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竜の階  作者: ムルコラカ
間章 短編集
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伯爵の名代、メルエット

国王との謁見を済ませ、ナオルが【竜牙の塔】へ出向してからしばらく後。

王都の館にある執務室で連日奮闘する、メルエットのお話。

「はぁ~……!」


 執務室の机に積み上げられた膨大な書類を前に、メルエットは盛大なため息を吐いた。


「お嬢様、はしたないですよ」


 すぐさま、傍らに控えるイザベルが窘めてくる。メルエットは椅子に座ったまま、ぐるりと首だけを回して恨めしげな視線を送った。


「せめてもう少し、量を減らすことは出来ないの?」


 余人の目がある時では決してしない、ぞんざいな口調でイザベルに訴える。今は部屋に二人きりなので、話し方を飾る必要は無かった。


「無理ですよ。お嬢様と繋がりを得たいと思っていらっしゃる方々は、両手の指では到底足りないほどいらっしゃるんですから」


「まぁ、そうよね……」


 頭をかきむしりたくなる衝動を懸命に抑える。イザベルに叱られるのもそうだが、一時の感情に駆られて鮮やかな紅色を誇る自慢の髪を傷つけるのは嫌だ。


 仕方なく現実に向き直り、メルエットは山積みの書類から一枚を手に取った。気取った装飾を施され、封の入った手紙。


 中身は案の定、箸にも棒にもかからないような時候の挨拶だった。このうず高く積まれた紙くずの半分くらいは、このような他愛もない手紙に違いない。


 しかし、決して無下には扱えない存在だった。メルエットは今日も、この一通一通に丁寧な返事をしたためなくてはならない。他の貴族との繋がりを維持することは、自分の大切な仕事のひとつだ。


 国王との謁見を終わらせて以降、これがメルエットの日課となっている。


「まったくありがたい話だわ。マグ・トレド伯の子女として、こうも関心を寄せられるのはね。お陰で皆に、正義を訴え続けることが出来るのだから」


 羽ペンを手に執りつつ、メルエットは皮肉を吐き出してゆく。これもイザベルはいい顔をしないが、そうしていないと息が詰まって仕方がない。


「お嬢様は今、一躍時の人でございますから。竜の襲撃を目の当たりにして、モントリオーネ卿の悪事を暴き、オークやワームすらをも退けられた。度重なる危険を乗り越えてこられた御方に、皆が憧れの感情を抱くのは自然な成り行きでございます」


「全部、私の力じゃないわ。彼らが居たからこそ、私は今もこうして生きているのよ」


 掛け替えのない仲間達の顔が、鮮やかな色彩を伴って次々と頭に浮かんでくる。本当に、彼らのお陰で自分は王都へ辿り着けたのだ。


「なのに、私にばかり視線が集中するのは不道理だと思わない?」


「仕方がございません。お嬢様は、いわば“窓口”でございますから。お嬢様を差し置いて、個別にお仲間の皆様と接触を図ろうとすれば角が立つでしょう」


 言外に、『別にメルエットだけが人気というわけじゃないから勘違いするな』という警告が込められている。メルエットはイザベルに苦笑いを向けた。


 それくらいは、イザベルにはっきり言われるまでもなく分かっていることだ。イザベルの方も、メルエットが“ちゃんと気付いている”からこそ、直接的な物言いは避けている。


 伊達に付き合いは長くない。


「まあ、これも伯爵の名代としての務めよね。私に出来ることがこれだというなら、喜んでやるわよ」


「その意気でございます」


 広い執務室に、羽根ペンを走らせる音が続く。


 先程は文句をこぼしたが、自分の役目がどれだけ重要でどれほどの効果を生むか、メルエットは良く理解していた。


 王国中のあらゆる貴族の目が自分に、もといイーグルアイズ家に向いている。


 それらひとつひとつに適切な対応を取ることで、膨大な数の支持を得ることも可能だ。逆に疎かにすれば、それだけで敵を増やすことに繋がりかねない。


 すべては今、メルエットの双肩にかかっている。


 貴族の味方が増えることは、父の意向にも沿うことだ。マグ・トレドの復興だって早まる。


 使命もあるが、親子の利害が一致している以上、逆らおうという意思はメルエットにはさらさら無かった。


「あら、これは……」


 黙々と仕事を進めるメルエットの目が、新しく引っ張り出してきた手紙に留まった。それはさっきまでのような、ただの挨拶とは違う。


「“三日後に当家でサロンを開くので、マグ・トレド伯のご令嬢も是非お越し下さい”――。招待状ね」


 こういう誘いもしばしばあることだった。とりわけサロンへの出席は、貴族同士の親睦を深める常套手段でもある。


「ほう、どのようなサロンでございますか?」


「今回のこれは、絵画鑑賞会ね。この貴族は、宮中でも絵画の蒐集家として有名な方だわ。彼のコレクションには、無名の画家から買い取ったものまであるらしいの」


「それはそれは、中々の好事家とお見受けしますね」


「世評に踊らされず、自分の目で真贋を見極めようとする誠実な方、という見方もあるようだけどね」


 貴族令嬢の嗜みとして、メルエットにも絵画への造詣は少なからずある。ゆえにこうしたサロンへの招待にも、心躍るものがないとは言わないが……


「“とりわけ今回は、《渡り人》の伝承にまつわる珍しい絵画を入手しましたので、願わくば御当人様を混じえた上で色々と論じられれば幸いと……”。はぁ……」


 やっぱりか。メルエットはうんざりして招待状を机の上に放り投げた。


 結局のところ、貴族達の本命は〈彼〉なのだ。竜の襲撃と前後して、ダナン王国に突如現れた生ける伝説。


 そんな存在を前にして食指を動かすなという方が無理である。


「〈彼〉は今、【竜牙の塔】で魔法の修行に励んでいるってこの方は知らないのかしら?」


「お嬢様であれば、修行中の〈彼〉であっても連れてこられると期待していらっしゃるのですよ」


 イザベルは、すべてお見通しと言いたげな生暖かい目でメルエットを見ていた。


「……なによ、その目は」


「いえいえ、ただ偶にはお嬢様の手で〈彼〉を塔から連れ出してもよろしいのでは、と思うだけです。伝説に謳われる《渡り人》であっても、時には息抜きが必要でしょう」


「ダメよ、〈彼〉の邪魔は出来ないわ」


 メルエットはイザベルから視線を外し、窓の外へ目をやった。


 本音を言えば、自分も〈彼〉と会いたい。イザベルの言う通り、修行の息抜きという名目で連れ出すことも出来るかも知れない。


 しかし心中を打ち明け、拒絶された身としては、どうしても気まずさが先に来てしまう。


 早まったかも、と後悔しないでもない。それでもあの夜は、どうしても自分が抑えられなかった。


 自分の中で、いつの間にか〈彼〉はそれだけ大きな存在となっていたのだ。


「いつ再び【棕櫚の翼】が現れるか分からないのだから。その時に備えて、〈彼〉には強くなってもらわないといけないのよ。それに王都には、〈彼〉を狙う勢力があるとはっきり分かっているんだから、敵味方の区別がつかない相手のところに〈彼〉を連れて行くなんて愚かにも程があるわ」


 内心をひた隠し、もっともらしい理由を並べ立てる。こういった本音と建前の使い分けも、なんだか最近上達してきた気がする。


「左様でございますね。お嬢様の仰せになったことも道理です」


 イザベルはあっさり引き下がる。この辺の呼吸も、彼女は完璧に弁えているのだ。


「では、サロンの招待はお断りなさいますか?」


「……いえ、〈彼〉の代わりにフィオラ殿を伴いましょう。吟遊詩人である彼女であれば、先方を唸らせる詩歌のひとつでも提供してくれると思うし」


「ああ、それは良うございますね!」


 イザベルの顔がぱっと明るくなる。メルエットの人選が一石二鳥であると気付いて喜んでいるのだ。


 鉄仮面の事件以降、ドニー・ロスマンの家に入り浸って彼の妻を看病し続けているフィオラの姿を思い浮かべ、メルエットは目頭を揉んだ。


「たくさんの絵画を観ることは、きっと彼女にとっても良い気分転換になるわよ。イザベル、彼女への伝言を頼めるかしら?」


「もちろんでございます。きっとフィオラ殿も、お嬢様のお心遣いに喜ばれることでしょう。すぐ手配なさいますか?」


「ええ、お願い。その間に私は返事を書いて……残りの文書に目を通しておくわ」


「承知いたしました。では、しばし失礼します」


 優雅に一礼して、イザベルは執務室を出ていった。その際、扉の向こうに立っているローリスにまた二、三個ほど小言を放ったようだ。あの猛々しい偉丈夫が、首を竦めて畏れ入る様子が想像できて、メルエットは微かに笑みを浮かべた。


「さあ、招待状はきっとこれだけじゃないでしょうし、頑張って他のも精査しますか」


 まだまだ残っている文書の山に向き直り、メルエットは自分に気合いを入れるのだった。

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