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竜の階  作者: ムルコラカ
間章 短編集
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赤枝の戦士、フォトラ

 王都の空は、今日も清々しい晴天に恵まれていた。


 イーグルアイズ家の館、その中庭で鍛錬に励むにはうってつけの天候と言える。


 フォトラはそこにひとり立ち、腰を落として相手を見定めていた。


「はっ!」


 短く発した気合いと共に、固めた拳を振り抜く。


 正確な狙いで放った一撃が正面に立つ木偶人形に吸い込まれ、乾いた音が大きく鳴った。


「ふっ!」


 余韻に浸ることなく、即座に地を蹴って対象との間合いを取る。敵が大型の長柄武器を持っていることを想定して、その切っ先がギリギリ届かない距離を見極めることが大事だ。


 想像上の敵が、一瞬前まで自分の立っていた場所に武器を振り下ろす。


 攻撃が空振りに終わった瞬間を見切り、反撃に転じる。


 大きく踏み込んだ自分の実体が、敵の影に肉薄して再び拳の射程距離に入る。


 木偶人形が震え、先程同様に大きな悲鳴を上げた。


「ようフォトラ、今日も精が出るねえ」


「っ!?」


 いつの間に居たのか、まったく予期していない声が背後から掛けられた。


 思わず戦闘態勢のまま反転し、声の主と向き合う。


「おいおい、落ち着けよ。俺は敵じゃねえって」


「……失礼した。今の今まで僅かな気配も発しておられなかったのでつい、な。マルヴァス殿を敵だと思ったことは無い」


 フォトラは大きく息を吐き、構えを解く。


 マルヴァスは苦笑いを浮かべたままこちらへ歩を進めて来た。


「俺の気配がしなかったってことは、それだけお前さんが集中してたってこった。もし俺が殺気を放っていたら、どんなに遅くとも三十歩以内に近付く前には気付いていたと思うぜ」


「褒め言葉として受け取っておこう」


「褒めてんのさ、実際。お前さんの実力はもう知ってるからな」


 マルヴァスはフォトラの横を通り過ぎ、木偶人形の前に立つとその状態を確かめ始めた。


「随分と熱心に使い込んでるな。この分じゃ、今日か明日には使い物にならなくなりそうだ。倉庫から新しい的を出してくるか」


「それは自分でやっておこう。マルヴァス殿のお手を煩わせるつもりはない」


「いつも思うが、真面目だねえ。赤枝従士隊ってのは皆そうなのか?」


 マルヴァスがフォトラの古巣を口にする。最近ではあまり思い出すことも少なくなっていた名前だが、ふと耳にしたことでかつての記憶が刺激された。


 懐かしさに導かれて一瞬問われるがままに話しかけるが、寸前で思い留まってフォトラは開きかけた口を閉じた。


 咳払いを挟んで、代わりの返答をする。


「……済まないが、隊の内情に関することは軽々に外に出すことは出来ない。私個人のことなら、話すのもやぶさかではないがな」


「ははっ、それもそうか。悪かったな、忘れてくれ」


 マルヴァスも深く追及せず、話をすぐに切り上げた。かといって何処ぞへ去ろうとする風でもなく、その場に佇んでじっとこちらを見ている。


「……まだ何か?」


「いやなに、良い機会だからお前さんの動きをじっくり見ておこうと思ってな。これも勉強さ」


「マルヴァス殿も、充分な手練れだろう」


「だからこそ、さ。強えヤツの訓練を眺めるのも稽古のひとつになるんでな」


 フォトラは、まだいまいちこのマルヴァスという男の実態が掴めずにいた。


 もちろん、これまで一緒に過ごしてきた中で人となりは大体把握している。そつがなく、飄々としているが様々なことを考えており、決して軽はずみな男ではない。剣や弓等あらゆる武器の扱いにも長けており、実戦の経験も豊富だ。そして、仲間を気遣う心もちゃんとある。ナオルやメルエットに対する態度から、それは明らかだった。


 しかしながら、フォトラはどうしてもこの男に心からの信頼というものを置けずにいた。上手く言葉に出来ないが、彼は何か胸の内に深く秘していることがある、と感じられる瞬間がしばしばあるのだ。それが何かわからないからこそ、かも知れない。


 赤枝従士隊に所属していたという経験から、真意が読めない相手への対応は慎重になる習慣が身についていた。


 だからだろうか、ついそんなことを言ってしまったのは。


「それなら、模擬戦でもやるか? 離れて観察するより、実際に手合わせした方が得るものも多いだろう」


 言い終わると同時に拳を突き出す。燃える自分の視線の先で、マルヴァスの表情が変わった。


「……良いぜ。ワイルドエルフの戦士が相手なら、間違っても退屈はしないだろうしな」


 フォトラに見せるように上がった彼の手には、既に木剣が握られていた。


「用意が良い。最初からそのつもりだったのだろう?」


「まさか。お前さんが居なけりゃそこの木偶人形に打ち込んでただろうよ」


 とぼけた風を装いつつも、マルヴァスから放たれる気配は既に鋭さを帯びていた。


 高ぶる闘気を抑えた二人の男が、中庭の中央で相対する。


「一応、怪我させないよう気をつけるぜ。保証は出来ないが」


「それはこちらも同じこと。――準備は良いか?」


「いつでも来い」


 その言葉が終わるや否や、フォトラは抑え込んでいた闘気を瞬時に解放した。


 地を蹴り、マルヴァスの鼻先に至るまでに拳を放つ寸前の状態に持って行く。


 まばたきすらも許さない、刹那の呼吸。言葉の終わりを捉えた、完璧な先手。


 マルヴァスとて、これを防ぐ手段は無い――!


「うおっと!?」


 と、思っていたのだが、やはり現実はそう甘くなかった。


 不意を衝いたのは間違いない。しかしマルヴァスは、不格好な声を上げながらも突き出されたフォトラの拳を難なく躱したのだ。


「そらっ!」


 反撃で木剣が振り上げられる。が、さすがに体勢が悪い。腕の力だけで繰り出された攻撃を、フォトラは余裕をもって避けた。


 そのまま一度距離を取り、呼吸を整える。


「いやー、見事な一撃だったぜ。まさか開始一秒でケリ付けようとするとは思わなかった。危なかったぜ」


「予想していただろうによく言う」


 軽口に応えつつ、フォトラは次に踏み込む機会を探る。必殺の意気を込めた初撃が当たらなかったからといって、そこに拘ってはならない。常に流体であるべし。


「やっぱりお前、弓と拳とでまったくの別人だよ。初対面の時にあんなへろへろ矢を放っていたのが信じられねえ」


「なっ――!?」


 過去の醜態に言及され、フォトラの気持ちが俄に乱れる。


 直後、マルヴァスの像が掻き消え、巨大な圧が前面に掛かる。


「くっ!」


 ほとんど勘で身体を捻り、突き出された木剣の切っ先を紙一重で凌いだ。


「それは今、関係なかろう!」


 体勢を整え、反撃の拳を繰り出す。


「ははっ、さっきのお返しだ!」


 木剣の腹で、拳撃が受け止められる。


 フォトラとマルヴァスは、至近距離でしばらく打ち合った。


「ほらよっ!」


 横薙ぎに振られた強めの剣閃を捌き、そのまま後ろに跳んで距離を取る。マルヴァスは追撃してこようとはせず、互いに間合いの外に出て一呼吸入れる形となった。


「いや、やっぱり見事なもんだぜ。拳を握ったお前が相手なら、一瞬の油断も出来ねえ」


「そちらこそ、大した腕前だ。ワイルドエルフの動きに付いてこられる人間自体、そうそうに居ないのだがな」


 油断なく腰を落としながら、フォトラは息を整えている。マルヴァスも木剣を正眼に構えて、大きく腹で呼吸をしていた。


 やはり、強い。マルヴァスの剣は、基本に忠実なように見えてその実、変幻自在だ。今まで自分が戦ってきた相手の中で、間違いなく五指に入る手練れだった。


(……だが、こうして相対してみても、やはり心の内は見えてこない)


 これは初めての体験だった。どんな戦いでも、程度の差こそあれ相手の心は無意識に武器に乗るものだ。純粋な殺意か、憎しみか、はたまた悲しみか、それとも戦うことそのものへの喜びか。誰かが振るう得物には、その人物の感情が必ずどこかに込められている。


 ローリスや、あのシャープオークのヴェイグ等は、その点が実に分かりやすかった。特にヴェイグは明確な敵で、妹に懸想した上にやり口も卑怯な手合いだったが、こと本人の技量に限っては密かに敬意を抱いたことを覚えている。


 だが、その種の清々しさを、マルヴァスとの手合わせでは感じない。


 戦いから、完全に感情を取り除ける人物なのか? いいや、そうは思わない。


 メルエットが国王に謁見した日、同時刻にナオルとこの男が直面していた事態と、そこでのこの男の本末を思えば明らかだ。


 ただ、こちらに内心を見せないよう上手く取り繕っているだけだ。要するに、彼は自分を信用していない。少なくとも、心の底からは。


 そしてそれは、こちらも同様だった。


(しかし、それも……悪くはない)


 フォトラの口元に不敵な笑みが浮かぶ。


 信用を得ていないのならば、これから得ていけば良い。考えてみれば、彼とはこうして一緒に何かをして過ごすという時間が少なかった。他の者達以上に、自分達はお互いについて知らないことが多い。


 それを徐々に埋めていくのが、人との繋がりを築いていくということだ。故郷リーブズランドを出て、妹と共に歩んだ遥かなる旅路の中で、自分はそれを既に学んでいる。


 マルヴァスとも、いずれはもっと打ち解けられる日が来よう。


「さあ、続きをやろう。どちらかが膝をつくまで、とことんやろうではないか」


「へへ、良いな。今日一日、退屈せずに済みそうだぜ!」


 躍動感に声を弾ませた二人が、再び同時に地面を蹴る。


 フォトラとマルヴァスの手合わせは、日暮れまで続いた。

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