第三十七話
「ロ、ローリス…………さん……!?」
予想外過ぎる人物の登場に、僕の声は上ずる。イーグルアイズ卿が配下に加えたというのが、まさか彼だったとは。
ローリスは驚きを隠せない僕達には目もくれず、ただ静かに騎士の礼を取り続けている。ファーの付いた、真新しい無骨な甲冑を着込んだ姿が中々様になっていた。この間の荒みきっていた狂態がウソのようだ。
「こりゃ、また……大胆な登用をしたもんだ」
マルヴァスさんが、さっき以上に呆れた声を出す。
「コンラッド、一応聴いても良いか? どうして急に、コイツを取り立てる気になったんだ?」
「マルヴァスよ、そなたの懸念は承知している。確かにこのローリスは、先日まで無位無官の身。余の出した帰農命令にも服さず、街で身を持ち崩しておった。あまつさえ、あの《棕櫚の翼》が飛来した日に、ここに居るナオル殿やコバに凶刃を振るったという過失もある」
イーグルアイズ卿の言葉を、ローリスは身じろぎひとつすらしないで聴いている。
「だがこの男は、果敢にも竜に挑んだ。活路を失った末の蛮勇に非ず、経験に裏打ちされた戦術を駆使した上での驍勇を発揮して見せたのだ。結果として竜を討つには至らなかったものの、その行動によって一時的とは言え足止めには成功した。武功と認めぬ訳にはいくまい」
「それにしても騎士の位階を授けてやるなんてな。これまでとは随分待遇が違うじゃないか」
「情勢を鑑みての判断だ。今は戦に長けた人材がひとりでも多く欲しい。この男がこれまで野卑な振る舞いを続けておった事は先刻承知。だが、全く救いが無い粗忽者では無いと余は見込んだのだ」
イーグルアイズ卿はローリスの前にしゃがみ、肩に手を掛けた。
「過去を棄て、生まれ変われる男と……な」
「か、閣下の……! ご、ご、御慈悲には……! ここ、このローリス、必ずや……むむ、報いて……! ごら、ごら、ごら……!」
ローリスの顔が朱に染まり、身体を震わせて酷く吃りながら言葉を紡ぎ出す。念願の騎士にしてもらえて感極まっているのだろうか。
「騎士叙任、おめでとうございます。これを糧とし、更に励まれるようお祈り申し上げます」
と、メルエットさんも前に進み出てローリスに語り掛けた。心なしか、声も表情も柔らかくなっているような気がする。
「私の護衛が、貴方の初の任務となるのですね」
「はっ……! み、身に余る大役を仰せつかり、こ、こ、幸甚の至りにございます……!」
「はい、期待していますよ。気負わず、誠実に、お務め下さいまし」
そう言って温かく微笑む。…………微笑んだ!?
メルエットさんが見せた初めての笑顔に面食らう。僕やコバに対する態度とは雲泥の差だ。……まさか、当て付けじゃないよね?
「は……ははーっ! お、お嬢様の安全は、我が生命に代えましても……!」
「いいえ、死なれては困ります。私の安全と貴方のお生命、両方お守り下さい」
「ぎょ、御意のままに……っ!!」
ひたすら畏まるローリスさんと、優しげに励ますメルエットさん。どっちも知らない表情をしている。こんな一面もあるんだな、この二人。
「さて、ローリスよ。新たな門出を迎えたそなたへの祝いに、用意させてもらった品がある」
イーグルアイズ卿が手を叩くと、何処からか執事さんが現れた。手には長い柄を持った巨大なハンマーが抱えられている。
「ローリスよ。そなた、先の大戦では主に大槌を得物として振るっておったと記憶するが、相違無いか?」
「はっ……! む、昔の癖と言いますか、剣よりもな、な、長柄の武器の方が扱いやすく思えまして……! ふ、普段持ち歩くには、ふ、不便ですので……近頃は、遠ざけてお、お、おりましたが……!」
「うむ。であれば、この武器も問題無く手に馴染もう」
イーグルアイズ卿は執事さんの手からその巨大なハンマーを重々しく受け取ると、それをローリスさんの前に差し出した。
「マグ・トレドが誇る名槌『トレング』だ。そなたに下賜する」
「……!? そのような物を、こ、こ、この俺……いえ! 私に……!?」
「良い。我が家の宝物庫で眠らせておくより、有為の戦士に使ってもらう方がこやつも本望だろう。余を含め、マグ・トレドでは誰も遣い手とは成り得なかったが、そなたならば良き持ち主となりそうだ」
「……! か、か、かたじけなき思し召し! ありがたく頂戴……いえっ! は、は、拝領致しまする!!」
ローリスさんは頭を垂れて、震える両手を前に突き出し、そのハンマーもとい大槌を受け取った。それから静かに胸元まで抱き寄せ、食い入るように端から端まで目を滑らせる。
「良くお似合いです、騎士ローリス殿。貴方の往く道に、女神の祝福があらんことを」
メルエットさんが、眩しげに目を眇めながら、新たな人生を歩みだした男の前途を言祝いだ。
「しかし驚きましたね」
謁見の間を退出して部屋に戻る途中、僕は何の気無しにさっきの出来事について触れた。
「ローリス……さんが騎士になった事も勿論ですけど、まさか僕達がメルエットさんの護衛に加えられるなんて。王様への報告っていうのも、色々と形式張っていて大変なんですね」
「いや……恐らくそれだけじゃないだろう」
前を歩くマルヴァスさんは、足を止めずに振り返って言った。
「報告だけなら早馬ひとつで事足りる。コンラッドも言っていたが、竜の襲撃は国を揺るがす大事件だ。一刻も早く、正確な情報を中央に送らなければ国家全体の安全を脅かす。多分、既に領主直筆の書簡か何かを持たされた早馬が、王都へ向かって飛ばされているだろう」
「え? それならなんで、メルエットさんを……?」
「さァな、だが別の意図があるのは確かだ」
マルヴァスさんは、両手を頭の後ろで組んで天井を仰ぎ見た。
「まァ、あいつやメルエットの思惑がなんであれ、俺達に害が及ぶ類のものじゃないだろう。深く気にせず、言われた通りメルエットのお守りに気を配っていれば良いさ。使者団の一行に混じっていれば、ナオルの身の安全も図れる訳だしな」
「……それなんですが、マルヴァスさん」
僕は足を止めた。少し遅れて、マルヴァスさんも立ち止まって振り返った。
「どうした? やっぱりローリスと一緒ってのは嫌か? 殺されかけたんだから無理も無いが……」
「いえ、それはもう良いんです。彼とは和解……した、とは言えませんけど、お互いもう争う気も無いでしょうし」
「じゃあなんだ? そんなに改まって」
「……前から、お尋ねしたかった事があるんです」
僕は大きく息を吸った。これから訊こうとする事は、ある種核心めいた質問だ。僕の様子から不穏なものを感じ取ったのか、隣でコバが不安そうに見上げている。
「……なんだ? 遠慮せずに言え。俺に答えられる事なら、喜んで答えるぜ?」
マルヴァスさんは腰に手を当て、悠然と構えている。僕は大きく息を吸った。
「あの……!」
「……おう」
続く言葉が中々喉から出てこない。心臓だけが大きく早鐘を打つ。
そんな葛藤がしばらく続き、ようやく意を決して口を開く。
「マルヴァスさん、あなたは…………」
「…………」
「あなたは…………もしかして、貴族の方……なんですか?」
マルヴァスさんは、一瞬拍子抜けしたような表情を浮かべる。それから「ふっ」と短く息を吐き、余裕を持った口調で訊き返した。
「どうしてそう思うんだ?」
「その……あなたを見ていて、何処か立ち居振る舞いが垢抜けてるなって思った事もありますし……。あの竜の襲撃があった日、ローリスさんがあなたの事を『貴族だ』って言っていた事もあります。それに、王都で徴兵されたって言うのも、よくよく考えれば当時は王都に住んでいたって事だから、それで……。あとこの短剣、《ウィリィロン》ですが、ダナン王国に二振りと無いって聴いて、そんな剣を持てるのって貴族くらいなんじゃ……って」
「なるほど、俺の事を良く見てるなァ、お前」
マルヴァスさんの顔に苦笑いが浮かぶ。
「男の隠し事を気にするより、女の尻を追っかけた方が有意義だぜ? 例えば、メルエットとかな」
「……彼女は、今関係無いでしょう?」
「はっはっは! いや、なに、茶化した訳じゃないさ! ……そうだな、この際だから明かしとくか」
マルヴァスさんは表情を改め、僕に向き直った。
「その通り、俺は貴族だ。正確には貴族『だった』」
「過去形、ですか……?」
「ああ、ちと理由があってな、王室から頂いた騎士の位と合わせて返上したんだ。勘違いするなよ? 別に罪を犯したとか、そういうのじゃない。ただ、貴族暮らしが生来の性と合わなかった。ただそれだけだ」
「でも……ご家族が承知しなかったのでは?」
「……まァな。父や兄との折り合いが悪くなったってのも、一因としてはある。大喧嘩して、家を飛び出したよ。《ウィリィロン》は、絶縁の際に押し付けられた手切れ金と、それまで騎士として稼いだ分の全額を叩いて、王都一と言われたドワーフの鍛冶屋に鍛えてもらったんだ。半ばやけっぱち気味にな」
「そう、だったんですか……」
「王都を出て、あちこちを彷徨い歩いて、その果てにクートゥリアって街に落ち着いたんだ。自分ひとりで生きていくって言うのも、やってみると意外に容易いものさ。家の掟やら貴族間のしがらみやらから解放され、自分の思うがまま自由に動き回れるんだ。栄達とは無縁だが、人生の喜びって言うのかな……。俺の幸福は、こういう生き方にあったんだって悟ったよ」
「自由に……」
「だからさ、ナオル。お前の事、少し羨ましいと思ってるんだぜ?」
「ぼ、僕を……!?」
「親父さんを気遣って、親父さんの居る所に帰ろうとしているお前が、だよ。俺は、今の生き方を選んだ事に悔いは無いが、親父と喧嘩別れした事だけはどうにも割り切れなくてな」
「………………」
「だから今度の旅で、王都まで足を伸ばしてよ、ふらっと顔だけ見せてやろうかと思ってたんだよ。ほぼ間違いなく叩き出されるだろうけどな。あのベルヒエムの森でグリム・ハウンドに追われていたお前と出会ったのも、もしかしたらそうした俺の心を感じ取った三女神って奴の誰かが仕向けた巡り合わせだったのかもな」
「なるほど……」
「納得したか?」
「はい。話して下さってありがとうございました、マルヴァスさん」
「良いって事よ。その代わり、今度はお前の話を聴かせてくれよ? 酒でも酌み交わしながら、な」
「あ、僕の居た世界では、僕の年齢だとまだお酒は呑めないんですが……」
「はっはっは! ここではお前の世界の決まりごとなんて適用されないよ! でもまあ、無理強いはしないからさ。気が向いたら、頼むぜ?」
「勿論です。その時までに、話せる内容を整理しときますよ」
「楽しみにしてる。んじゃ、部屋に戻って休もう。……っと、その前に風呂と飯だな!」
マルヴァスさんは笑いながらそのまま立ち去って行った。僕はその背中を見送りながら、心の中で苦くひとりごちた。
(……訊けなかったな。『あなたはどうして、こんなにも僕に良くしてくれるんですか?』、『あなたの考える“大望”とは何ですか?』って)
心の隅に、深く食い込んで取れない疑問だった。マルヴァスさんの答えがなんであれ、恩返しがしたいという僕の意志は変わらない。竜から僕を守ってくれた時、その決意は固まった。
だけど、それと彼の本心を知りたいと思う感情は別なのだ。
それなのに訊けなかった。訊いた瞬間、僕達の今の関係が壊れてしまいそうで……。マルヴァスさんの笑顔と優しさが、違う何かに変わってしまいそうで……。
サーシャを喪った今、マルヴァスさんまで失いたくない。
隣のコバを見た。相変わらず、不安気な瞳で僕を見上げている。
僕は、コバを安心させようと微笑みかけたが、自分でも分かるくらいにそれはぎこちなかった。