第三十二話
「……会いたい、です」
メルエットさんから目を逸らさず、僕は答えた。
彼女の言葉には明らかに含みがある。それが分かった上で、だ。
サーシャもコバもここに運び込まれたというのなら、僕は会いたい。会って、話したい。もう一度声が聴きたい。
たとえ、どういう状態であろうとも。
「お願いします、メルエットさん。どうか、サーシャと会わせてください」
「…………」
メルエットさんはすぐには答えなかった。僕の懇願を吟味するように、ただじっとこちらを見詰めている。僕は焦れる気持ちを抑えてひたすら待った。
一分が一時間にも感じられるような空気を味わう中、不意に扉がノックされる。
「お嬢様、クライン殿が参られました」
「通して頂戴」
仏頂面を保ったままの彼女が平坦な調子で許可を出すと、やや遠慮がちに扉が開かれる。『さあどうぞ。』と言った具合に半身で手を差し伸べる衛兵さんに軽く頭を下げ、マルヴァスさんが柔らかな笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「よう、気分はどうだ?」
「あ……その……」
あれだけの筆舌に尽くし難い惨劇を潜り抜けてきた後だと言うのに、まるで『風邪が治って良かったな』みたいな気楽さで挨拶されるものだから、僕は戸惑ってまごまごしてしまう。それに気分を害する風でもなく、マルヴァスさんは備え付けの椅子をひとつ取ってメルエットさんの傍に寄せると、ゆっくりとそこへ腰を下ろした。
「思ったよりも血色が良いな。安心したよ、ナオル」
「マルヴァスさん……。あなたこそ、良くご無事で……」
「なんだ? 俺を心配してくれたのか? ははっ、こう見えて修羅場に臨んだ経験だけは豊富にあるからな。簡単には斃れんよ」
「僕をここまで連れてきてくれたって、メルエットさんから伺いました。ありがとうございます」
「気にしなくて良い、約束だしな。それより、メリーとはもう打ち解けたか? 折角二人きりだったのに邪魔して悪いな」
「いえ、それよりもサ――」
言いかける僕に被せるように、マルヴァスさんが大きく身を乗り出した。
「可愛いだろコイツ! メリーは先月一六の齢になったばかりなんだぜ! 本当はもう少し落ち着いた時期に引き合わせてやりたかったんだけどな! あんな災難があった後じゃ仕方無いよな!」
「え? ……は、はい。それで、サ――」
「あー! そう言えば、お前にはひとつ謝らないといけない事があったな! すまない、ナオル! お前の了解を得ずに勝手にコンラッドに紹介したのは悪かった! お前もさぞ面食らっただろ?」
「それは、まあ……。でも今は――」
「いや、言い訳させてもらえるとだな! 対外的にはただの旅行者でしかない俺が、そう気軽に領主と付き合いがあるとか吹聴するのは色々と不都合があるんだよ! それでお前にはコンラッドとの関係を黙っていたんだが、やはり“渡り人”についての情報を得るに当たってアイツの助けが要ると思ってな! ほら、お前が無事帰れるようになる為にも、色々と手は尽くさないといけないだろ!?」
「は、はぁ……。なるほど……」
「貴族であるコンラッドを味方に付けりゃ、王都への旅路も、王都内部で動くのも楽になると踏んだものだからよ! いやはやそれがまさかこんな事になるとは!」
「…………」
「まぁそういう訳で、数奇な成り行きになったが結果的に……」
「マルヴァス殿、それくらいになさって下さい」
メルエットさんが、溜息混じりにマルヴァスさんを制した。
「ナオル殿が今、何を求めておられるか、貴方にもお分かりの筈」
「…………そうだな、悪い」
マルヴァスさんはバツが悪そうに顔を背けて頭を掻いた。
僕は、思い切って訊いた。
「サーシャも、ここに居るって聴きました。彼女も、マルヴァスさんが?」
「……ああ。コンラッドに頼んで、あのゴブリン共々お前のついでに館に迎え入れてもらったよ。今は、領主お抱えの典医があの子を診ている」
「……! じゃあ、生きてるんですね!?」
「…………まァな」
マルヴァスさんは確答を避けた。苦いものを飲み込んだような彼の横面を見て、俄に晴れた気分もすぐ醒めてしまう。
サーシャに関する悪い予想は、確信に変わってしまった。
「ナオル殿はあの娘と会う事を望んでおられます。よろしいですか?」
メルエットさんが確認すると、マルヴァスさんは苦しげに僕に目を戻した。
「……ナオル、本気なのか? 後悔するかも知れんぞ?」
「もう、とっくに後悔しています。自分に不甲斐なさに対して。だからこそ、僕は彼女と向き合わないとダメなんです。じゃないと……」
「……無理、してないか?」
「…………」
マルヴァスさんはあくまでも優しく僕を気遣ってくれる。それについ甘えた弱い心が耳元で腑抜けた誘惑を囁き、僕は唇を噛んで俯いた。
「無理なものですか。先程、ナオル殿は自ら申されました」
メルエットさんが優雅な仕草で椅子から腰を上げる。僕を見下ろすその目が、一層冷たくなったように感じた。
「私がご案内しましょう。立ち上がれますね、ナオル殿?」
マルヴァスさんが来たからだろう、彼女の口調は丁寧かつより一層感情を殺したものに変わっていた。その無機的さが却って僕を責め立てるかのようだ。いや、事実責められているのかも知れない。
だがそれで良かった。彼女が向ける刺すような冷たさが、ぬるま湯に浸かろうとしていた心を引き締める。
僕は、肚に力を込めてベッドから脚を下ろした。そして、メルエットさんを見上げて決然と告げた。
「大丈夫です。宜しくおねがいします」




