第二百五十一話
その声は、場違いに間延びしていて呑気さすら感じさせるものだった。
「だ、誰!?」
スーリヤさんが、落ち着きなく辺りを見渡して声の主を捜している。
「ほっほっほ。お嬢ちゃん、儂は此処じゃよ」
『……!? ナオル、地面の下!』
サーシャの指摘が飛んだのとほぼ同時に、地面に変化が現れた。
地震のような揺れが起こり、僕とダルド達の間に巨大な土塊が隆起する。唖然とする僕達の前でそれは形を変え、次第に二足歩行の人型を完成させてゆく。
「まさか、またアンデッドか!?」
直近の嫌な記憶が呼び起こされ、僕達の間に新たな緊張が走る。が、しかし土塊の中から本物のシー族が飛び出してくるでもなし、こちらに襲いかかってくるような気配も感じられない。
やがて出来上がったのは、ゆうに二メートルは超える土の巨人だった。不格好に丸まった頭部に二つの大きな孔が空き、まるで目のようにそれがこちらを見下ろしている。
その巨人の肩に、ちょこんと座る小柄な影がひとつ。焦茶色の上下を着て頭に同色の帽子を被り、豊かな白ひげを蓄えた小さな老人だ。
「まずは初めまして、じゃな。儂の名はマーチェス、このゴブリン達の友人じゃよ」
小さな老人は人の良さそうな笑みを浮かべ、土塊の巨人の肩に座ったままペコリと僕達にお辞儀した。
「おい爺さん、あんたは出てくるなって言っただろう!」
土塊の巨人の後ろでダルドが憤慨しながら抗議の声をぶつけてくるも、小さな老人ことマーチェスは涼しい顔だ。
「儂のお陰で地面の下に潜んでいられたというのに、随分な言い草じゃな。お主らに任せておったら血を見ることになりそうじゃったから、仕方なく出てきたんじゃ。怒るより感謝せえ」
この人が、ダルド達を伏兵たらしめていたのか。地面の下に隠れていたなら、サーシャが存在を予め感知出来なかったのも納得がいく。
『このおじいちゃん、なんだかあたしと似ているような感じがする……。でも、え? なんで……?』
そのサーシャは、マーチェスを前にして混乱しているようだ。風の精霊である彼女が近しい感覚を抱く存在、それを聴いてふと自分の中にひらめくものがあった。
「あなたは、ひょっとしてノーム、なのですか?」
マーチェスが「おや?」と驚いた目で僕を見下ろした。
「……なるほどなるほど。どうやら君が最近この国に現れた“渡り人”というものじゃな。ふーむ、見たところシルフィードの気配が漂っておるのお。風の精霊を味方に付けたか、流石は伝説に謳われる雲からの使徒じゃな」
「ノーム!? 【原初の民】のひとつで元は土の精霊だったっていう!?」
フィオラさんが、鼻息荒く僕を押し退ける勢いで前に出ようとする。
「まさかこんなところで会えるなんて思ってなかった! 是非この機会に取材を――」
「お前は大人しくしておけ!」
「ぐぇっ!?」
即座にフォトラさんがその首根っこを掴み、妹の暴走を阻止する。
「ほっほっほ、好奇心が旺盛なエルフのお嬢さんじゃな。そういうのは嫌いではないぞ」
二人のコミカルなノリが受けたのか、マーチェスは上機嫌に笑っている。
「貴方がゴブリンの協力者なら、どうかお願いします。彼らに、私達の友人を解放するよう仰って頂けませんか?」
メルエットさんが、脱線しかけた流れを本道に戻す。マーチェスは彼女を見て頷き、背後のダルド達に呼びかける。
「その子達を離してやるんじゃ。同胞に武器を向けるのはお主らとて本意ではなかろう」
「しかし……!」
「悪いようにはせん。ここは儂に任せて、言う通りにしてくれんか?」
ダルドはしばらく唸っていたが、やがて渋々コバとナンジュさんを解放するよう部下に命じた。
「ナ、ナオルさま~!」
自由になった二人がこちらへ駆け寄ってくる。その背中を微笑ましそうに見送りながら、マーチェスが話を続けた。
「さて、お互いに色々と事情もあるようじゃが、こういう仕儀となった以上このままただお別れということには出来ん。このエンの村は、儂らやこのゴブリン達にとって今や数少ない安息の地なんでのお」
「貴方達の生活を脅かすつもりはありません。……と、申し入れても無駄なようですね」
先程ダルドに同様の申し出をしてすげなく突っぱねられたからか、メルエットさんの声には諦観が混じり始めていた。
「マーチェスさん、あなたはさっき“このままでは血を見ることになるから出てきた”と言っていました。争うつもりが無いというなら、その代わりに僕達に何を望もうというんです?」
「まさに、そこが肝要なのじゃよ“渡り人”殿」
僕を見るマーチェスの眼差しは相変わらず穏やかだ。しかしその瞳の奥に、動かしがたい意志が宿っていることを僕は察した。
「先も言うたが、このゴブリン達は儂の友じゃ。我々は人知れずこの地に隠れ棲み、平穏無事に暮らしてきた。ところが、じゃ。どうも最近色々ときな臭くなってきおってな、我々の慎ましやかな平穏が破られようとしておる」
どこかとぼけた感じを醸し出しながら、マーチェスは淡々と話している。その後ろから、ダルドが忌々しげに声を上げた。
「そうとも! お前達のような侵入者によってな!」
「ダルド、お主は黙っておれ」
憤慨する友を嗜めると、マーチェスは意味深に僕達の顔を見渡した。
「お主らのことは、“土”からの報せを受けて知っておった。どうやら儂らは同じ問題に直面しておるようじゃ。もしかしたら、お互いに力になれるかも知れん」
「え? それって……」
「これ以上は、此処ではなんじゃ。場所を改めようではないか。お主らを、儂らの里に案内しよう」
「――!? おいっ!」
ダルドが血相を変える。それを無視して、マーチェスは高々と手を上げた。
「少し揺れるぞ。舌を噛まぬよう、口は閉じておれよ」
その言葉が終わった途端、足の裏に異常を感じた。
「うわっ!?」
僕達の立っている地面がまたたく間にたわみ、まるで沼にはまったかのように自分の足がズブズブと沈んでいく。僕だけでなく、他の皆も同様だ。
「な、なにこれ!?」
「おのれ魔法か!?」
「し、沈むぅぅ~~~!?」
メルエットさんやスーリヤさんだけでなく、ワイルドエルフであるフォトラさんやフィオラさんも足を取られ、脱出することも叶わず身体が沈んでいく。
「安心せい、危険があるわけではないからの。身体の力を抜いて、ただ流れに任せておれ」
土塊の巨人の肩の上で、マーチェスがのんびりと沈みゆく僕達を見つめている。
そうこうしている内に、僕達はもう殆ど胸まで土に埋まっていた。
「さ、サーシャ! メルエットさん! コバ……っ!」
『な、ナオル~~ぅ!!?』
サーシャの声を聴いたのを最後に、僕は完全に土の中に呑み込まれた。