第二十四話
表通りは逃げる人々の波で埋め尽くされていた。イーグルアイズ卿の命を受けた兵士さん達が、端に立ち辻に立ち口々に大声で人々を促し励ます。
「お前達は我々が護る! 慌てずに城門まで急げ!」
「領主様が中央市場にて竜を足止めしておられる! 背後の心配はせずとも良い!」
「そこ! 前の奴を突き飛ばすな!」
「不要な荷物は捨てよ! 我が身を第一に考えよ!」
僕とジェイデン司祭は、人々の波と彼らの目を掻い潜り、裏通りへと入る。昼間ローリスに襲われて逃げ込んだのとは違う道だ。
「こちらです、ナオル殿!」
「はい!」
ジェイデン司祭の先導で裏通りを抜けようとしていた僕は、ふと立ち止まって先程の市場の方へと目を戻す。
立ち並ぶ建物の向こうで、炎が発する赤い光と立ち上る煙が夜空を焦がしていた。表通りの喧騒に混じって、竜の咆哮がここまで届いてくる。
さっき、あの水晶玉を覗いた時、僕は確かにあの竜を見た。あいつは僕に向かって言ったんだ。
『見つけた』って。
もしかして、あの竜は僕を探していた? 僕を求めて、このマグ・トレドに来たのか?
「……!? どうしましたか、ナオル殿!?」
「いえ……。すみません」
足を止めた僕に気付いたジェイデン司祭が、わざわざ引き返して来て怪訝そうに顔を覗き込んでくる。僕は何でもないという風に手を顔の前で振って愛想笑いを浮かべた。
「お気持ちは分かります」
全てお見通しと言った顔でうんうんと頷くジェイデン司祭。
「竜に戦いを挑むなど、真に恐れ多い事です。しかし、事ここに至ってはやむを得ません。後はイーグルアイズ閣下に委ねましょう」
「…………」
ブレないな、この人は。
「司祭さん、そう言えばあの水晶玉はどうしたんですか?」
「《竜巫石》ですか? うむ……。それなんですが、竜の怒りを受けた時に割れてしまいましたよ」
「割れた?」
密かに落胆する。それじゃあ調べようがない。
僕の胸中には気付くべくもなく、ジェイデン司祭は沈痛な顔をして続ける。
「心の底から残念に思います。私の力が及ばなかったばかりに、このような事態に陥るのを防げなかった……」
「そんな! 司祭さんは悪くないでしょう!?」
「ありがとうございます。ですが、私は《竜始教》の経典を預かる身でありながら、竜を鎮める事も、人々の心に安寧を与える事も出来ませんでした。まったくもって恥じ入るばかり。司祭失格です」
「司祭さん……」
ジェイデン司祭は自分を責めるように俯く。しかし、それも束の間ですぐに規律正しい聖職者の顔に戻った。
「悔やむのは後回しにしましょう。取り敢えず今は街を脱出せねば」
「……そうですね!」
そうだ、今はあれこれ考えていられる時じゃない。疑問は一先ず脇に置いて、街から逃げなきゃならないんだ。
改めて、僕達は教会へと急ぐのだった。
◆◆◆◆◆
「……あっ! ジェイデン様! ナオル様!」
教会の扉を開けるなり、コバが切羽詰まったような声を上げて駆け寄ってきた。眦を下げ、不安ではちきれそうな表情を浮かべている。
「やあコバ、留守番ありがとう」
ジェイデン司祭が安心させるようにコバの頭を撫でると、僅かだがコバの顔付きは和らいだ。
「本当ならゆっくり労をねぎらいたいところですがね。事情が一変しました、今すぐ街を出ねばなりません」
「は、はい。外の騒ぎはコバめの耳にも届いておりましたです。それで、出過ぎた真似とは思いますが、必要なものの準備をさせて頂きましたです」
コバが奥の方を指差す。見ると、竜の彫像の前に大きな革袋がひとつ置かれていた。
「水、食料、寝具、衣服、その他必要になりそうな物をコバめの独断でご用意させて頂きましたです。当面の間は、街を離れても生活が出来るかと……」
「おお、流石です! 良い仕事ですよ、コバ!」
「も、もったいなきお言葉……」
ジェイデン司祭が奥に走ってゆくのを見ながら、僕はコバに話しかけた。
「コバ、元気そうで安心したよ。サーシャとシラさんが心配していたからね」
「サーシャ様とシラ様が!? も、申し訳ございません! コバめの事で、お心を煩わせるなど……!」
「気にしないで良いんだよ。コバが無事だって分かれば、彼女達も喜ぶから」
「コバめはむしろ、お二人が気掛かりなのでございますです。お早めに避難なさっておられると宜しいのですが……」
「大丈夫、兵士さん達が上手く誘導してくれてる筈だから。コバも早く追いついて、安心させてあげないと」
「はい……」
そこまで話したところで、革袋を担いだジェイデン司祭が戻ってきた。
「コバ、あなたの分はどうしました?」
「コバめの……? い、いえ、コバめはこのままで結構でございますです。司祭様の持ち物を横領する事など出来ませんです」
「なるほど、生真面目なあなたらしい心掛けです。では、私から礼としてあなたにこれを贈りましょう」
ジェイデン司祭は革袋から別の小さな袋と取り出すと、コバに持たせた。
「こ、これは……?」
「干し肉の入った袋です。必要な時に摂りなさい」
「そ、そんな!? 奴隷のコバめが、ご主人様以外の方から物を頂くなど……!」
「サーシャからは後で了解を得ます。大丈夫、彼女は許して下さいますよ」
「し、しかし……!」
「コバ」
畏まるコバを、ジェイデン司祭は静かに制した。
「あなたは、人の世界では奴隷の身ですが、本当はそのような者ではありません」
「…………?」
分からない、と顔で訴えかけるコバ。
「ゴブリンは、《竜の揺り籠》に生まれた《原初の民》のひとつ。この大地を最初に栄えさせた、誇りある種族なのです」
「げんしょの、たみ……?」
「元々、この大地に生きる全ての種族は、竜の下で全て平等な命。一方の種が、他方を奴隷にする行為は本来許されぬ蛮行」
「…………」
「あなたの献身ぶりはとても清く、美しいものです。ですが、それも度が過ぎてはいけません。もっと己を大切になさい。誇りを持ちなさい。サーシャも、きっとそれを望んでいます」
「…………」
コバは答えず、干し肉の袋を両手で持ったまま俯いてしまう。ジェイデン司祭はそれ以上言わず、教会の出口へと向かった。
その後姿は、間違いなく他者の心を豊かにする聖職者のものだ。
「さあ、行きましょう」
「そうですね。ほら、コバも」
僕は、俯いて動こうとしないコバを促した。
その時だ。
「――っ!?」
一際空が明るくなったと思ったら、強烈な爆発音のようなものが轟き、少し先に見える物見櫓が炎で包まれた。
「なっ……!? あれは……!」
ろくに疑問を差し挟む間も与えず、巨大な影が炎に包まれた物見櫓に突っ込み、それを薙ぎ倒す。影の正体が何かは言うまでもない。
「嘘だろ……!? マルヴァスさん達が引きつけてる筈なのに……!?」
脳裏に最悪の想像を浮かべる僕を他所に、竜はそのまま明後日の方向へ飛び去ってゆく。いや、それだけじゃない。
あいつが視界から消える前に、あいつの口から再び炎の柱が吐き出されるのがかろうじて見えた。
「まさか……!? 街を焼こうって言うのか!!?」
「なんたる事……!」
驚愕する僕とジェイデン司祭に続いて、コバも悲痛な声を上げる。
「……!? あっちにはサーシャ様とシラ様の宿がございますです!!」
言うが早いか、コバは飛び出して行った。
「コバ!?」
「待ちなさい! 行ってはなりません!!」
止める僕達の声など聴こえぬとばかりに、コバは主人の元へ戻らんとたちまちにその姿を消した。