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竜の階  作者: ムルコラカ
第二章 王都への旅路
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第四十一話

 強烈な地響きを轟かせ、木々をたわませながら森から飛び出して来た、巨大な黒い塊。

 

 「く、熊!?」


 薄闇に溶け込むそいつを見た僕は思わずそう叫んだ。丸太のように太い四肢に支えられた、丸みを帯びて膨らんだ胴体。怒りに燃えるかのような真っ赤な目を暗がりの中で妖しく煌めかせ、そいつは後ろ脚だけで立ち上がると、両の前脚を高々と掲げてこちらに向かって吠えた。

 重厚な獣の咆哮がビリビリと大気を震わせる。立ち上がったそいつの体躯をよく見てみると、熊どころかヒグマ並はありそうだった。

 そして、その巨大な獣は再び四足歩行の体勢に戻ると、そのままこちら目掛けて突っ込んできた。


 「――っ! 皆の者、焚き火の薪を取りなさい! 投げ付けて火で牽制するのです!」


 ハッ、と我に返ったようにメルエットさんが指示を飛ばす。何人かの兵士さんがそれを聴いて動こうとする。


 「無駄だ! ヤツは火を恐れない!」


 マルヴァスさんが鋭い声で軽挙を制した。


 「な、なんですって!?」


 メルエットさんが愕然とした顔を浮かべる。僕も同じだった。


 「え……!? でも動物って、普通火を怖がるものじゃ……?」


 「“ブリズ・ベア”は違う! 少なくとも、少々の火など物ともしない! ましてやあの荒れ狂い様だ!」


 「ナオル様! マルヴァス様!」


 コバがヒグマ……ブリズ・ベアを指差す。巨大な獣の姿がぐんぐんと大きくなって、はや目前にまで迫りつつあった。


 「オラァッ!!」


 ローリスさんが雄叫びを上げ、風のように前に飛び出してゆく。《トレング》を大きく振り被り、真っ直ぐブリズ・ベアへ向かってゆく。


 「ローリス殿!?」


 メルエットさんが驚愕する。止めようと手を挙げるが、咄嗟に二の句が告げない様子だ。


 「お嬢様! この俺に任せてくだせ……お任せを!!」


 「……っ! なりませぬ! そのように突出されては!!」


 額に汗の玉まで浮かべてメルエットさんが制止するも、ローリスさんは止まらない。


 「俺は、イーグルアイズ閣下とお嬢様のお陰で生まれ変わった! この生命は、お二人に捧げた生命! 授かったこの大槌に掛けて、相手が誰だろうと手出しはさせねェ!!」


 ローリスさんとブリズ・ベアの距離が瞬く間に縮まる。あわや一人と一頭の影が交わろうとする刹那、ローリスさんが勢い良く腰を捻って《トレング》を振り抜いた。

 流麗な軌跡を夜の薄闇に描き、《トレング》が正確にブリズ・ベアの頬を捉える。

 

 「――ラァ!!」


 そのまま、ローリスさんは力任せにブリズ・ベアの横っ面を殴り抜ける。大槌の一撃をまともに受けた巨熊は短い悲鳴を発し、横転しながら慣性の法則に引っ張られて前のめりに地面に倒れ込む。巨体が地を叩く音と舞い上がる土埃。

 「おおおお……!」という感嘆の声が兵士さん達の間から上がる。


 「……へっ! 見たか獣っ子! これが“鉄火のローリス”様の実力よ!」


 勝ち誇ったように声を上げ、ローリスさんが倒れたまま動かないブリズ・ベアに近付く。確実に仕留めたか、確認しようというのだろう。

 しかし…………。

 死んだと思われたブリズ・ベアの頭がむくりと持ち上がる。その目は依然変わらず赤い光を宿していた。


 「なっ……!? こいつ――!」


 ローリスさんが咄嗟に背後に飛び退り、間合いを取る。そうして、再び《トレング》を構えたのだが…………


 「えっ!?」


 ブリズ・ベアが立ち上がりざまに、ローリスさんには目もくれず駆け出す。その先に居るのは……メルエットさんだ!


 「危ないっ!」


 僕は弾かれるように走った。ブリズ・ベアの鋭い牙が迫るより先にメルエットさんに飛び付き、突き飛ばすように地面に押し倒す。


 「きゃっ――!?」


 僕達が折り重なって地面に伏せた直後、足先を一陣の風が撫でる。一瞬前までメルエットさんが立っていた場所を、ブリズ・ベアが通過したのだ。

 焚き火を蹴散らし、火の粉を撒き散らせながらブリズ・ベアが勢いを殺し、身体を反転させる。殺し損ねた僕達を恨めしげに睨み付け、低く唸る。

 すると、鋭い風切り音と共に、その眉間に一本の矢が打ち込まれた。それは深く突き刺さり、致命傷を受けたブリズ・ベアが驚愕の形相を浮かべ立ったまま僅かに身体を痙攣させる。

 そして、倒れた僕達の傍を駆け抜け、ローリスさんが止めの攻撃を放つ。巨熊の顎を下から砕くように《トレング》を振り上げ、返す刀(鈍器だけど)で上から下目掛けて標的の頭頂を叩き割る。

 ブリズ・ベアは四肢を投げ出すようにその場に倒れ伏し、しばらく痙攣した後、完全に脱力する。

 狂気を宿していた目から赤い光が消え、ゆっくりと閉じられてゆく。


 「……ふう、ヒヤヒヤさせるぜ」


 弓を構えたまま残心を取っていたマルヴァスさんがようやく安堵の息を吐く。ブリズ・ベアの眉間を射抜いたのは、やはり彼だった。


 「……絶命してるな、間違いなく」


 ローリスさんが、《トレング》でブリズ・ベアの死骸を突きながら言った。どうやら、今度こそ死んでしまったらしい。


 「……あの、そろそろどいて頂きたいのですが」


 身体の下から声がする。目を下に向けると、メルエットさんが困った表情を浮かべていた。


 「あっ……! ご、ごめんなさい! つい……!」


 僕は慌てて身体を起こす。彼女を守ろうと思って取った咄嗟の行動だったが、危機が去ってみると途端に気恥ずかしさがこみ上げてくる。自分の顔が熱くなってゆくのが分かった。


 「お嬢様! 怪我は無ェ……ご無事ですか!?」


 ローリスさんもこちらへ戻ってくる。


 「ええ、大事ありません。……彼が、庇ってくれましたからね」


 ローリスさんに助け起こされながら、メルエットさんが気まずそうに言う。ローリスさんもちら、と一瞬だけ僕を見たが、何も言わずメルエットさんに心配そうな視線を戻す。


 「申し訳ありません……。大口叩いておきながら、お嬢様を危険に晒しち……晒してしまいました……」


 「何を言われますか。ちゃんとこうして、危難を排除して下さったではありませんか」


 ローリスさんが短慮を詫びるも、メルエットさんは意に介さず逆に労をねぎらう。

 と、そんな彼らの周りを配下の兵士さん達が取り囲んだ。


 「お嬢様、ご無事で何よりです!」


 「ローリス殿! お見事でした!」


 「いやはや何という鮮やかなお手並み!」


 「あのブリズ・ベアにおひとりで挑まれるとは!」


 「最初の一撃、そして止めの一撃、何れも素晴らしい技の冴え!」


 「前評判など当てになりませんな! 御身の勇猛さをこの目で見て、改めて刮目しましたぞ!」


 「いよっ! “天下のローリス”!」


 「間違えておるぞ! “鉄火のローリス”だ!」


 大方がローリスさんへの称賛だった。沢山の賛美に囲まれて、困惑顔のローリスさんの頬に赤みがさしてゆく。

 もしかしたら、これは彼にとって久しぶりの感覚なのかも知れない。初めて会った頃の彼を思い出しながら、なんとなくそう思った。


 「ナオル様、お怪我はございませんか?」


 おずおずと、コバが心配そうに僕に手を伸ばしてくれる。


 「ああ、なんとかね。ありがとう、コバ」


 僕はコバの手を借りて立ち上がると、マルヴァスさんの方へと向かう。

 彼はブリズ・ベアの死骸の傍に屈み込み、ランタンを片手に何やら調べている様子だった。


 「マルヴァスさん、助けてくれてありがとうございます」


 「…………」


 僕の言葉が聴こえていないのか、マルヴァスさんは一心不乱に何かを見ている。


 「あの……どうしたんですか?」


 続けて言葉を掛けると、彼は一瞬だけ横目で僕を見て、言った。


 「ナオル、何故こいつは俺達を襲ってきたんだと思う?」


 「え? それは……やっぱり、お腹が空いていたから、とか?」


 適当な理由を思いつくままに口にしたが、マルヴァスさんは緩やかに否定する。


 「ブリズ・ベアは獰猛だが、知恵の欠落したただの獣じゃない。少数ならともかく、これだけまとまった数の、しかも武装した人間の集団に襲いかかってきたりなどしない。どれだけ飢えていようとな」


 「それじゃあ、どうして……?」


 「これを見てみろ」


 マルヴァスさんが、一本の矢を僕に示す。彼が眉間に打ち込んだ物とは別の矢だ。黒い矢羽にギザギザの銛のような形状の鏃。その鏃は、赤黒い血でべっとりと汚れていた。


 「この矢は?」


 「ブリズ・ベアの尻の辺りに刺さっていた。恐らく毒が塗られてある」


 「ど、毒!?」


 不穏な単語に、僕は思わず後退る。


 「あァ、俺はこの毒、以前にも見た事がある。受けた相手を弱らせて動けなくするのではなく、凶暴化させて見境を失くさせる効力。そしてこの矢の形。これは人間の放った物じゃ無い」


 マルヴァスさんが、鋭い目で黒い矢を睨む。


 「これは、“オーク”の矢だ」

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