第二十三話
守備隊長の動きに合わせて、《竜墜》から大矢が放たれる。
風を切り裂きながら一直線に空を飛ぶそれは、狙いが逸れる事も無く下界を睥睨する竜の喉首に吸い込まれて行き――
鱗に当たって弾き飛ばされた。
「あっ――!?」
あまりにもあっさりとした結果だった。
鱗に弾かれた、という表現は正確では無いかも知れない。
大矢と竜が激突する瞬間、僕は見た。
首の鱗の表面に波紋のようなものが走り、空間が僅かに歪んだのを。
《魔法》。その単語が脳裏をよぎる。
竜が、魔法を使った? 身体を保護するシールドのようなものを張って、あの骨太な大矢を防いだのか?
しかしながら、思考の片隅でそんな呑気な考察が出来たのもほんの束の間。
竜を射落とす為に造られた兵器が、竜に敗れた。
先手必勝を狙った筈が、目論見が外れた。
《竜墜》が落としたのは、眼前の脅威では無く、開戦の幕だったのだ。
射抜かれずとも激突した衝撃はしっかり伝わったのか、竜は大きく身体を傾け、苦しげに一声吠える。
やったか!? ……と、この場に居るジェイデン司祭以外の皆は、一瞬そう思ったかも知れない。少なくとも有効打にはなった、と希望を胸に浮かべたのかも知れない。
仮にそうだったとしても、その希望はすぐに絶望に塗り替えられる。
竜は僅かの間に怯みから立ち直ると、大矢の飛んできた方向に身体を向けた。
白い濁り目が細くなる。胸中にどんな感情が渦巻いているのか、推し量るまでも無いだろう。
いきなり攻撃された場合に感じる想いは?
驚愕、恐怖、困惑、そして……怒り。
人間なら誰だってそうなる。動物ならもっと顕著だ。
竜だって、きっと例外では無い。
違いがあるとすれば、恐らくは……『怒り』の部分が占めるウェイト。
竜の眼がその色を塗り替えてゆく。濁った白から血のような真紅へと。
牙の隙間から、赤い何かが漏れ出す。上下に開いてゆく口と比例してその量は増し、竜自身の口腔を明るく照らす。
その正体が何なのか。竜を初めて見た僕でも嫌過ぎる程分かった。
「総員、退避!!!」
イーグルアイズ卿の怒号。途端に、金縛りにあったかのように硬直していた空気が消し飛ぶ。
「ナオル!!」
マルヴァスさんの声がしたかと思うと、腕を捕まれて後ろに引っ張られる。彼に従って駆けながら後ろを振り返った僕は、はっきりと見た。
完全に開かれた竜の口。その喉奥から、激流のように迸る豪炎を。
空から降り注ぐ火柱が、《竜墜》と、茫然自失として動かない守備隊長を、うねりを上げて飲み込んだのを。
「くっ!」
着弾した竜の炎が、その余波を四方に撒き散らす。逃げよう、と思ったものの、僕達の足よりも圧倒的に熱波が追い付く方が速い。
間に合わない。そう思った時、“本営”と呼ばれた白い建物の周囲に居たあの四人の歩哨が、いつの間にかそれぞれ大盾を手にして僕達と炎の間に割り込み、それらを連ねた。
「……っ!」
すかさずマルヴァスさんと僕はその後ろに飛び込む。ほぼ同時に、イーグルアイズ卿も身体を滑り込ませてきた。
直後に、余波が熱風と火の粉を伴って大盾に衝突する。外側から僅かに流れ込む火の粉が、僕の背中を微かに撫でた。
「おのれ、《竜墜》が……! 隊長も炎に呑まれてしまったか……!」
余波が収まり、大盾の端から外の様子を覗き込んだイーグルアイズ卿が悔しそうに言う。
「閣下……!」
歩哨が悲鳴に近い声を上げたと思ったら、大きな物が落下したような音が響き、地面が揺れる。
「奴め、降りてきおったな……!」
イーグルアイズ卿が歩哨のひとりの肩を叩く。
「合図を!!」
歩哨はそれを受けて、腰に下げた角笛を手に取った。
大盾の壁が解かれて視界が広がる。ゆらゆらと揺らめく炎の向こうで、巨大な竜の影が泳いでいた。
角笛が吹かれる音を背にイーグルアイズ卿が立ち上がり、腰の剣を抜き放って天に掲げる。
「怯むな!! 立ち向かえ、皆よ!! マグ・トレドを護るのだ!!!」
その号令に応えるように、炎の向こうで兵士達の喚声が上がる。クロスボウから矢が発射される音が散発的に響いた。竜の影がそれに反応して、大きく身体を動かす。
「竜の炎に焼かれるな!! 遠巻きにしてひたすら矢を射掛けるのだ!!」
イーグルアイズ卿は矢継ぎ早に指示を飛ばしつつ、自身は竜ではなく、炎に包まれ燃え盛る《竜墜》の残骸に向けて剣を構えた。
「ど、どうしたんですか!?」
「竜が吐く炎は、その威力だけが脅威という訳じゃない。真に恐ろしいのはここからだ」
マルヴァスさんも立ち上がり、弓に矢をつがえて炎を見据えた。
すると、未だ勢いの衰えない火柱の中から、のそりと何かが動いた。
形の定まらない影のように朧気な輪郭が、もがくように四肢を蠢かせる。五体投地のような恰好で地を這いながら炎から出てきたそれは――
「トカゲ……!?」
焼け爛れてあちこちが割れた皮膚を持ち、全身に炎を纏った、二メートルはあろうかという大きなトカゲだった。
「《火蜥蜴》だ! 来るぞ!」
マルヴァスさんが矢を放つ。それは正確に飛び、火蜥蜴の額に突き立った。
火蜥蜴は悲鳴を上げるが、それで倒れはせずに身体を屈めると、逆襲とばかりに先頭に立っていた歩哨目掛けて飛び掛かる。
「うわっ!?」
歩哨は咄嗟に大盾を構えるが、勢いと重さでそのまま地面に押し倒される。
下敷きになった歩哨の上で、火蜥蜴が狂ったように暴れ、身を包む炎が踊った。
「た、助けてくれ!!」
歩哨の求めを待つまでも無く、皆動いていた。
他の三人の歩哨が槍をしごいて突進する。火蜥蜴の首と腋と背中に三本の槍が突き刺された。炎で炙られるのにも構わずに、彼らはそのまま力任せに火蜥蜴を押しのけ、下敷きになった仲間を解放する。
槍と矢でデコレイトされた火蜥蜴が、痛みを訴えるように大口を開けて鳴く。その口内に、マルヴァスさんの二本目の矢が無情に射込まれた。
虫の息となった火蜥蜴の脳天に、イーグルアイズ卿が剣を振り下ろして止めを刺す。
火蜥蜴は身体を痙攣させ、息絶えた。
「竜の炎は生命の焔。《始祖竜》様は生命の苗床となられ、数多の種を育まれた。今を生きる竜達にも、その力の一部が受け継がれていると言うが……」
いつの間に来たのか、ジェイデン司祭が火蜥蜴の死体を見つめながら呆然と立ち尽くしていた。
「ヒメル山の時もこうだった。あいつの炎で焼かれた奴の灰から、次から次へとこいつらが現れた。それが余計に被害を拡大させたんだ」
「だが、今のように殺す事は可能だ。それに、火蜥蜴の命は竜の炎が尽きるまで。炎が消えれば、こやつらも消える」
マルヴァスさんが、火蜥蜴の出てきた炎に顔を向ける。
「……もっとも、鎮火するまでに生き残れれば、の話だけどな」
「ジェイデン、ナオル殿。《棕櫚の翼》は我々が引き付ける。既に命令を待機から避難に切り替えたゆえ、住民達と共に街を脱出せよ」
僕は、さっきの角笛を思い出した。あれか。
「行け! グズグズしてはならん!」
「ナオル! 今度こそサーシャとシラを頼むぞ!!」
イーグルアイズ卿とマルヴァスさんが僕達を促す。
「マルヴァスさん……!」
僕はあなたを疑った。僕を道具のように利用するつもりで助けてくれたんじゃないか、と。
それがなんだ。僕は自分を恥じた。彼がどういうつもりであれ、今もこうして身を挺して守ってくれてるじゃないか。サーシャとシラさんをも案じるこの人に、血が通っていないなんて事はあり得ない。
仮に、心に生じた疑惑が的を射ていたにせよ、僕にしてくれた事は変わらない。忘れてはならない、忘れたくない。
必ず、この恩は返します。僕は再び心に誓った。
「行け!!」
力強い声に再度背中を押され、僕は心を決める。
「ジェイデン司祭、行きましょう! コバを連れ出さないと!!」
「う、うむ……! やむを得ん……!」
ジェイデン司祭はまだ後ろ髪を引かれるように竜の方を振り返っていたが、苦渋の表情で頷いてくれた。
そして、僕達は一緒にその修羅場を後にした。