第二百四十三話
バンシーの言っていたことは気になるが、兎にも角にも僕達は余念を払い今やるべきことを優先して進めることにした。
首無し騎士率いるアンデッド軍団との戦い。その被害は思いのほか深刻で、死者八名に重軽傷者三十五名という痛手を被っていた。死者の内六名が魔道士で、彼らは上手く連携が取れず孤立したところをアンデッドの群れにやられたらしい。その中には、何度か言葉を交わしたこともある顔見知りも居た。
「魔法で、皆の遺体を灰に還しましょう。魂を《竜界》に送り、始祖竜の御手に委ねなくては」
イルテナさんは当初、全員の遺体をすぐに火葬にするべきだと主張し、魔道士の多くもそれに同調した。魔法を扱う者の多くは《竜始教》に傾倒しているので、その教義に則って火葬を主張するのは至極当然のことと言える。
「いいえ、それはいけません。亡くなられた方々は必ず埋葬し、リア・ライフィル様の御下にお送りするべきです」
そして、それに強行に反対したのがスーリヤさんだ。《聖還教》では土葬を旨としており、火によって遺体を焼く火葬は忌まれていた。肉体をそのまま土に還し、《冥の女神》に魂の流転を委ねるべし、というのが向こうの教義である。
二人の女性の間に火花が散った。ことはそれぞれが信奉する宗教の考え方に関わっており、両者共にたやすく引き下がらない。いつもはイルテナさんに圧倒されがちなスーリヤさんも、自らの教義に関することでは頑固だった。ラセラン王子も彼女を支持し、彼の配下たるドル・ドナ騎士達もそれに続いた。
「先の襲撃から何も学んでおられなくて? あのアンデッド共は、この地に埋められたシー族の遺体がそうなったものでしょう?」
だがイルテナさんの放ったこの言葉で、議論の大勢は決した。スーリヤさんもラセラン王子も、これにはハッとして口を噤むしかなかった。味方があんな風になるなんて、誰も望んではいない。
全員の遺体をこの場で素早く火葬にし、急いでカーレスの森を抜ける。最終的には、それで全員が合意した。
僕や、まだ余力の残っていた数人の魔道士達で火を起こし、戦死者の遺体を焼いた。魔力で生まれた炎は、たちどころに死者を灰に還し、空高く煙を上らせた。あの煙に乗って、戦死者達の魂は《竜界》やらへと渡ってゆくのだろうか。
しかしカーレスの森に留まっている限り、長々と死者を悼む余裕は無い。
遺灰を回収した僕達は、感傷に浸る間もなくすぐさま移動を開始した。使い物にならなくなった輜重を急いで解体して即席の簡素なソリを作り、歩けないほどの重傷を負った人はその上に乗せて運んだ。
その時点で陽は西に傾き始めており、残り時間はもう幾ばくもないことを嫌でも思い知らされた。ようやくカラニレの木々が少なくなってきたと覚った時には、誰からともなく大きな安堵の溜息を吐いたものだ。
カーレスの森を抜けたのは、空が茜色を通り越して藍色に変わろうとする時刻に至ってからだった。
岩肌の剥き出しになった火山地帯の麓付近で野営だと告げられる。
「ぎりぎりでございましたな。恐らくあと半刻でも遅ければ、今頃我々はカラニレの毒素にやられてしまっていたでしょう」
一通りの準備が済んだ後、額に浮かんだ汗を拭きながらコバがしみじみとそういった。
「ふぃ~、やっと一息つける。ナオルくんもコバくんもお疲れ~」
フィオラさんも傍に来て脱力した表情を浮かべていた。
「お疲れ様です、フィオラさん。休憩が終わった後は、戦死した方々への簡易葬儀がありますけどね」
「うん……。私は結局、今回何も出来なかったな……。だからせめて、真心を込めて葬送曲を奏でさせてもらおうと思うよ」
気を抜いた表情から一転、フィオラさんは神妙な顔付きになってマンドリンを撫でた。
「こういう終わりを迎えることも、皆さん覚悟の上だった筈です。むしろ、殉職した自分を吟遊詩人の調べで弔ってもらえることは幸運の至りでしょう。フィオラさんの気持ちは、きっと亡くなった方々の魂に届きますよ」
「あはは、だったら嬉しいな。生命を救えなかった分、一生懸命演奏するからどうか安らかに眠ってほしいよ」
遠い目をして彼方を見やるフィオラさん。彼女の奏でる音楽なら、きっと素晴らしい鎮魂曲となるに違いない。
「皆の遺灰は、スーリヤさんが保管してくれてます。会いに行きますか?」
「彼女が? よく引き受けてくれたね」
「教義は違えど、死者の為に祈りを捧げるのは聖職者の本分だ、ということらしいです。これにはイルテナさんも同意してくれました」
「ふーん、それなら良いけど。でもあの人って、今は怪我人の手当てに付きっきりじゃない?」
「そうですね。今度はスーリヤさんも、ちゃんと味方を診てくれているみたいですよ」
皮肉のつもりはなかったが、フィオラさんは苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、彼女が首無し騎士の傍に居たおかげで、生きていた黒狼にこれ以上味方が襲われずに済んだとも言えるよ」
「仕掛け人のバンシーとももう一度会えましたしね」
フィオラさんの言うことは結果論だがスルーした。それよりも気になるのは、やはりあの白い髪のシー族だ。
「彼女は今も、何処かから僕達を狙っているんでしょうか」
「分からない。一応、兄貴が神経を尖らせてくれてるみたいだけど」
フォトラさんを始め、まだ余力が残っている騎士や魔道士が交代で見張りに立っている。彼らも疲れているだろうに、本当に頭が下がる。
「あのバンシーについては、今メルエットさん達が意見を交換しているみたいですよ」
少し離れた先で、机の上に地図を広げながらメルエットさん、イルテナさん、ラセラン王子、それにエンドン卿が額を合わせていた。いずれの顔も厳しく、楽観の色は表れていない。地図を指さしながらああでもない、こうでもない、と中々議論は白熱しているようだ。
「ナオルくんは参加しないの?」
「呼ばれれば、といったところですね。第二王子に公爵閣下に伯爵令嬢に子爵といったそうそうたる面々の中に、自分から混ざっていく勇気はありませんよ。それに、僕の意見はメルエットさんにほぼ伝え終わってますし、必要なら彼女が代弁してくれるでしょう」
「ふーん、別に自分から加わっても良いと思うけどなー。ナオルくん、皆から一目置かれているじゃん」
「だったら嬉しい限りなんですけどね。まあ、他の人達の目もあることですから、ここは自重します」
本音をいうと、メルエットさんと顔を会わせるのが気まずい、という気持ちが大半だった。
さっきの黒狼から庇った後、彼女の僕を見る目付きがより一層複雑さを増した。僕も、彼女をまともに見ることができなくなっていた。もどかしさだけが膨れ上がり、何か言いたいのに言葉はまったく出てこない。
それが、嫌だった。この感情に振り回されたくない、と本能で拒絶して僕はメルエットさんから離れた。
サーシャは、明らかにそんな僕に対して怒っている様子だ。さっきから彼女はだんまりを決め込んでいるが、僕を刺すような怒りのオーラは今もひしひしと背中に感じている。
サーシャが怒る理由も、頭では理解できた。自分がどれだけ情けないヘタレなのかも自覚している。
だが、これは必要なことなのだ。個人的感情にうつつを抜かしている場合ではない、とかそういう話ではなく、それ以前の前提として僕は誰とも深い仲になるべきではない。
僕は“渡り人”。別の世界から来た異邦人。そして、やがては向こうに帰らなければならない人間だ。
マルヴァスさんにそのことを以前指摘されてからというもの、より一層強くそう思うようになった。この異世界で僕が結んだ縁には、必ず責任を取らなくてはならない。
だが、自分のキャパシティを超えてそれらを抱え込むのはダメだ。無責任過ぎる。
自分自身が何者なのか、決して見失わないようにしないと。
「ん? ねえ、何か聴こえない?」
考えの整理に耽っていると、フィオラさんが長い耳をそばだたせて僕の肩を叩いてきた。
「何かって……」
と言いかけた僕の耳にもそれが届いてくる。陣営の外側で味方と誰かが大声で言い合っているようだ。『どうか公使様へのお目通りを願います!』という文言が、はっきりと聴き取れた。
「何事か!?」
ラセラン王子が問い質すと同時に、味方の騎士さんがひとり報告に駆け付けた。
「申し上げます! 只今バレクタスの使者と称するシー族が数名、陣営の外まで参っております!」
バレクタスの使者――。その言葉に、場の空気が瞬時に緊張で満たされた。




