表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の階  作者: ムルコラカ
第一章 竜の揺り籠
29/266

第二十七話

 宿に近付くにつれて火の気が増えてきた。


 こちらの区画には木造建築が多く、それゆえ全域に渡って延焼しやすい立地条件だ。何処かから火蜥蜴が飛び出してくるかも知れないし、竜が戻ってくる可能性だってある。早く用を済ませてここを出ないと危ない。


 既に何度か往来し、見知った道である。僅かながらも培われた土地勘を頼りに疾駆していると、程なく彼女の後ろ姿を目に捉える事が出来た。


「サーシャ!!」


 前を走る亜麻色の髪をした女の子が、雷に打たれたかのように身体を震わせ、立ち止まって振り返る。


「ナオル!? どうして来たの!?」


「あんな風に言われて『うん、分かった』なんて返事は出来ないよ! コバを助けるなら、僕も一緒に行く!」


「ダメ! 引き返して! これはあたし達の問題なの! 構わずに逃げてったら!」


 サーシャは僕を振り切るように再び前へと走り出す。僕は黙ってそれに追い付き、隣に並んで並走する。


「来ないでと言われても勝手に付いていくよ。約束したからね」


「…………バカ」


 サーシャは唇を噛み、やや俯き加減で僕を見ようとはしなかったが、それ以上拒絶もしなかった。





◆◆◆◆◆





 幸い、サーシャの宿にはまだ火の手が及んでいなかった。


 サーシャが一目散に玄関扉を開け、中へと入ってゆく。僕は慎重に辺りに目を凝らして、火蜥蜴の姿が無い事を確かめてから後に続いた。


「コバ!!」


「サーシャ様……!? よくぞご無事で……!」


 コバはそこに居た。水の張られた木桶を手に、驚いた顔でこちらを見返している。


 コバの足元には他にも二つ、同様に水が貯められた木桶が置かれてあった。


「それはこっちのセリフ! コバ、良かった……!」


 サーシャは張り詰めた気を緩めてコバに駆け寄り、痩せたその手を取って引っ張ろうとする。


「急いで逃げるわよ! 母さんは先に行ってるから!」


「し、しかしコバめは、この宿を守らねば……!」


「何言ってるの! 死んじゃうわよ!」

 

 ピシャリとサーシャに叱られ、コバが首をすくめる。それでも、彼は折れなかった。


「こ、この宿はサーシャ様とシラ様の家であり、掛け替えのない資産でございます。それを失われては、お二人が困窮してしまわれます」


「構いやしないわ! どうせいつも閑古鳥が鳴いてるもの!」


 そうか、と傍らで僕はひとりごちる。コバが慌てたのは、サーシャとシラさんの身を案じただけじゃなく、二人の家が焼かれてしまう事を恐れたからなのか。だからこうして自分ひとり留まり、竜の炎から宿を守り抜こうとしているんだ。


「お、お言葉ですがサーシャ様。不動産の価値は宿としての機能ばかりでなく……」


「命より大事な財産なんて無い!!!」


「サ、サーシャ様……!」


 サーシャは眉を吊り上げ、泣きそうな目でコバに訴える。


「たとえ家を失っても、あなたを喪うよりはマシ! 死んじゃったらもう終わり! 二度と会えないのよ!?」


「コバめの命に、そのような価値など……」


「あるわよ!!」


 サーシャはコバの顔を包み込むように両手で掴み、自分と目線を合わせた。


「聴きなさい、コバ! あたしと逃げるの! 良い!?」


「は、はい……!」


 迫力に気圧され、コバは渋々といった風情で頷いた。


 僕は思い出していた。戦争で父親を亡くしたというサーシャの話を。慰霊碑の前で手を合わせ、祈りを捧げる彼女の姿が瞼に蘇る。


 もう二度と、家族を喪わない。そんな彼女の決意を、まざまざと見せつけられる。


 僕も同じだ。父さんをひとりぼっちには出来ない。だから、何としてでも元の世界へ帰る。


 その為にも、こんなところで死ぬ訳にはいかない。サーシャ達も、死なせる訳にはいかない。


 絶対に、皆で生き残ってやる!


「待たせてごめんね。行きましょう、ナオル」


 コバの手を引きながら、サーシャが振り返る。


「うん、でもその前に……」


 と、僕はコバが用意した水桶に近付き、無造作にそれを手に取った。


「折角コバが用意してくれたんだ。使わせてもらおう」


 僕はそれを、おもむろにサーシャ達に向かって振りかけた。


「きゃっ!? ちょっとナオル!」


「炎に巻かれないように。水を被っておけば取り敢えずの予防になるから」


 言いつつ、別の水桶を取って頭の上でひっくり返す。冷たい井戸水が熱された身体を心地良く冷ましてゆく。


「それは分かるけど……。だからって、何もいきなりぶっかける事は無いじゃない」


 そう言ってぷぅっ、と頬を膨らませるサーシャ。こんな時だと言うのに、その愛嬌溢れる仕草に思わず吹き出しかけた。


「ごめんごめん。でもこれで大丈夫。じゃあ、火の手が完全に回る前に城門まで急ごうか」


 僕は先頭に立って玄関扉に手をかけた。


 その時だ。


 近くで何かが倒壊するような音が轟き、床が大きく揺れた。


「うわっ!?」


「えっ!? な、なに!?」


「サーシャ様……!」


 余りに唐突な揺れに、僕はついバランスを崩して身体が後ろに傾く。倒れまいとして、取っ手を握る手に力を込める。


 だが努力も虚しく取っ手がするりと回転し、扉が内開きに開いてしまい、僕は重力に逆らえずそのまま後ろに倒れ込む。


「いたたた……」


 尻をさすりながら顔をしかめる。一体、何が起きたって言うんだ?


「ひっ……!?」


 サーシャの息を呑む声が後ろで上がる。何か恐ろしいものを目にした時のような……。


「……っ!?」


 はっ、と我に返る。この状況で何が恐ろしいのか、候補なんて二つに一つ。


 僕は急いで目を上げる。


 全開になった扉の先から、漆黒の巨大な鱗と炎を照り返して光る牙が覗いていた。


 天空から降って湧いた災厄。絶対的な裁定者の如き姿容。猛々しさにして畏怖の象徴。


 雄々しくそびえ立つ巨躯を目一杯大写しにして、血のような赤い目をこちらに注ぐ、竜の姿だった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ