出て、良く通る声で告げた。
「我々はカリガ伯、モントリオーネ様の配下です! マグ・トレド伯、イーグルアイズ卿の御息女御一行様を歓迎致します!」
そういう挨拶を受けて、メルエットさんも馬車から降りて返礼する。僕達も続いて外へと出た。
「わざわざのお出迎え、真に痛み入ります。先だってお伝えした通り、我々は先日の竜襲撃について国王陛下へ言上仕る為に王都へ赴くところ。領内を通行致す旨、快く御許可を賜り深く感謝致します。何卒カリガ伯には宜しくお伝え下さいますよう」
「それに付きましてですが、お嬢様。我が主は皆様をお招きしたいとお考えになり、館において歓待の準備を整えておられます。もし皆様方の旅程に差し支えがなければ、是非ともお越しいただきたいとの仰せです」
「おお、それは……」
メルエットさんは、俄には決めかねるように左右を見た。
「良いんじゃないか? 折角もてなそうって言ってくれてるんだ。素直に応じとこうぜ」
と、メルエットさんに歩み寄りながら言うマルヴァスさん。
「マルヴァス殿、そうは言われますがこれは元々の予定にございません」
「予定外の事なら昨夜も起きただろ? 固いなー、メリー。もっと柔軟に行こうぜ」
マルヴァスさんは「やれやれ」と言った感じに肩をすくめる。
「何も飲んで食ってするばかり、って訳でも無いさ。カリガの領主から賊やオークに関しての詳しい情報を得られる見込みだってあるし、そうすりゃより安全な道を選べるだろ?どれだけ精鋭を揃えていようと、旅ってのは常に命懸けだ。先に待ち受ける危険を減らせる手立てがあるなら、積極的に利用するべきだと思うがな」
「……そうですね、貴方は旅慣れていらっしゃいますものね」
メルエットさんは、僅かに眉をひそめる。
どうしたんだろう? なんだか面白く無さそうだ。
「ローリス殿、貴方はどうお考えですか?」
マルヴァスさんから逃げるように、メルエットさんは反対側に立つローリスさんに顔を向けて尋ねた。
「お嬢様の御心に従うのみです。……しかしながら、敢えて言わせて頂ければ、俺……いえ、私もコイツ……いえ、彼と同意見です。ここの領主のツラを拝……お会いなされば、何かと便利……べ、便宜を図ってもらえましょう」
「頑張るなぁ、お前も」
ともすれば出がちな野卑な言葉遣いを必死に訂正するローリスさんを眺めながら、マルヴァスさんが軽く茶化す。横顔がちらっと見えたけど、とても意地悪い表情をしていた。
前から思っていたけど、彼は時々こういう一面を覗かせる。
ローリスさんの眦が釣り上がり、猪首から上がみるみる赤黒く染まる。
「テメェ……! 俺をコケにしてんのか!?」
「心外な、感心してるんだよ。生来の性分を抑えて懸命に自分を律するなんて芸当は、言うは易し行うは難しってやつだからな。だが中々どうして、変われば変わるものじゃないか、なあローリス?」
「この野郎……! 上から目線で見下しやがって……! 喧嘩なら買うぞ!」
「おいおい、メリーの前で恥掻きたいのか?」
「ぐっ……! ぎぎぎ……!」
歯ぎしりしながら親の仇でも見るような目でマルヴァスさんを睨むローリスさん。視線だけで相手を殺せそうな程だが、当のマルヴァスさんは飄々としている。
「も、もうそれくらいにしましょう!? お二人共、どうか落ち着いて下さい!」
僕は様子を見ながら恐る恐る割って入った。ローリスさんの鬼のような形相がこちらを向いて、怒りの矛先までこっちに飛び火しやしないかと冷や汗が額を伝う。
「ろ、ローリスさん、どうか穏便に……! マルヴァスさんは素直にあなたを褒めているんですよ。他意なんてありませんって!」
「テメ……!」
ローリスさんは僕に向かって何か言いかけたが、急に苦い表情に変わると、そのまま口を閉じてしまう。ただ恨めしげな目だけが、僕の顔に注がれていた。
「ローリス殿、怒りを鎮めて下さい。マルヴァス殿も、過ぎた軽口は慎んで頂きたいものです」
「……御意」
「はいよ。本当にただ感心してただけなんだけどな」
メルエットさんが二人を窘めると、ローリスさんはしおらしく頭を垂れ、マルヴァスさんはどこ吹く風といった感じに受け流す。
ようやく収まった……。殴り合いにまで発展しなくて済んで、僕はほっと胸を撫で下ろした。
「お二人の意見は分かりました。宜しいでしょう、先方のお心遣いをありがたく頂戴する事とします」
鶴の一声を放ったメルエットさんが、こほんとひとつ咳払いをして、ポニーテール状に括った紅色の髪を風に舞わせながらカリガ伯の使者に向き直った。
「御用の趣、了解しました! 我ら一同、これよりモントリオーネ様の御館へ参上致します!」
「快く応じて頂き、ありがたく存じます! では我々が先導仕りますゆえ、どうかご同行下さりませ!」
こうして、僕達はカリガ伯モントリオーネ卿の招待を受ける事となった。